サイベリアン王国での生活開始(7)
*
コラットがソマリの住まう離宮に侍女として訪れてから、三日が経った。
掃除や洗濯、食事作りなどソマリの身の回りの世話をすることにはだいぶ慣れてきた。
また、ここに来るまでは悪魔の使いだと恐れていた猫の扱い方も。
だが、しかし。
(それにしても猫ってかわいすぎる……。今日も心臓のドキドキが止まらない……!)
猫のかわいさには、まったくもって慣れることがない。それどころかなぜか日に日に魅力が増していく。
昨日はうっかりチャトランが庭園の隅で糞をしている場面を目撃してしまったのだが、やたらと真剣な表情で力んでいるのがやたらと愛らしくて、「真面目なお顔かわいい~!」と叫んでしまった。
排泄をしている最中の生物をかわいいと思う瞬間が来る日が訪れるとは。人生とはわからないものである。
その上、糞を出し切って前足でちょいちょいと砂をかける仕草も滑稽なかわいさを感じられた。
そしてその前足には、ぷにぷにとした肉球がついているのだ。ソマリの話によると、獲物を狙う時などに足音を消すために、弾力性のある肉球がついているらしい。
機能については理解できたが、なぜそんな実用性のある物の形があんなにかわいく、そして思わず触りたくなるような感触なのか。
足の裏までかわいい生き物がこの世に存在したとは。驚くべき事態である。
(やっぱり、猫は神に選ばれし至高のかわいいを所持する生き物に違いないわ。いいえ、それともそのかわいさで人類を支配するために派遣された、悪魔の使いかも……)
どちらにしろ、猫の起源には神や悪魔といった偉大な存在が関わっているに違いない。そうでなければ、あの神がかり的なかわいさは説明できまい。
だが、例え猫が悪魔の使い手だとしても、猫への服従が悪魔の思惑通りだったとしても、それでもいい。
だって猫はかわいいから。かわいいは正義なのだ。
そんなことを考えながら、コラットが離宮内の廊下で掃き掃除をしていると。
「ちょっと見てコラット! チャトランが日向ぼっこをして伸びているわ! とっても長くなっているのよ!」
寝室の方からソマリのそんな声が聞こえてきたので、箒など放り出してコラットは全速力で寝室の方へと向かう。
扉は開いており、窓際にいたソマリが手招きをしていた。
「し、失礼いたしますっ!」
はやる気持ちを抑えながらも、そう言ってコラットは入室した。
ソマリの言葉通り、窓から差し込む日光を存分に浴びたチャトランが、手足をぴんと伸ばしていてこれでもかというくらいに長くなっていた。
近づき、屈んでよく見てみる。丸くなる時も多い猫だが、その時の三倍……いや五倍ほどの体長に見えた。
「な、長ーい! 猫ってこんなに伸びるんですか!? 一体どうなっているんですっ? 伸縮自在なんでしょうかっ。ひょっとしたら、そのふわふわの下は液体になっているのでは!?」
生物とは思えないほどの変幻自在っぷりに、そんなありえない考えすら頭に浮かぶ。
するとコラットのその発言を聞いたソマリは、興奮した面持ちになり勢いよく何度も頷いた。
「その説に辿り着くとは、やるじゃないのコラット! 猫ちゃん液体説については、私もずっとそうじゃないかって考えていたのよっ」
「えっ!? そ、そうなのですか?」
「だって、こんな風に普段の五倍くらいの長さになったり、かと思ったら絶対に入れないような狭い隙間にするって入ったり、小さ過ぎる箱にすっぽりと体を丸めて入ったり……。固体だったらそんなの不可能じゃない!?」
「な、なるほど……! しかし液体だろうが固体だろうが何にしたって猫はかわいいですね!」
「そうねっ。結局『かわいいからなんでもよし』って結論に落ち着くのよねー!」
うんうんとソマリは何度も頷く。とても楽しいソマリとの会話だった。
ソマリの侍女として離宮にやってきてからまだ三日だが、こんな風に猫のかわいさについての談義はすでに幾度となく行っている。
ソマリに言わせてみれば、コラットは「よくわかっている」のだそうだ。
きっとコラットは、ソマリと同じように猫のすべてに魅了されたため、彼女と同じような感覚で猫に対して悶えることができているのだろう。
こんな風にソマリと猫についての会話をするたびに、コラットはなんとも幸せな気分になり、「ソマリ様の侍女になれて本当によかった」と心から思うのだった。
――だが。
「……あ。私掃除の途中でしたわ。本日、スクーカム様がこちらにいらっしゃるとのことでしたから」
猫にかまけて仕事をなおざりにするわけにはいかない。だいたい綺麗にしたのだが、まだ廊下の掃き拭きだけ残っていた。
伸びるチャトランをもっと見ていたかったが、コラットは掃除に戻ろうと立ち上がる。しかし。
「あら、別にいいわよ掃除なんて適当で。あの人……スクーカム様って、あまり細かいことを気にしない性格だと思うし」
ソマリが軽い口調で言う。
「えっ、そうなのですか? サイベリアン王国の王太子なので、生真面目な方かと思っていましたが……」
軍事国家として名を馳せているサイベリアンの王室の男性は、普段の生活でもまるで軍隊のように規律正しい生活をしている。
民の上に立つ主君たるもの、国の中で最強の存在でなくてはならないという家訓があり、日々剣の稽古や体力づくり、兵との訓練などに明け暮れ、娯楽を楽しむ余裕すらないという噂もある。
第一王位継承者であるスクーカムだって、その例に漏れないはずだ。そんな彼が、あまり細かいことを気にしない性格……?
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