第6話 もう一人
「ついに
ORE通編集部のオフィス。
「なのに正体不明、か。」
その背後からオールバックの男が声をかける。
「プロになりゃあいいのに。もったいないぜ、稼げるのに。」
幽鬼が剣戟世界に現れて三か月。未だ無敗のまま
当然、誰もが注目する。それはプロチームとて例外ではない。既にいくつものオファーが幽鬼の元に届いているはずだ。
「お金の問題じゃないんでしょうね。」
オールバックの男は理解できないといった様子で髪を整えた。
愛美は優希の顔を思い出す。彼女はヴレイドを楽しんでいるという様子ではなかった。いや、楽しめない要因があるといった方が正確だろう。
「そのあたりも読者は知りたがってるだろうな。」
「そうですね。」
愛美は優希のことを悟られないように話題を変えた。
「次の記事、どうします?」
「そりゃあ、あの子一択だろ。
オールバックの男は言葉に詰まり髪を撫でる。
「
「そうだ、それ!」
男が手のひらを打ち付けると同時に電話のコールが鳴り響く。彼は電話相手を待たせまいと駆け足すると、愛美を指さして急いで指示を出す。
「あの子は兄譲りでルックスも良いし絶対人気出る! ちゃんと本人取材もしとけよ!」
「はいもしもし、ORE通編集長の
愛美も自らの仕事に取り掛かり始めた。
「ストォォォップ!! 優希ーーーッッッ!!」
足早に教室を去ろうとする優希を三葉が大声で呼び止める。
「……なに?」
「昨日勝手に帰ったでしょ!!」
帰宅に許可が必要なのだろうか。そんなはずはない。優希はただ普通に帰っただけだ。
「一緒に帰るって約束したじゃん!!」
優希はその言葉に疑問がよぎる。そんな約束をしただろうか。昨日の行動を振り返っても身に覚えがない。
「ごめん、覚えてない。」
「はぁーーー!? ひっっっど!!」
三葉は車椅子から大きく身を乗り出して叱責する。
「いつしたっけ……?」
もし自分が約束していたなら、それを破ったことは素直に申し訳なく思う。優希は記憶を遡るきっかけを三葉に求めた。
「朝だよ朝!! 貸し三つのやつ!!」
それは覚えている。優希が親切を貸しとして与えたものだ。そのお返しを三葉は三つ提示した。だが、そこに該当する内容は無い。
「一緒に登校するっていうのはあったけど……。」
「それも守ってないよね!?」
三葉は呆れて目を細める。
「まぁいいや。帰ろ?」
「急ぐ用事があるなら別にいいけどさ。」
三葉は自分の足に視線を落とした。
「いいよ別に。」
同情ではない。一緒に帰りたいと思ったわけでもない。ただ断る理由がなかっただけだ。
二人は教室を後にした。
「優希ってさ、普段何してんの?」
他愛もないありふれた質問。だが少し返答に困る質問だ。たいして面白いことは無いし、プライベートを詮索されるのもあまり良いものではない。
「……バイト。」
「休みの日は?」
「勉強。」
嘘はついていない。淡々と事実だけを答えた。
横を並んで進んでいた三葉が徐々に後ろへと遠ざかっていく。
「つ、つまんねぇぇぇ~~~!!」
三葉の大声に優希と下校中の何人かの生徒が振り向く。だが、優希以外は何事もなかったように歩みを進めていった。
「優希は楽しいの?」
「楽しくないよ。」
「じゃあ優希が最近一番楽しかったことは?」
「ヴレ――。」
作業的に答えていた勢いで出そうになった言葉を飲み込んだ。脳裏に浮かんだのは
「もしかして、ヴレイド?」
「……うん。」
誤魔化せないかと考えたが、代わりになる言葉が見当たらなかった。だから方向性を変えた。
「
優希はどこまで伝わるか分からなかったため、深くは語らなかった。だが、その名を聞いた三葉はにんまりと笑った。
「へぇ~、ああいう人が好みなんだぁ~~~。へぇ~~~。」
「そういうのじゃない。」
「私は推してるよ、
優希は微妙に会話がかみ合っていないことに気付く。星我という名前は聞いたことがない。
「……誰?」
「白々しい~ぞっ!」
三葉は優希の脇腹を肘で突く。優希は本当にその名を知らなかったが、おおよその予想はできる。
ヴレイドの上位層で活躍する人間にはプロゲーマーも珍しくはない。そして、トッププロゲーマーは成りすましや代行を防ぐため、顔出しすることが多い。勇剣もその一人ということだろう。
「優希は見る専? やってる?」
「見る専。」
これは予想していた。ヴレイドの話をすれば当然プレイしているか尋ねられるだろう。プレイしているなどと答えれば正体がバレかねない。もし話題が出ればこう答えると決めていた。
「じゃあやろうよ! 私も最近始めたばっかだし!」
「やらない。」
「一回だけ! 一回だけでいいから!」
「やらない。」
別アカウントを使えば正体は分からない。だが、動きの癖や剣技までは隠せない。リスクのある行動は少しでも避けたい。
「パフェおごるから!」
三葉は喫茶店を指さす。
「……なら、一回だけ。」
帰宅した優希は約束を果たすため、サブアカウントを作成してログインした。
<<ようこそ、ヴレイン・ヴレイドの世界へ。>>
黒い世界の中、青白い光が線や数字を描く。優希ただ一人の世界に電子的な声が響いていた。
<<これより、あなたのメンタルデータから最適なアバターを作成します。>>
<<精度を高めるため、三つの質問に答えてください。>>
<<あなたの好きな色は?>>
以前にも同様の質問に答えたことがある。なるべく幽鬼にならないように別の答えを告げる。
「青。」
<<二つ目、あなたが嫌いなものは?>>
以前答えたのは「過去」だったはず。
「現実。」
<<最後です。あなたがここへ来た理由は?>>
「友達……と約束したから。」
不意に出た言葉だった。自分でも驚き言葉に詰まったが、否定することにも抵抗を感じた。
<<お疲れ様でした。>>
<<アバターの生成を開始します。>>
その言葉と同時に、優希の身体が青い炎に包まれる。痛みも熱さも感じない。ただ静かに優希を燃やし尽くす。
そして、蒼炎が爆ぜるとその中に彼女はいた。蒼黒のドレスを青いリボンで着飾る。その表情は魔女帽のつばに覆われているが、静かに闘志を燃えているのが分かる。
だが、その身体は鎖によって地に繋がれていた。腕も足も自由には動かせない。それでも彼女は前に進まんと抗う。
「やめて……!」
鎖がそれを阻む。過去が呪縛となり、前に進むことを許さない。
「私を、縛らないでっ……!!」
瞬間、鎖は炎となって消える。そして、まばゆい光なって視界を白く染める。
<<
王都アルトリウス。中央にそびえ立つ巨大な城がシンボルマークだ。王都はこの剣戟世界の中心であり、全てが集まる場所。初心者もこの場所から始めていく。
だが、優希は初心者ではない。三葉にフレンドコードと準備をすることを伝えて目的地へと向かった。
「いらっしゃい、自由に見てってくれよ!」
快活な女性店主が
「アンタ初心者だろ? だったら防具を揃えるのがお勧めだ。」
初心者のうちは攻撃をかわすのが難しい。だから基本的には防具を揃えるのが定石だ。剣は多少質が悪くとも十分なダメージが与えられるので後回しとなる。
「じゃあ、鉄の胸当てと手甲。あと鋼の剣。スキンオフで。」
「おいおい、話聞いてたか? それは上級者のチョイスだぜ?」
「上級者なので、一応。」
胸当てと手甲のみの組み合わせは
「返品はお断りだからな。」
「まいどあり! また来てくれよ!」
魔夢は支払いを済ませると足早に武器屋を後にした。
「大丈夫かねぇ……。」
女店主は不安そうに見送った。
次はスキルだ。と言っても選べるほどはない。訓練場に行けば初期スキルを少しだが強化できる。戦闘経験がなくとも派生スキル一つくらいは手に入る。
「ねぇ、君!」
「今対戦相手を探しててさ。良かったらどうかな? 僕も初心者なんだ。」
男はさわやかな笑みとともに右手を差し出す。
対戦をすればスキルポイントが手に入る。訓練場に向かうのなら、戦っておいて損はないだろう。
「いいよ。」
魔夢は男の右手を取った。
「ありがとう! ステージは君が選んで良いよ。」
「じゃあ、遠慮なく。」
魔夢は空間モニターに視線を向けた。
王都決闘場。アルトリウス城の中庭にある決闘場、それを再現したステージだ。周りを囲む観客が双方に応援の言葉を届ける。
<<
互いに剣を構えて相手の動きを伺う。普段の優希なら速攻を仕掛けるのだが、同じ戦法では正体を感づかれるかもしれない。
「来ないなら、こっちから行くよ!」
初心者の男が距離を詰める。そこから放たれる縦切り。大ぶりな攻撃だ。魔夢はそれをサイドステップで躱す。
「やるね! なかなか筋が良いみたいだ!」
初心者の男は返す刀で横切りを放つ。だが、それも魔夢には届かない。
そこで初心者の男の攻撃は止まった。
「君、初心者じゃないでしょ。」
「それはお互い様じゃない?」
初心者の男の攻撃には違和感があった。大ぶりな攻撃は初心者がやりがちな行動だ。しかし、それを外した場合、空ぶった剣に振り回されてバランスを崩すはずだ。だが、初心者の男は勢いを反撃に利用していた。
魔夢は素早く首を狙い剣を振るう。だが、初心者の男は寸前でそれを受け止めた。
「初心者狩りは抵抗あったけど、遠慮はいらないよね?」
「舐めないでほしいッ!!」
偽初心者は魔夢の剣をはじき返すと、剣を低く構える。魔夢もその勢いのまま身体をひねり、構えを作る。
「「
それは同時だった。互いの剣に力が宿り光を放つ。
「「
そして、その力が一気に解放される。二つの剣が輝きで残像を描きながら迫り合う。切り裂かれた空気が渦となり、突風が吹き荒れる。
その剣は交わらない。剣ではなく、敵を切り裂くために振るわれた一撃。だが、それが叶ったのは一つの剣。
「がッ、はぁッッッ……!!」
偽初心者の男は膝をつく。しかし、もう身体を支える力は残っていた。帽子が地に着くと同時に倒れ伏した。
<<
<<
「これで狩られる側の気持ち、分かったでしょ?」
闘技場でスキルを強化し終えた
だが、ここには他の目的を持った者もいる。
「ねぇ、君一人?」
「アバター可愛いね。女の子?」
噴水の縁に座る魔夢の隣に見知らぬ男が挟むように座る。待ち合わせを狙ったナンパだ。こういったことはゲームでも現実でも変わらずにあるものだ。魔夢は黙って立ち上がる。
「まぁ待ってよ。」
見知らぬ男が彼女の腕に手を伸ばす。だが、その手は空気を握りしめる。それに驚くのもつかの間。魔夢は人の間をすり抜けて遠ざかっていった。
「おい待てって!」
逃げられたことに腹を立て、見知らぬ男たちは人混みを押しのけて後を追う。しかし、すでに魔夢の姿はない。
「手分けすんぞ! お前は噴水を見張れ! 戻ってくるかもしれねぇからな!」
「分かった!」
「待ち合わせしたいだけなのに……。」
「とりあえず場所を変えるしか――、」
魔夢が空間モニターを開こうとした瞬間だった。背後からの気配を感じ、とっさに距離を取る。
陰で覆われているが、その男の姿は先ほどの二人のどちらでもない。
「ターゲットを見つけた。座標を送る。」
だが、先ほどの男たちとは別格。あきらかに戦い慣れた動きだった。
「……なんで私を狙うの?」
単なるナンパではここまでしないだろう。振られた逆恨みでも過剰だ。何か別の目的があると考えるべきだろう。
「嫌でも分かる。」
謎の男が殴打ともいえる速さで手を伸ばし掴みかかる。魔夢はそれを躱すものの、掴まれたら逃れられないと悟り戦慄する。
「やるな。」
謎の男は再び構える。おそらく背後を向ければ一瞬で距離を詰められるだろう。攻めるにも逃げるにも隙が無い。戦場でないこの場所では剣を抜くこともできない。
手があるとすれば緊急ログアウトを使って剣戟世界から脱出することだ。だが、なぜ追われているのかを知らなければ今後の行動に支障をきたす。それは
魔夢は鞘に収まったままの剣を構えた。
「逃げないのか。面白い。」
それに応えるように謎の男も剣を構える。その剣はあまり長くなく、大型のナイフに近い。だが、それはこの狭い路地では好都合だ。あまりにも手際が良すぎる。
先に仕掛けたのは謎の男。予想通り、一瞬で間合いを詰めた。もし逃げていたら終わっていた。
魔夢は距離を取るためバックステップで勢いを殺して受ける。そして、それを受け流して男の脇腹に横切りを食らわせた。
「ククっ、効かねぇ、な。」
真剣なら致命傷だった。だが、鞘に入れたままではただの打撃。比較的軽量な鋼の剣では有効打にならない。男はこれを見越して防がなかったのだ。そして、男の左手が魔夢の右腕を捉えた。そこから間髪入れずに魔夢の腕を極めて壁に押し付けた。
「ぁぐッ……!!」
「制圧完了。剣を捨てろ。抵抗すれば折る。」
その言葉は嘘ではない。魔夢は頭突きや踏み付けで抵抗しようとするが、わずかな動きでも締め上げられる。魔夢の手から剣が離れ、鈍い金属音を鳴らす。その左腕も掴まれ、両腕を後ろにロープで縛られた。その最中に足音が魔夢の耳に伝わった。
「さっすが
「ずらかるぞ。」
魔夢はようやく壁から解放される。その視界に映るのは最初に声をかけてきた見知らぬ男の一人。その男は魔夢の間近に顔を寄せてニンマリと笑う。
「ログアウトできなかったろ。妨害プログラムがあるからなァ。」
「早くやれ。殺すぞ。」
「どれどれ……!」
男の手のひらが魔夢の胸を包む。そして、揉んだり寄せたりしながら
「ん~、これは女だな。露骨に嫌がってる。ネカマアバターは自分から求めてきたりするからな。」
男の目的は魔夢の中身が本当に女性なのか確かめることのようだ。つまり、アバターではなくプレイヤー自身が
「それでいて巨乳だな。貧乳とか男だと感覚リンクが不安定で反応が鈍いが……。」
「っ……!!」
魔夢は口をつむぎ声を殺すが、男はそれを見逃さない。
「こいつは売れるっすよ、ぜってー……!!」
「ならいい。」
「もうちょっとくらい良――、」
見知らぬ男の身体が斜めに両断される。一瞬の出来事だった。だが、暗鬼はすぐさま異変に気付き剣を構える。
「……
消滅する見知らぬ男の後ろから彼女は現れた。
「
灰のような長い金髪と紫の瞳。そして、黒いマント。魔夢はその姿に覚えがあった。
「
「いえ、私は――、」
話をする暇は無い。暗鬼は逃亡の邪魔になると判断して魔夢を蹴り飛ばす。腕を縛られた状態でも魔夢は受け身を取れる。だが、マントの女性は彼女を受け止めた。
「逃げてください! できるだけ人の多い場所に!」
マントの女性は素早くロープを切った。そして、
「ありがとうございます……!」
魔夢は剣を拾うと彼女と反対の道へ進んだ。
暗鬼は狭い路地裏を駆け回る。
「やめた。逃げられん。」
単なる逃亡では追いつかれる。そう判断した暗鬼は一転してマントの女性に剣を向ける。そして、迫る攻撃を片手で受け止めてみせた。マントの女性は一度距離を取る。
「お前、
「だからなんですか。」
暗鬼はわずかに笑う。
「箔がついて高く売れそうだ。」
その言葉にマントの女性は整った顔立ちを怒りで歪めた。言葉を発するよりも速く、剣を振るう。
「そうやって何人の人生を狂わせたんですかッ!? 何人の人生をお金に変えたんですかッ!?」
「まだ六人だ。見逃してくれ。」
マントの女性は幾度となく鋭い剣線を描く。だが、暗鬼はそれを鞘に収まった剣で捌き切った。
「さっきの女の方が強かったな。」
暗鬼の剣が女性の腹部を突く。
「くッ……ぁ……!!」
鎧と鞘によって刃は届かない。それでも重い一撃だった。動きが怯んでしまう。
そこに強烈な追い打ちをかける。首元を狙った攻撃。鞘があっても致命傷となる。
「あ˝ぁ˝ッッッ――!!」
マントの女性は壁に叩きつけられる。首への直撃は剣で免れたものの、勝敗は決した。
よろめいた彼女の身体に暗鬼は剣を振りかざし、地面へとねじ伏せた。
「一人逃したが、結果オーライだな。」
「いや、このまま一石二鳥といくか?」
「アンタは私が倒す。」
<<挑戦状が届きました。>>
暗鬼の手元からアナウンスが発信される。
「悪いがこれは仕事だ。遊んでいる暇は無い。」
暗鬼は魔夢への警戒を解かず、逃走の手立てを考える。
手段があるとすれば外部から強制終了か、身体に危害が加わった際に発動するセーフティプログラムだ。暗鬼にはそれを可能にする手段があった。
だが、
(速い……!!)
一瞬で距離を詰められ、首への攻撃を放たれる。
「仕事してる暇なんて与えない!!」
魔夢は猛攻を仕掛ける。その全てが首や頭部、鳩尾など急所へと放たれる。先ほどのように身体で受け止めることはできない。それでも、暗鬼は巧みな身のこなしでそれらを乗り越える。
「生け捕りは無理だな。」
暗鬼は戦うことを止め、壁を蹴り上げて登って逃走を計る。
「ついて来るか……!」
それでも魔夢を振り払うことはできなかった。屋根の上に着地した暗鬼を魔夢の剣が襲い掛かる。だが、不安定な足場であっても暗鬼は反応してみせた。
二人は距離を取り、互いの様子を伺う。先に切り出したのは暗鬼だった。
「お前、考えが甘くないか?」
「なにが。」
魔夢はわずかににじり寄る。
「俺は単独犯じゃない。
魔夢は視線を逸らさない。
「俺たちの仕事を教えてやる。俺たちはお前らみたいな女アバターをひん剥いてAVを撮るんだ。これが金になってな。」
「そのついでに中の奴を特定して風俗に斡旋する。一石二鳥のビジネスってわけだ。」
「
暗鬼は長々と話すが、仲間になど期待していない。求めているのは魔夢の怒り。冷静さを欠いた攻撃には必ず隙が生まれる。それを狙っていた。
「……いい加減黙りなよ。」
魔夢は一気に距離を詰めて突進する。
「甘いな、やっぱり。」
暗鬼は屋根瓦を蹴り上げると剣で弾き飛ばす。
「その勢いじゃ避けれないだろ。」
屋根瓦では致命傷にはならない。だが食らえば間違いなく姿勢を崩す。そうなれば隙が生じてしまう。しかし、暗鬼の目論見は外れる。
魔夢は剣を斜めに構えて瓦を上へと弾く。最小限の動き、最小限のリスクで対処する。
「俺の勝ちだな。」
暗鬼は後方へ下がると屋根から真下へ飛び降りた。そして屋根の端を掴むと身体を思い切り縮める。前方にあるのは窓。これを割り中へ逃げ込めば、突進で勢いのついた魔夢はすぐには追えない。その間に逃走用のプログラムを起動すれば勝ちだ。
「あなたの負けです!」
「クソッ――!!」
そこに現れたのはマントの女性。その手から投擲された剣が暗鬼の足を貫いた。痛みで指から力が抜け、身体が地面へと吸い込まれる。
「ぐぉァァアアアア!!!!!」
貫かれた足を押さえ、痛みでもだえ苦しむ暗鬼。高さが低かったこと、受け身を取ってしまったことが却って仇になった。
その姿を魔夢とマントの女性が見下ろす。
「アンタはこの人のことをちゃんと見てなかった。それが敗因だよ。」
「まぁアンタはずっと背中向けてたし、見えなかったんだろうね。動いてるところ。」
魔夢は冥途の土産として敗因を告げる。だが、暗鬼はそれを鼻で笑った。
「……違、うな。」
「お前…から、目を…離せば、それこそ負け……る。」
「……分の良い賭け…で、負けた。それ、だけだ……。」
虫の息の暗鬼は虚ろな目でつぶやく。
「この人は私が
魔夢はその場から距離を置く。そして、次にマントの女性の方を見たときには既に暗鬼の姿はなかった。
「お待たせしました!」
マントの女性が魔夢に駆け寄る。その勢いで頭突きでもするかのように、彼女は頭を下げた。
「すみませんっすみませんっすみませんっ!!」
腰が折れそうなほど何度も頭を下げる彼女を魔夢は肩を掴んで止めた。
「すみませんでした。私が不甲斐ないばっかりに……。」
「仕方ないよ、アイツ強かったから。」
「むしろあなたがいなかったら今頃……、」
魔夢は感謝の言葉を紡ごうとした。だが、できなかった。戦いから解放された今になって恐怖が心を支配した。
「私は……、」
あれは勝負ではなかった。負けたものは全てを奪われる。そういう「殺し合い」だった。
『敗北は死だと思えッ!!』
祖父の言葉が蘇る。竹刀の殴打が、痛みが、苦しみが、恐怖が、フラッシュバックする。
「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」
嗚咽の混じるその謝罪を求める者はもういない。それでも染みついた過去は消えてはくれなかった。
「大丈夫、もう大丈夫ですよ。」
泣き伏せる魔夢をマントの女性は優しく包み込んだ。そのぬくもりがわずかに魔夢の心の氷を溶かした気がした。勝つことでしか許されなかった過去を否定してくれた気がした。
「ご迷惑をおかけしました。」
魔夢は帽子を取り、深く頭を下げた。泣いてしまったことの申し訳なさと恥ずかしさで顔を合わせられなかった。
「いえいえ! 私こそ助けてもらってしまって……!!」
マントの女性も深々と頭を下げる。しかし、いつまでも謝罪合戦をしているわけにはいかない。先に顔を上げたのはマントの女性だった。
「えっと、私はそろそろ行かないとなので……、」
「はい。ありがとうございました。」
魔夢はようやく顔を上げた。腫らした目元を見られるはバツが悪いため、帽子を深くかぶる。
「そうだ! フレンドコード送りますね! 何かあったら連絡してください。」
魔夢の目の前に空間モニターが現れる。そこには承認と拒否の文字、そして彼女の名前があった。魔夢は迷わず承認を選択した。
「私は
魔夢は差し出された
「
気乗りはしなかった。楽しめる気分ではなかった。それでも優希は向かうことにした。きっと一人でいたら
「このままでいたくない……!」
優希は急いで三葉の元へ向かった。
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