第55話:決戦の場へ

「あ、もうこんな時間ですね。そろそろ出かけないとですね!」


 名残惜しい気持ちで明日花あすかは立ち上がった。

 れんのスマートなおもてなしに甘えて手作りご飯やおやつをもらい、趣味の話や学生時代の思い出などを話していたらあっという間だった。

 明日花は終始ドキドキしながらも、とても楽しく話せた。


(隠し事や見栄張りをやめると、途端に快適になるんだなあ)


「今から出れば21時前に駅前に着きますね」


 21時にJR飯田橋駅で父親が迎えにくるという。


 そのとき、更紗もいるだろうから、直接話をするつもりだった。


「じゃあ、明日花さんは部屋に戻って――」

「いえ、行きます! 一人で行かせられませんよ!」

「友達思いなんですね。そういうところ、刃也くんに似てますね」

「ええっ、私が!?」


 驚くほど嬉しい言葉だった。


(そんなこと初めて言われた……)


「じゃあ、私が絶対に引かない、ってわかりますよね!?」


 原作を全巻読破どくはした蓮がぐっと詰まる。


「私、勝手に行っちゃいますよ? 待ち合わせ場所と時間、知ってますから!」


 明日花の宣言に、とうとう蓮が根負こんまけした。


「……わかりました。僕のそばにいてくださいね。絶対守りますから」

「ぐはっ!」


 明日花が急に胸を押さえたので、蓮は慌てたようだ。


「大丈夫ですか、明日花さん!」

「いえっ、大丈夫です。ただの致命傷です」

「え?」

「なんでもないです……」


 刃也じんやそっくりの顔で殺し文句を言われ、動揺が収まらない。

 なんとか平静を装い、明日花は蓮と一緒に部屋を出た。


 マンションの外に怪しい人影がないか確かめ、二人は早稲田通りをまっすぐ下りて飯田橋駅に向かった。

 夜の神楽坂はいつも通り賑わっている。

 街灯と店の明かりに照らされた道を歩いていると、自然に気持ちが華やぐ。


 坂を下りきって横断歩道を渡ると、もう目の前にJR飯田橋駅が見えてくる。

 新しく改築された駅前にはゆったりとした幅の広い階段があり、仕事帰りの人たちが行き来している。


 二人は駅前の陸橋の上に立った。

 見下ろすと線路があって、堀沿いに走る列車が見られる。

 前を遮るものは何もない。

 左手にはさくらテラスという商業高層ビルと、同じ高さのタワマンがそびえ立っている。


「気持ちいいですね、この抜け感」

「駅の二階にあるゴディバカフェからも眺めがいいですよ」

「あっ、本当だ。ガラス張りの素敵なお店ですね。今度行ってみよう」


 蓮が少し明るい表情になっていてホッとする。


「蓮?」


 女性の声に、明日花たちはハッと振り返った。

 コートを羽織った更紗さらさが呆然と立っている。


「どうして……会いに来てくれたの!?」


 顔を輝かせた更紗が駆け寄ってくるのを、蓮がさっと手で制する。


「近づかないでください」


 更紗がびくりと足を止め、蓮のかたわらの明日花を睨む。

 それは完全に他の女を牽制けんせいする恋人の眼差まなざしだった。


(信じ切っているんだ……。自分が蓮さんの恋人だって……)


「あなた……隣の部屋の方ね。近づかないでって言ったのに!」


 ざわりと髪が風に揺れ、更紗のけわしい表情をより際立きわだたせた。


「……っ」


 まるで鬼女のような形相ぎょうそうに足がすくむ。


(女性からあからまな敵意を向けられるのって久しぶり……)


 学生時代を思い出す。

 イケメンを取り合う女の戦いが怖くて、モテる男の子には極力きょくりょく近づかないよう気をつけていたのに。


(よりにもよって、モテの権化ごんげみたいなイケメンが隣にいる!)

(ほんと、私、どうしちゃったんだろう)


 明日花が蓮の隣から動かないのを見た更紗はしびれを切らしたように吠えた。


「どういうつもり!? 彼は私の婚約者なのよ!?」


「更紗さん、やめてくれ! きみは僕の元上司の娘さんというだけだ。僕が付き合う人は僕が決める」

「え……」


 更紗がおろおろと蓮を見る。

 眼球がきょろきょろとせわしなく動き、投げつけられた蓮の言葉を何とか理解しようとしているのがわかる。


 明日花はここぞとばかりに一歩を踏み出した。

 足が震えるのを必死でこらえる。


「あのっ、蓮さんの婚約者は私、でっす! つきまとうのはやめてくりゃさい!」


(んんんんん、ちょっと噛んだけどはっきり言えた!)


 視線を感じて見上げると、蓮が呆然と明日花を見ている。

 婚約者のフリをしているのに驚いているのか、噛み噛みのセリフに呆れているのか、その表情からは判別できない。


「は? 何言ってんだてめえ」


 ドスの利いた極道ごくどうのような声が、更紗の口から飛び出した。

 更紗の目はつりあがり、今にも爆発しそうな怒りのオーラに満ちている。


(ひいいいいいいいい、こわっ!!)


 だが、明日花は一歩は踏み出した。


(あとはもうまっすぐ進むだけだよね、刃也くん!!)


 明日花は思いきって声を張り上げた。


「なのっ……で、つきまとうのを、やめてください。迷惑ふぇす!!」


 どうしても噛み噛みになるが、動揺しているうえに慣れてないので仕方ない。


(伝わればいいんだよ、伝われば! 伝わってるよね!?)


 ただならぬ空気に、通行人がチラチラこちらを見ていく。

 中にはクスクス笑う人もいた。「何、ケンカ?」「男の取り合い?」などという声も聞こえてきて、顔が赤らむ。


(でも、ここでしっかり伝えておかないと、蓮さんがずっとつきまとわれることに――)


「……ふざけんな」

「へ?」

「ポッと出の女が偉そうに……」


 ヒグマでも殺せそうな強烈な殺意に満ちた目が、明日花に向けられる。


(こ、こわあああああああ!!)

(頑張ったけど、全然効果なし!? 私じゃ役不足だったのかな?)


「調子に乗んなよ!?」


 ずいっと更紗が近づいてくる。


「明日花さん!!」


 慌てて蓮が割って入ったが、更紗の手が伸びるのが一瞬早かった。


「いたっ!!」


 首筋に鋭い痛みを感じ、明日花は声を上げた。

 ブチッという小さい音ともに、明日花がつけていたペンダントが引きちぎられる。


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