第96話 月下非人の副作用、月下美人の思い出
数十メートルの高所からさえ、花火は見上げるしかない。
不吉な、そして無駄にきれいな焔の芸術は、ものの見事に兵士達を竦ませていた。
無理もない。同時、目視できる距離にまで異形の集団が近づいたのだから。
「シオン。私をどこにつける」
フルヌはそう言いながら、今自分たちがいる南側だけでなく、東、北、西側の城壁を見やった。【
「人間どもの魔術の雨に晒されても構わん。アレを一人でも多くこの手に掛けるために、私はここに来た」
「勘違いするな。ジャングリラを突破されないことが第一目的だ。今あんた一人に出てもらっても、目的は達成できない」
そう言っても【憤怒のフルヌ】は今にも歩廊から飛び降りそうだ。聞くような奴じゃないか。魔族だし。
フルヌは自分の消滅には無頓着だ。故に四月一日に借りが返せれば、その最中いくら
でもせめて心中するなら、ちゃんと目的が果たせる瞬間にしてほしい。
「せめて第一陣は我慢しろ。第二陣から好き放題暴れていい」
「第二陣?」
「さっきイキシアさんにも言ったろう。第一陣は俺が何とかしますって」
「……まさか、【
あまり思わしくない表情でルクが尋ねると、フルヌも驚きのあまり目を見開く。
「魔王様の神花、だと……!?」
「禁術云々なんて言うなよ、ルク。どっちにしろ王国からはお尋ね者の真っ最中なんだ」
「そうだけどさ……」
俺が今右手に出した満月。フルヌが「何っ」と瞠目した綺麗な球体。ルクが「これでいいのか」と顔を顰める種。
それを、街の中心に投げる。
「狂い咲け――【
街の中心。
ぽつん、と。
花火に届かん勢いで、午後の光をすべて吸収したような純白の巨花が空へ伸びた。
イキシアさんには承諾済みだ。
このジャングリラの自然を、強欲に喰らいつくすことについては。
「……う、うお、街の自然が」
「草木が枯れていく、城外のもだ」
すべてを浄化する光が、何層も重なる白き花弁の中に集まった。
城壁よりも高く飛び出す神花が、遂に満開になった。
――それも東北西南、合計4つの花が。
「
閃光の彗星は、城壁を超えた。
四方にいる花火の下の侵略者を、一人残らず蒸発させる。
太陽よりも鮮烈な光線は、やがて見上げた俺を虜にして――。
「黒い……蝶……?」
追憶の超新星が、俺の現実を包んだ。
意識が。
意識が。
『ねえ、先生。月下美人って知ってる?』
『あんまり知らないな。牡丹、花にも詳しかったのか』
『いや。でも家で、月下美人を育ててたから。ほら』
『先生の前でスマホを開くな……って、綺麗だな』
『でしょ』
『今も咲いてるのか? でも確か月下美人って一夜で枯れるんだっけ』
『……本当にそうなのかは分からない。でも、今は咲いてない。お母さんに捨てられちゃったから。お母さん、花が嫌いなんだ。私を嫌っているように』
『ひどいな。ひどすぎるな』
『良く言うんだ。牡丹って花の名前が私に付いたから、ピアノも才能がないんだって』
『お母さんが付けた名前なのに』
『うん。でも仕方ない。人は簡単に掌返すから。それは親だろうと、関係ない』
『……僕は掌返さないよ』
『先生?』
『ずっと、君の推しで居続ける』
『ありがと、先生。でもいいの。だって、今日も先生の隣でピアノを弾けるから』
――まるで鍵盤の押される音の様に、光の蝶々は俺の隣に降り注いでいた。
俺の肌に触れる度、不協和音が爆発的に脳内で響く。
意識を十全に保っていられない。すべての耳を塞ぎたくなる。心の鼓膜を引きちぎりたくなる。
『綺麗だね、あの日牡丹に見せてもらった花並に』
蝶の翅が背中に広がるかの如く、僕は後ろにまとわりついていた。
眼鏡の奥で見上げる瞳に、多分【
『ぼく、牡丹と約束したよね』
ぱりん、と。
頭に、何か弾けるような衝撃。
知らない筈の笑顔。知らない筈の音色。
音楽室にいる
『牡丹と、約束したはずだったのにね――』
ああ、そうか。
このかなしさ、身に覚えがある。
「ぎ、いいいいいいい、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
ごめん。ごめん。ごめん。
ごめんなさい。牡丹。
全部、
「シオン!!」
揺さぶられている。
頭を何度も揺さぶられている。
記憶ではなく、現実で頭を揺さぶられている。
やっと目が覚めた。愛の夢から醒めた。
心地よいピアノの旋律で眠るところだった。
あの音楽室に呑まれるところだった。
牡丹の隣で、古月蝶夢に喰われ続けるところだった。
知らない。全部知らない。
悲しんだことなんて、ない。
俺の推しは、リリたんだけだ。リリたん以外に、いない。
「ルク、すまない」
呼吸を落ち着かせ、額に書いた汗をぬぐう。
【
辺りの反応から、四方で目視できる四月一日達は全て焼き払ったようだ。
まず第一波は退けたって事だ。
「……今のは、神花。あの魔王様さえも扱いきれなかった、世界で一つだけの神花」
ぶつぶつと、フルヌが呟いている。枯れゆく、そして消えゆく神花に魅了されている。別にそんな目的はなかったのだがな。
「何故だ。何故お前がアレを咲かせることができる……ただの人間の貴様が」
「ただの、偶然の産物だ」
「少なくともあの花を咲かせる事が出来るという事は、それ即ち魔王様でも御せぬほどの負の感情を抱えているという事……シオン、貴様一体……」
「……その辺は、どうも特殊体質のようでね」
と適当に言う。でもそうか、あの【
……負の感情か。
言い換えてしまえば、負の人格か。
負を全て引き受けてしまった人格、それが古月蝶夢だったな。
「そうか。だから【
だから今も、俺の世界では髪の毛から爪先まで全て日光で満たしたような、朗らかな
『おまえのせいだ』と後ろ指差して連続する、不協和音が鼓膜を引きちぎろうとしているのか。
四階から飛び降りたまま雪に埋もれた、一切の静寂が在るのか。
そして、彼はまた近づいた。僕はまた近づいた。
俺の領域を食い破ってくる。俺の意識を削ってくる。
こうしている今も、自分の人格を保つように努めていなければ、容易く眠ってしまいそうだ。
「それでも、あれは再現だ。本物の
「……確かにな。確かに、真の月下非人ならば、この程度では――」
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』
歓声。
先程まで怪物相手に意気消沈していた兵達の声で、ジャングリラは震えていた。
「う、うわああああああああああ!!」
「こ、これが神花、【月下非人】!!」
「俺達は奇跡を見た!! 俺達には奇跡がついている!!」
【
魔族にとって畏敬に値する対象でもあれば、人間にとっても信奉すべき対象でもある。そんな二面性を持っている。
故に神花を咲かせれば、エニグマ教信者のジャングリラ兵士には『厄災を前に神が味方してくれている』という絶対的な鼓舞になる。先程イキシアさんからエニグマ教の性質を聞いてねらってはいたが……上手くハマったようだな。
「シオン殿、あなたは神話に出てくる救世主だったんですな!!」
「神の遣いシオン様万歳!! 神の遣いシオン様万歳!!」
俺を見つけるや否や、兵士だけじゃなく街の人間も寄ってきて、俺に首を垂れる。
正直いい気はしない。
何が救世主だ。
俺は神でもなければ、主人公でも無いのに。
『救世主なら、牡丹を助けられたはずだもんね』
周りを見てみろよ。ジャングリラの代名詞だった自然が、茶色く枯れ果てているのに。
だがここで冷める発言をするつもりはない。
今はこの勢いのまま、宗教バフが掛かった兵士達に四月一日を倒してもらう。
幸いにして籠城戦だ。地の利はこちらにある。兵達が落ち着いて、全身全霊で魔術の雨あられを浴びせれば、いかに【
「『汝の印に従い、為すべき事を為せ』。聖書でも、そう神は仰っている。後はどうすればいいか、わかるな」
「はい!! あんな忌々しい怪物、エニグマ教の神の敵ではない!!」
「救世主シオン様!! 我々も為すべき事を為します!!」
聖書の有名な個所を引用しただけだが、効き目は十分だったようだ。兵士達は雄叫びをあげ、俺に一通り祈りを済ませるとイキシアさんの息が掛かった司教の指示に従い、配置に着いた。
大司教イキシアさんも力強い声で兵士達を導き、さっきまで他人だったジャングリラを手足のように操って的確に守衛体勢を完成させつつある。
もう俺の出番はなさそうだ。
これで僕に心を奪われないことに、集中できそうだ。
「フン、神花は魔王様の花だ。それを人間どもの財産と錯覚し猿の様にはしゃぐなど、人間はやはり愚かだな」
フルヌが言う。俺は座り込みながら、その独り言に答える。
「人間が分かってないな、魔族」
「何だと?」
「宗教は正しいかどうかなんて問題じゃない。信じる事そのものが重要なんだ」
眉を顰めるフルヌに、俺は続ける。
「人間ってのは【信じる】力を宗教に変えて、何千年も文明を進化させてきたんだよ。お前から見ればいいように扱われているだけに見えるだろうが、人間ってのはこうやって敵に勝つもんなんだよ」
「……分からん。怒りこそが全てを焼き尽くす原動力のはずだ」
「否定はしないさ。怒りの炎も、幾らでも戦争の火種になった事だろう。でもこれだけは分かるだろう――四月一日にはあの力は出せない」
祭りみたいに
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(SIDE:四月一日)
「古月君とはやっぱりウマが合う」
「私の考えを見事に先回りしてくれる」
「嬉しいね。どんどん古月君が表に出てきている」
「散っていった私も、皆嬉しそうな最期を遂げた」
「この後攻める事が出来る私の数は、400を切った」
「ならば、ちょっと早いけど【
「古月君に敬意を表し、切札を切ろう」
「斬れそうですか?」
彼女は、伸ばした手の先に妖刀【瞬花】を出現させ、腰に差した。
まるで侍だ。ただし、その形相は戦場と血飛沫しか求めていない。
思ったより反応がないので、私は彼女の名前を呼ぶことにした。
彼女は、【
彼女の名前は――。
「――オリジン・ルクさん?」
「それにしても作者ながら思いますが、彼女はどっちかというと【人斬り】ですね」
「【聖女】という雰囲気、微塵も感じられないですね」
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