第22話 リリエルの冒険
(SIDE:リリエル)
半年前、ゴーマが人間の変装を解かれた時の、禍々しい【魔族】としての姿に似ている。
あれがスロース。謁見の間で、シオンが捕縛したって言う……。
「リリエル! 本当はお前にこれをやってもらうつもりだったんだ! お前の【魔巫印】ならば、魔王の力ならば、そこにいるガキ共も容易く【魔物】に出来たんだ」
「【魔物】はいいぞぉ……人間などという弱くて下らない肉体から解放される。バジリスク最高ぉおおおお!」
とても最高には見えない。魔物に成り下がって、人間を食しているだけじゃないか。
……きっと、救神を崇めていた頃の私ならば、そんな世界を良しと出来たのだろうけれども。
でも今の私は言える。こんな役回りの【巫女】なんてやらなくてよかった。
「リリエル、お前を連れてもう魔王を呼び起こす。もういい顔はしてやらん」
「私は……もう、貴方達の思い通りには動かない!」
やれやれ、と面倒そうにスロースが再び頭を掻いた。
【怠惰のスロース】とは良く言ったものだ。
「器の肉体が死んでなければ十分だ。両手足を折るだけでは飽き足らん。拷問して心を壊してやる」
……とにかく、私を狙っている事は分かった。
いつかは、魔族が裏切り者の私を狙う事も覚悟してた。
してきたつもりの覚悟に従って、私は行動する。
【
私の答えは、こうだ。
多分、シオンならこうする。
「ジョーロさん、皆を連れて逃げてください!」
「何言ってんですか、リリエル様も逃げるんスよ!」
「あの怪物と魔族は、私を狙ってる!」
魔王やら【魔巫印】という内容が聞こえた筈なのに、私を問い詰めようとしないジョーロさん達も、子供達も本当に優しい。
でも優しいからこそ、母や妹のように死んでほしくない。
私のように、一人ぼっちになって世界の闇に絶望してほしくない。
だから私は振り返って、聞き分けの悪そうなジョーロさんに、必死に訴える。
「お願い! その子達にとってのお母さんは、今ジョーロさん達しかいないから……!」
ジョーロさんも苦々しい顔をして、自分を納得させるように私に言って聞かせた。
「約束っス。別れて逃げるだけっスよ。この後、生きて会うんすよ!」
ありがとう。ジョーロさん。
幸い、奴らは逃げるジョーロさん達には見向きもしない。
代わりに獲物を麻痺させる、赤い魔物の瞳で私を睨んできた。
その真上から見下ろす人外に、私は死神を見た。
「さっき……チョコ、食べておけばよかった」
……竦む。脚が上手く動きそうにない。
でも、きっとこの光景に、シオンは一人で立ち向かってたんだ。
ここで何もしなかったら、私シオンの隣にいられない。
「こっちです!」
凍り付きそうな脚に鞭打って、私はジョーロさん達の方向と真逆に駆けた。
よし、こっちを追ってくれている!
「バジリスク! 殺すなよ、殺さない程度に痛めつけろ」
「スロースの旦那、難しい事言ってくださん、なっ!」
火の玉!? 魔法陣や詠唱も無しに!?
ゼロタイムで蛇の口から吹かれた隕石。私の逃げ道を塞ぐように着弾した。
閃光と爆風。世界が見えない。世界が聞こえない。
紙のように吹き飛ぶ。
一体何回転、地を這ったか分からない。
十回は地面に叩きつけられた……。
一瞬意識さえも削られて、気付けば蛇の腕の中。
全身の骨が、折られていく……!
「痛い、あ、あああっ」
体中、激痛の信号が明滅する。視界も白黒し始めた。
先程の熱風で火傷も酷い。痛い、痛い、痛すぎる。
駄目だ、私が私で居られなくなりそう。
「かはは……救神様を大人しく崇める巫女であれば、このような試練に逢う事も無かったろうに……」
「ふざけないで……嘘を信じて、試練を試練とも思わない心になるより、ずっとマシです……」
今にも逃げ出したい気持ちを抑えて、私はスロースを睨んだ。
よく見たら、スロースの左手にも【魔巫印】によく似た印が刻んである。同一のものではないと思うが。
そして、妖しく光る紋様が、バロンをバジリスクに変えたのだろう。そして操っているのだろう。
……待って!?
私の魔巫印に人を魔物に変える力があるって言うのなら――その逆はできない?
つまり、バロンを人間に戻せない!?
「ぐ、おおお……!?」
「ぬ、なんだ!? バロンの制御が訊かん!?」
とバロンが呻き、スロースが狼狽した時には、私は掌の拘束から離れて地面に落ちていた。
私の左手から、【魔巫印】の力が発動している。願っただけで発動した。
伸びる光はバロンの頭部に直撃し、徐々にバロンの姿を人間に戻しつつある。
「くそっ、やはり我ら魔族の術に干渉出来るのか!」
こんなことが出来たなんて。
本当に私、人を魔物に変えてしまう魔王になるところだったんだ。
そしていつかは、シオンも魔物に変えていたのかもしれない……。
そんな恐ろしい未来の話をしている場合じゃない!
今は【魔巫印】の力で、バロンを魔物から人間に戻すことだけを考えて、私!
「やめろ、俺は人間に戻りたくない! このまま穢れた人間など、戻りたくはないいいいいぃぃぃ」
「勝手に人間全部が汚れてるなんて決めつけないで! あなたが勝手に汚してるんじゃない!」
釣り針にかかった魚の如き巨体に、容赦なく私は人へ戻すための魔力をぶつける。
別段、バロンに改心してほしい訳じゃない。
ただ、これ以上魔物に街で暴れて欲しくないだけだ。
これ以上、必死に生きる人達の人生を、たった一人の馬鹿げた野望で壊したくないだけだっ!
よし、あともう少しでバロンを人間に引き戻せる!
と、確信した直後だった。
氷柱が、私の左腕を貫通していた。
「【
「あ、ああああああああっ!」
壁に磔状態になった左腕から、人生で味わったことのない激痛と、絶対零度。
私だから分かる。魔王の魔力が籠った氷だ。都合よく炎の魔術で溶かす事なんて出来はしない。
「へ、へへ、助かったぜ旦那、あははは、人間最悪、バジリスク最高ううぅぅぅ」
バロンは、バジリスクの形にまた固定されてしまった。
あともう少しで、人間に戻すことが出来たのに……。
「決めた、もう面倒だ。【魔巫印】の左手だけを斬り落として、お前を殺す。そして別の適合者に移植してやる。それでも魔王様は蘇る。」
降り立ったスロースは、忌々しそうに顔を引きつらせていた。
……ここまで、なのかな。
ごめん、ジョーロさん。約束守れない。
ごめん、ルク。何も恩を返せない。
ごめん、シオン。ごめん……。
「だが、お前にチャンスをやろう」
「……チャンス?」
「シオンを差し出せ! お前の美貌で誘惑して、あのクソガキを罠に掛けろ! そうすればお前は許してやる!」
明暗を分かつ名案のように、スロースは何かを言っている。
「魔王様が世界を救ってくれるのだ。痛い思いをしなくても済む。股を開くくらい、簡単な物だろう?」
「……」
そうだ、簡単だ。
私は物凄い恥ずかしくて、まだ下着を見せる事さえ出来てないけれど、本当は簡単な事なんだろう。
それで生きられるなら、多くは傅くのだろう。それは悪い事じゃない。
例えば生きる為なら。
例えば穢れた世界を救う為なら。
例えば、シオンを「シオン様」と呼んでいた頃の私ならそうしていたかもしれない。
「私の」
だから私は、はっきりと言ってやった。
「私の夫に……世界で一番大好きな人に、手を出すな!」
それを聞いて、興が覚めたようにスロースは第二の氷柱――【
「くだらん。貴様のような面倒で下らん女が、魔王様の印を受け継ぐ等と……!」
「――【
【
私の左腕に刺さっていた分も、砕けた。
代わりに、二輪の黒い花が咲いていた――そうか、魔王の魔力を吸って、形を維持できなくしたんだ。
スロースは仇を見たような顔になりながら、再度バロンの真上へと退いた。
代わりに、花吹雪の最中に彼は現れる。
「シオン!?」
「良かった、良かった、良かった……リリたん」
愛しい人は、まるで助けられたのは自分であるかのように、私に抱き着いて泣いていた。
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