第六章:己が気持ちに気づく
第27話 杏子の頼み
あぁ憎たらしい憎たらしい。
あの女が憎たらしい。どうやったら消えてくれるだろうか。
あぁ憎たらしい。
女は何度も何度も口にする。誰に言うでもなくただただ。
*
ミズキは縁側で微睡みながら考えていた。妖かしの世界に来てからだいぶ日が経って生活にも慣れてはきたけれど、自身は妻になり得ているのだろうかと。
はっきりとした言葉をもらったわけではないせいか、私なんかが妻で良かったのだろうかとそんなことを思ってしまう。はぁと零れた溜息にミズキが聞いてみようかなと呟くと、「ミズキちゃーん」と声がした。
ミズキが玄関へと向かえば杏子が笑みを見せ立っている。側にはお付きの赤鬼が三人いるので一人でやってきたわけではないようだ。
「杏子ちゃんどうしたの?」
「いやね、ミズキちゃんにお願いがあるんやけど」
そう言って杏子は手を合わせた。
「うちに料理を教えてくれへん?」
唐突な頼みにミズキが目を瞬かせれていれば、杏子が実はなと話を始める。
青鬼の冬士郎との一連から凰牙が手料理を食べたいとせがむのだという。作るのは別に構わないのだが、どうせ食べさせるのならば美味しいものがいい。そう思って何度か挑戦してみてはいるものの、何故か上手くいかないのだ。
「作り方は悪いわけじゃないと思うんやけど……」
「えっと、料理を作った経験はあるんだよね?」
ミズキの問いに杏子は渋い表情を見せた。実のところ、家柄が良い娘だったこともありその手の経験というのが無かった。竃の使い方など料理の仕方の知識はあるが、実践してみると思うようにはいかないらしい。
杏子の頼みにミズキはどうしたものかと考える。自分で作るのと教えるのでは勝手が違うからだ。教えるというのはそれだけ説明が上手くなくてはいけない、そんな自信は無かった。
迷うミズキに付き添い兼護衛の鬼の三人がどうかと頭を下げた。これ以上、奥様の手料理の犠牲は増やしたくないと。
作ったものは一人分とはいえ、残すも捨てるも勿体無いので味見役の小間使いが食べることになるのだが、その味に気分悪くさせるらしい。
「これ以上の犠牲者は増やしたくはないのです、どうか」
「お願いしやす、ミズキ様」
縋るように頼まれて「あぁ、それは駄目だな」とミズキはその頼みを受けることにした。
***
翌日の昼前、紅緑と共にミズキは杏子たちの元を訪れた。彼は杏子の頼みにまた面倒なことをと眉を寄せていたが、赤鬼の村へまでちゃんと連れて行ってくれた。
「お願いするわぁ、ミズキちゃん」
杏子はやる気に満ちていて紅緑に挨拶もそこそこにミズキを台所へと引っ張った。
やる気の表れなのか、台所には誰も入るなと杏子の頼みという名の命令で紅緑すら入れてもらえなかった。そこまでするほどかとミズキは思いつつも、しっかりと着物の袖をあげている彼女の様子に何も言えない。
「教えるのはいいですけど、何を作りましょうか?」
「凰牙はね、煮物が好きなんよ」
煮物を作ってあげたいと杏子の返事にならばとミズキが食材を確認する。小間使いの鬼たちによって用意されたものの中に鶏肉と大根、葉物野菜があった。これならば、煮物に丁度いい。
「鶏肉と大根に、この葉物野菜を使いましょう」
ミズキは手慣れた手つきで大根をまな板に乗せて輪切りにし、皮を剥いた。
「輪切りにしてから皮を剥く方がやりやすいですよ」
杏子が包丁を持って大根の皮を剥くそのぎこちない手つきにミズキはひやひやする。僅かだが震えている手先に指を切らないようにゆっくりとと、焦らないように教えれば、時間はかかったが全ての大根の皮を剥き切ることができた。
「じゃあ、鶏肉と葉物野菜を切りましょう」
「どう切ったらええの?」
「食べやすい大きさでいいんですよ」
ミズキにそう言われて杏子は捌かれた鶏肉を小口に切り分けて、葉物野菜も同じようにしていく。不慣れな様子ではあったけれど、指摘するほどのことはなかった。
そう、此処まではよかった。次は煮るための味付けをとミズキが醤油を取り出して渡した時だ。杏子は何を思ったのか、どばっと入れようとしたのだ。それを慌てて止めに入る。
「何かいけへんの?」
「お醤油の入れすぎは良くないですよ!」
「味付けやろ?」
「お醤油だけの味になっちゃいますよ!」
醤油だけで味付けをするわけではない。出汁や砂糖、塩や酒などを使い味を整えるのだとミズキは杏子に説明する。醤油を大量に入れてもただの醤油味なだけで美味しくはないし、ただ濃くなってしまうだけだと。
「えっと、椎茸とかで取ったお出汁ってあります?」
「あぁ、それなら今朝作ったものが……」
傍にいた小間使いの鬼女から出汁のはいった鍋を受け取ってミズキは手際良く杏子に指示をだす。
醤油は入れすぎては駄目なこと、出汁はしっかり入れること。酒も入れすぎは駄目、砂糖はほどほどに。教えられることを杏子は覚えながらやる。
「凰牙様はどんな味付けが好みですか?」
味をみて問うミズキに杏子はうーんと首を捻った。
「凰牙は濃い味付けが好きやったと思うわぁ」
濃い味付けかなという返事にならもう少し出汁をと味を足していく。
「紅緑様はどんな味付けが好きなん?」
何度が味見をして整えていくミズキに杏子が質問してきたので、少し濃いぐらいかなと答えた。濃い味というよりは少し濃いぐらいだ。
「微妙な味付けによくできるわね」
「まぁ、濃すぎなければいいので」
「その調整ができるから料理が上手いのよねぇ」
羨ましいわぁと杏子は眉を下げた。こればっかりは作りながら覚えていくしかないので仕方ない。ミズキは「やっていけば覚えますよ」と言うと「頑張ってみるわ」と返された。
そうやって会話をしながら味を調整し終えて、あとは灰汁をとりながらじっくり煮込むだけとなった。味をしっかりと調整したので不味くはない。杏子もこれなら出せそうだと笑みを浮かべていた。
小間使いたちもほっと胸を撫で下ろしているので、よほど酷いものを作ったのだなとそれだけで分かった。一息つこうかと思っていた矢先に小間使いの鬼女が慌てて台所へと入ってきた。
「どないしたの?」
「奥様、その……
「はぁ?」
杏子の不機嫌そうな声に小間使いの鬼女が、紅緑を探してやってきたらしいことを伝える。そこで、此処まできて絡新婦が話を聞いたらしく人間の料理を食べてみたいと居座っているのだと。
杏子は眉を寄せている、彼女は絡新婦をあまり良く思っていないようだ。どうかしたのかと聞くと、あの絡新婦の
「凰牙にも色目使ったのよ、ほんと嫌やわ!」
苛立ったように腕を組んで「ミズキも気をつけて」と怖い顔で言われては何も言い返せず、ミズキは黙って頷いた。
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