(5)

 俺としては、由仁に最大限の怒りと拒絶を突きつけたつもりなんだが、こういう強い警告は本人の面前で直接ぶちまけないと効果が薄い。これまでも俺や章子の苦言をつらっと聞き流してきた由仁だ。どこまで効くのか、正直心もとなかった。そして、由仁の反応は悪い意味で予想通りだった。俺の怒りが一過性のものだと見くびった由仁は、敬士さん経由の絶縁宣言をスルーしようとした。


 わたしは何も悪くないのに、いきなり会社を辞めさせられたの。愛理の世話をしながらじゃ職探しができないわ。求職中愛理を預かって。そう言いたかったんだろう。つらっとした顔で、子供を連れて俺の家と陽花のマンションにやってきた。

 だが、俺だけでなく陽花からもぴしゃっと門前払いを食らって窮地に陥った。そりゃそうさ。図々しいあいつは、噛みつき癖のある有美ちゃん以上に同年代の人たちから敬遠され、男女問わず友人がいない。俺や陽花以外に子供を託せるやつなんか誰もいないんだ。俺らに突き離されたら万事休すなんだよ。


 有美ちゃんも決して褒められた性格ではないが、パワフルで頑固な分、仕事はきちんとこなす。協業が下手くそなだけで、手は抜かないんだ。だからこそ、衝突と転職を繰り返してきたものの職を完全に失ったことはない。そして今は、男と別れて自立に舵を切っている。このかちゃんを陽花抜きでしっかり育てなきゃと気合いが入ったから、これまで以上に正面から仕事と向き合うようになった。いい意味でエンジンがかかったんだ。

 仕事への前向き姿勢がはっきり見えれば、有美ちゃんの外部評価も変化する。気分任せに突っ走ってしまう悪い癖が、パワーがあってタフだと逆評価してもらえるようになるんだ。仕事でがんばれば同僚の信頼度も上がる。それは対人関係の改善に直結する。これまでよりずっと働きやすくなるはずさ。


 由仁はその正反対だ。由仁自身はがんばっているつもりかもしれないが、周囲はあいつにすちゃらか以上の評価を決して与えない。会社から追い出されたということは、人間関係がぼろぼろなだけでなく仕事に必要なやる気もスキルも全く足りなかったんだろう。

 そんな有様だと、仕事がこなせるからちゃっかりを押し通せるのではなく、寸足らずの分をちゃっかりで埋め合わせていると思われてしまうのさ。ちゃっかり屋の『お願い』は、たかられた者にとっては搾取だ。実際、章子は由仁に搾取されっぱなしだった。そんなやつと喜んで付き合おうとする物好きなんかいるものか。

 敬士さんが由仁のどこに惹かれたのか知らないが、由仁のちゃっかりにこき使われっぱなしなのは気の毒だとしか言いようがない。


「はあー……」


 せっかくの日曜。家でゆっくりしていたかったが、図々しい由仁がまたぞろ警告を無視して押しかけてきそうな気がしたので、家を施錠して野原に出向いた。大小のトラブルがどれも好転しつつあったのに、由仁のせいで気分は最悪だ。ネガティブな感情は野原に持ち込みたくなかったんだがな。


 ほのかに秋の匂いが漂い始めた野原をゆっくり見渡す。まあ……いつも通りだ。まだ秋草の気配は淡く、色褪せ始めた夏草が、猛暑による疲れを隠すことなく晒し出している。だが今は、代わり映えしないことがどうしようもなく奇妙に見える。そう、この前荒れ狂った台風の被害がかけらも見当たらない。

 先の上陸台風は各地で大きな被害を出した。野原のあるこの町でも街路樹や電柱が倒れたり、家屋の屋根が吹き飛んだりと、大きな被害が出た。でも野原の様子はまるっきり変わっていない。野原の周囲では豪雨でえぐられた路肩やなぎ倒された雑草が爪痕として残っているのに、野原には風雨の影響が何も残っていない。それでふと思ったんだ。台風の最中、ここはどうだったんだろうかと。台風が来ても、野原だけが台風の目の中にいて変化なし?


「いや……そんなことはなかったはずだ」


 変化を拒否すると言っても、俺らの侵入は拒んでいない。いや、拒めていない。入り込んだ者、または物による変化をできるだけ早く元に戻そう……そういうアクションが働くんじゃないかな。

 この野原は奇妙だ奇妙だと言い続けてきたが、実は俺らの日常ってのもこの野原とそう変わらないのかもしれない。同じことを繰り返しているように見える日々にも、変化の波は押し寄せている。その波が小さいうちは、俺らが無意識に変化した部分を補修して日常の範囲内に戻しているんだろう。

 じゃあ、大波が押し寄せて日常を激変させてしまった場合は? この野原は、しゃにむに以前の姿に戻そうとする。だから奇妙なんだよ。俺らには野原のような神通力がない。何もかもを元に戻すことはできないから、失われた日常の代わりに新しい日常を整備しようとするんだ。野原と俺たちとの違いは、その一点に集約されるのかもしれない。


 野原をぼんやり見ながらあてどなく考えを散らかしていたら、背中に声が当たった。


「お義父さん」

「お? 敬士さんか。娘が迷惑かけてすまんね」

「いえ」


 また一人かと思ったが、敬士さんは愛理を抱いていた。


「あーあ、由仁のやつ、とうとう愛理を君に押し付けたのか。敬士さん、今日は勤務なんだろ?」

「仕事は休暇を取りました。でも、愛理の世話のためじゃないんです」


 敬士さんがきっぱり言い切った。


「僕がゆーちゃんから愛理を取り上げたんです」

「は?」

「離婚を……切り出しました」


 げ……。


「ゆーちゃんがどうしてもお義父さんの言いつけを守れないなら、僕もゆーちゃんの頼みを聞くことはもうできない。愛理の育児を責任持ってできないなら、僕が一人で育てる。そう言い残して、ここに来ました」

「……思い切ったね」

「これで、少しでも考え直してくれればいいんですけど」


 ふうっ。愛理の上に小さな溜息を落として、敬士さんが目を伏せた。敬士さんは穏やかで辛抱強い人だ。デリカシーのない由仁の屁理屈にとうとうぶち切れたということではないはず。離婚まで持ち出したってことは、何をどう言っても聞く耳を持たない由仁への警告強度をぎりぎりまで上げたんだろう。


「あいつが底なしの愚か者でないことを祈りたいが……由仁だからなあ」


 なんともばかばかしい。崖っぷちに追い立てられないと俺や敬士さんの切羽詰まった心情を理解できないなんてのは、我が娘ながら情けないの一言だ。


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