Episode9 裸の彼女様

 今宵、俺はルカちゃんと一線を越える予定だ。

 真の意味での彼氏と彼女、つまりは男と女の関係になる。

 さらに濃厚で甘やかな蜜の香りが溢れている秘密の花園へと、彼女と二人で足を踏み入れるんだ。


 思い返してみれば、ルカちゃんと付き合うまでの道のりは険しかった。

 可愛さと綺麗さが絶妙な具合でブレンドされたルックス、折れそうなぐらいに細いけどおっぱいとお尻はしっかりあるスタイルに綺麗な肌、性格も今どき珍しいぐらいに真面目でお淑やかで清純だけれども少し天然で……こんなに魅力的なルカちゃんが周りの男たちにモテないはずがない。

 俺は彼女という可憐な花に蜂のごとくブンブンと群がらんとしている男たちを追い払い、彼女の恋人の座を射止めたのだ。


 交際を承諾してくれる時、ルカちゃんは俺にこう言ったんだ。


 「あなたを私の運命の人だって信じていい? 私のこと、一生大切にしてくれる?」と。


 普通の女の子がこの台詞を言ったなら、「重ッ!!」となってジリジリと後ずさりしたくなっていただろう。

 でも、彼女なら別だ。

 俺も彼女を運命の人だって信じている。

 そして、彼女を……彼女の身も心も一生大切にするんだ。


 ルカちゃんの部屋――俺と彼女が肉体的な意味での男と女としての始まりを迎える場所――は、ルームフレグランスの良い香りがふわりと漂っていた。

 部屋の中も綺麗に整理整頓され、インテリア自体はちょっと少女趣味で全体的にメルヘンな雰囲気ではあったものの、ルカちゃんらしさを随所に感じさせていた。


「先にシャワーを浴びてくるね」


 そう言ったルカちゃん。

 しばらくして、シャワーの音が聞こえてきた。

 記念すべき初夜のプロローグのごとき音が。

 そのプロローグが終わった時、ついに本編が始まる。


 迫りくる興奮を鎮めるために、俺はルカちゃんの本棚を眺めていた。

 本棚のラインナップも俺のルカちゃんに対するイメージを裏切らないものであった。

 毒々しいフォントやツッコミどころ満載のキャッチコピーが並んだ安っぽいファッション雑誌なんか一冊もない。

 モテ本やスピリチュアル系、ビジネス本や自己啓発書、陰謀論に関しての本なんかも一冊もない。

 ルカちゃんの本棚に並んでいるのは、名作と名高い古典的な海外小説の文庫本……そして、中でもひときわ存在感を放っているのは、彼女が幼い頃から繰り返し読み込み、とても大切にしてきたであろうことがうかがえる三十冊近くの海外童話の絵本だった。


 ええと、この話は確かアンゼルセン童話で、こっちはグリム童話だったけ?

 いや、逆だったか?

 あ、ペロー童話にイソップ童話まで揃えているのか?


 童話たちのタイトルを眺めながら、俺は想像していた。

 おそらく今から数年後に俺とルカちゃんは結婚して、可愛い子どもも生まれるだろう。

 その子どもに、ルカちゃんがこの絵本を優しく読んであげている光景を……。

 


 突如、止んだシャワーの音に、俺の脳内タイムスリップは中断され、現在にギュルルンと引き戻された。

 今夜に子どもを作る気はないので、しっかりと避妊はする。

 それに、絶対に処女であるだろう彼女が怖がって泣き出したなら……俺はすぐにでも行為を止めるつもりだ。

 彼女を大切にするために。


 俺はルカちゃんが、汚れなき雪のごとき純白のバスタオルに肌身を包んで戻ってくるものだと思っていた。

 その後、部屋の灯りを消して……と思っていた。

 けれども、違った。


 ルカちゃんは一糸まとわぬ姿のまま、俺の前に戻ってきた。

 薄闇の中ならまだしも、部屋の灯りはついたままだ。

 青白い光を頭上から放つ蛍光灯は、はっきり&くっきりとルカちゃんの裸体を照らしていた。


 え? え? え? ルカちゃんって、こんなに大胆な娘だったのか?

 そんなことより、なんて綺麗な身体なんだ。

 ダメだ! もうこれ以上は俺の理性が……! 理性が……っ……!!


 突き上げてくた俺の欲望に比例する身体の動きを阻むように、ルカちゃんが言った。

 「今夜のために、私はこのランジェリーを用意したの……」


 え? ランジェリーって、何も身につけていないじゃないか?

 今、君は……俺の前で生まれたままの姿になっているじゃないか?


「な、何言っているの? ルカちゃん、そんなことより、俺はもう…………」


 俺の答えを聞くやいなや、顔をクシャクシャにしたルカちゃんはしゃがみこんで泣き出した。

 泣きじゃくるルカちゃんは、嗚咽とともに叫びを絞り出した。


「やっ、やっぱり、あなたも違った……っ! あなたも私の運命の人じゃなかったんだあぁっ!」


 どういうことなんだ?

 さっぱり事情が飲み込めない。

 と、と、とりあえず、バスタオルでもかけてあげた方が良いだろう。

 えーと、バスタオルはどこだ?

 俺が急いでバスルームへと向かおうとした時、部屋の中にシャララ―ンという何やら神聖さを感じさせる音が響き渡った。


 俺の目の前に現れたというか、宙にふわりと浮かんでいたのは一体のドレッシーな人形……いわゆるビスクドールと呼ばれている物だった。

 いやいや、こいつは真の意味でのビスクドールじゃない……!

 普通のビスクドールなら宙に浮かんだりしないし、そもそも眉根を寄せた険しい顔で俺を睨みつけたりもしないだろう。

 それによくよく見れば、顔立ちやフリルに包まれた衣装こそは如何にもビスクドールよろしくといった感じであるも、蛍光灯の下で確認できるその肌は陶器ではなく明らかに生身の物であるうえ、小皺も多々確認され、相当に年季が入っているのは明らかだった。


 アンバランスにも程があるこの異形の者は俺を親の仇のごとく睨みつけたまま、言い放った。


「私は昔から彼女を守っている妖精です。人より抜きんでて美しく生まれた彼女には、幼い頃からたくさんの有象無象とも言える男が群がってきました。ですが、今の時代、珍しいぐらいに真面目でお淑やかで清純な彼女は、たった一人の運命の人を求め続けていたのです。その運命の人に、身も心も大切にされたいと……数多の童話に出てくるお姫様のように王子様に一生愛されて守られたいというのが彼女の願いなのです。……ですが、性欲に支配された汚らわしき者どもは、美しい彼女を我が物とするためにはどんな甘い言だって吐くに違いありません。それも、口先ばかりの無責任な言葉を……だから、私は策を講じたのです。ここまで話したなら、その策というのが何であるのかも薄々お分かりでしょう?」


 キラリーンと目を光らせた妖精は、ルカちゃんの本棚の海外童話絵本の一冊の背表紙に目配せした。


「そう、あの有名なクリスチャン・ハンス・アンゼルセンの童話『裸の王様』に私たちはヒントを得たのです。なお、私は童話に登場するイカサマ詐欺師たちのようなことはせずに、この妖精ならではの力を以てして本当に魔法をかけました……彼女のお気に入りのランジェリーにね。そのランジェリーは、彼女を本当に幸せにしてくれる運命の人にはしっかり見えるけれども、それ以外の者には見えない……あなたは見えなかった。すなわち、あなたも彼女の運命の人ではなかったということです。あなたでもう二十六人目です。……先ほど、私が立てたシャララ―ンという音は、今宵のエピローグの始まりを意味する音だったのですよ。さあ、一刻も早くお帰りくださいな。股ぐらの汚らわしきモノについても、ご自分で処理すること。これ以上、彼女の前にいるなら私はあなたに何をするか分かりませんよ」


 俺に向かって、今度はギラリーンと目を光らせた妖精。


「……わ、分かった。すぐ帰るから最後にこれだけは言わせてくれ。いいや、最後にツッコませてくれ。アンゼルセンの『裸の王様』からヒントを得たってことだけど、アレンジの仕方がまずいよ。アレンジするにしたって、逆にすべきだったと思う。彼女を本当に幸せにしてくれる運命の人にはしっかり見えるけれど、それ以外には見えないランジェリーってことは……今までにルカちゃんは俺を含めて二十六人もの男に普通は見せない秘めるべき姿を……すなわち裸をしっかりと見せていたんだろう? これから現れるかもしれない運命の人以外にも、彼女の裸を知っている男が現時点で少なくとも二十六人はいるってことだろう? 今の時代に珍しいぐらいに真面目でお淑やかで清純とか自分たちでも言っているわりには、そこら辺は一切、気にならなかったのか? それは別に良かったのか?」


 「あ……」


 妖精もルカちゃんも言葉を失っていた。



(完)

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