Episode6 奇跡の裏側

 ツグミさんは、同級生の翔平さんのことが幼稚園に通っている頃から好きでした。

 ですが、同じ年頃の少年少女たちと集団生活をいうものを続けていくうちに、自分と翔平さんの間には、目には見えないうえ誰もあえて口に出すことはないけれども、肌ではしっかり感じることができるヒエラルキーがあるのが分かってきました。

 それでも少しでも翔平さんの近くにいたい、自分が単なる同級生の一人としてでも翔平さんの日常生活に組み込まれてさえいればいい、とあまり得意ではない勉強をツグミさんは頑張りました。

 その日々のたゆまぬ努力により、専攻こそ違えども大学まで何とか彼と同じ学校に通うことができたのです。


 時は過ぎ、ツグミさんの心に秘めたる思いは誰にも悟られることなく、そのまま昇華されていきました。

 実らなかった……いえ、最初から実るはずないと分かっていた恋心が、ツグミさんに残したのは、高い学歴と目標に向かって邁進し続けることができる力でした。

 なお、ツグミさん自身は勉強はあまり得意でないと思っていたようですが、元々ある程度の頭脳の下地がなければ、文武両道かつ眉目秀麗な翔平さんと同じ進路を歩み続けるなど無理だったでしょう。


 さらに時は過ぎ、一流企業に就職していたツグミさんは、そこで出会った同僚男性と結婚しました。

 その後、出産に育児にと慌ただしい日々を送るうちに、かつての初恋の人の顔や面影、声すらももう、春の霞に浮かぶ朧月のように美しくも朧げなものとなってしまいました。


 しかし、ある日突然、ツグミさんはニュースで翔平さんの名前を目にすることになりました。

 何らかの事件ならびに事故に巻き込まれた、もしくはそれらを起こした側になってしまったと思いきや、翔平さんが宇宙飛行士の候補に選ばれたとのニュースでした。

 もはや、この展開にはさすが、としか言いようがありません。

 なお、同級生からの風の噂で聞いてはいたのですが、翔平さんもすでに結婚し、子どももいました。


 あんな素晴らしい人の奥さんとなれた女性を羨ましく思う気持ちが湧き上がってきたのですが、今はツグミさんもツグミさんで大切な家族がいるのです。

 平々凡々でありながらもささやかな幸せを感じることのできる日々の生活へと、自分の人生へと、ツグミさんは心の目線を戻しました。

 学び舎を同じくしていた時間は長かったとはいえ、自分と彼の人生は交差することはないのです。

 今までも、そしてこれからも。

 

 そのはずだったのです。

 ですが、そうはならなかったのです。

 なお、翔平さん自身もツグミさんの名前こそ元同級生として一応は覚えてくれてはいたようでしたが、顔などはもう朧気なものでありました。


 それに”あの日”、ツグミさんの身を襲ったことは彼女に対する悪意から生じたものではなく、紛れもない事故でした。

 翔平さんの奥さんが車を運転中に意識を失い、歩道を歩いていた買い物帰りのツグミさんに向かってアクセル全開のまま突っ込んでいくなど誰が予測できたでしょう。

 ツグミさんは即死でした。

 翔平さんの奥さんは事故で負った外傷こそ浅かったものの、病院へ搬送される途中で亡くなりました。


 死神は翔平さんの奥さんを狙っており、ツグミさんはその巻き添えを喰らうかたちとなったのか?

 それとも、ツグミさんはツグミさんで別の死神に狙われており、結果として死神同士の仕事が交差することになったのか?

 どちらであるのかなど確かめるすべもないし、確かめたところでもうどうしようもありません。

 突然の死に断ち切られた後のツグミさんの人生は、こんな形で翔平さんの人生に交差してしまったのです。


 事故はニュースでも報道され、翔平さんは宇宙飛行士の候補者から降りることとなりました。

 時間を戻せたら良いのに、突然の死が避けられぬ運命であったとしてもほんのわずかでもタイミングがずれていたら、ツグミさんの方だけは助かっていたかもしれないのに、と誰もが思ったでしょう。


 時間は戻せない。

 失った命はもう帰ってはこない。

 これらのことは太古の昔からの……そう、現代のように人類の何人かが宇宙にへと旅立つ時代になる前からの普遍的事項であり、常識的な事項でもありました。


 ですが、その常識というレールを逸脱した奇跡が起こったのです。

 戻せるはずのない時間は、不運で不幸な事故前へと巻き戻されました。

 彼女たちの命日となっていたはずのあの日、子どもたちの見送りを終えたツグミさんは急な眩暈に襲われたため、買い物に行くことができませんでした。

 また、翔平さんの奥さんも運転中に意識を失うこともありませんでした。

 学び舎を同じくしていた時間は長かったとはいえ、交差することのなかったツグミさんと翔平さんの人生も、さらには彼女たちの家族の人生もそのまま続いていくこととなったのです。

 たった一人の犠牲を以てして……。


 生物学的な点で地球の人類に少しばかり類似した者たちが生きる、銀河系のとある星の、とある地の、とある牢獄にて、一人の女性が拷問を受けていました。

 その拷問の凄まじさたるや、地球上の歴史に残る中世ヨーロッパなどの魔女狩りにも匹敵するほど残酷であり容赦も救いもないものでありました。

 女性に寄ってたかって執拗な拷問を繰り返す者たちは、このままの流れで……すなわち自分たちの手によって、こいつが死んでしまっても良い……いや、死んで当然だと思っていました。


 こいつは許されざる罪を犯したのだから。

 地球などという我々の劣化版と言える星の、とある国の、とある”女”に入れ揚げた挙句、時間を巻き戻すというタブーを犯したばかりか、その女のみならず他複数人の運命にまで干渉して捻じ曲げたのだから。

 その女の”長きにわたる初恋の男の妻”が亡くなってしまっては女だってきっと心を痛めるであろうからと、本来は運転中に意識を失ったまま事故を起こして死ぬはずであった者の寿命までも伸ばしてしまったのだから。


 そう、これがツグミさんたちを救った奇跡の裏側でした。

 自らの名誉や命すら投げ出すことも厭わないほどに、ツグミさんを愛していた者がいたのです。


 すべての愛が報われるわけではない。

 それども愛さずにいられない、愛する者を救うために禁忌を犯さずにいられないのは、地球人も宇宙人も同じ。


 ですが、ツグミさんはこれから先、その愛に気づくことも、知ることもないでしょう。

 自分では平々凡々な日々であり人生がこれからも続いていくと思っているツグミさんが、自らの身に奇跡が起こっていた、性別のみならず星をも超えた愛によって守られていたとは……。


 やがて、ツグミさんの元に、ついに翔平さんが宇宙へと旅立ったというニュースが届きました。

 ちょうどその日は銀河系のとある星の、とある荒れ果てた地にて、襤褸切れのようになった女性の遺体がゴミのごとく投げ捨てられた日でもありました。



(完)

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