Episode5 空からアレが降ってくる!

 自他ともに認める熟練魔女・タニアは、とある新米魔女の教育係に任命された。

 任命したのは、魔女界の重鎮とも言える老魔女であった。

 タニアが見たこともないほどに神妙な顔つきをした老魔女はこう言っていた。


「……あの娘は本当に恐ろしい娘じゃ。底知れぬ力を秘めておる。かれこれ、千年以上も魔女として修羅場をくぐり抜け、酸いも甘いも嚙み分けてきた、このわしまでもがあの娘の力に飲み込まれてしまうのでは思うほどであったからのう。…………いずれ、あの娘は”悪気なく”お前さんまで踏み台にして、世に並ぶものもないほどの魔女となるのではないかとも思うんじゃ」


 この話を聞かされた時のタニアは、内心穏やかではなかった。

 嫉妬という名の蝋燭に灯された炎がチロリチロリと揺らぐ。

 その揺らぎは徐々に激しさを増してくる。

 なぜなら、タニアはこの老魔女含め、優れた魔女を幾人か知っているし、何より自身だって魔女としてはなかなかのものだと自負していた。

 けれども、老魔女にこう「恐ろしい」とまで言わしめたのは、いまだかつて誰もいなかったであろう。

 それに、タニア自身も踏み台にされるかもしれないとは……!


 しかし、意外に切り替えの早いタニアは、別方向から今回の件を考えてみることにした。

 まだ顔も見ていない娘は、言わば魔女界の期待の新星だ。

 その期待の新星の教育係に、老魔女が他でもない自分を選んでくれたことからすると、自分もそれなりに認められていると言えよう。

 それに、老魔女の予言通りに、その娘がこの世に並ぶものもないほどの魔女となったのなら、自分はその魔女の師となるのだ。

 自分が育てた……というか、これから育てていく予定の娘が魔女としての大成功をおさめたとしたなら、子どもの教育に命をかけるママではないも、自身の功績にもなるということだ。



※※※



 ついに、タニアは魔女界の期待の新星と顔を合わせることとなった。

 彼女の名前はララ。

 星の瞬く夜ではなく太陽が輝く昼間、だだっ広く物悲しい風の吹く荒野でタニアはララと待ち合わせ、互いに挨拶を交わした。


 タニアの目に映るララは、正直なところ、どこにでもいるような普通の娘だった。

 新米とはいえ、魔女ならではの険や毒気、禍々しさなどは微塵も感じさせず……というより、どこかポヤンとした雰囲気のためか苦労知らずで世間知らずの妖精を思わせる娘であった。


 だが、”見かけによらず”という言葉は、人間どもだけでなく、魔女たちの間にだって通用する。

 如何にも魔女然とした者よりも、案外、こういった娘の方がナチュラルにとんでもないことを人間たちに対して仕出かせるのかもしれない。


 気を引き締め直したタニアは、さっそく参考資料として持ってきたスクラップブックをララに手渡した。

 この年季の入ったスクラップブックは、タニアが今までに”手掛けた仕事の功績”を集めたものだ。

 当時の新聞記事の収集に始まり、インターネットの発達した現代ではまとめサイトの記事をプリントアウトしたものまである。


「……どうだい? これらは全部、この私が引き起こしたものなんだよ」


 得意気なタニア。

 タニアは当然、尊敬あるいは感銘に属する類の言葉がララより返ってくるものだと思っていた。

 

「いったいどういった理由と経緯で、このようなことをしたんですか? 1859年にイギリスのウェールズ地方で魚の雨を大量に降らせたとのことですが、当時、何かこの地方の人々と揉めていたりしたんですか?」


「……何もないよ」


「何もなかったのに、魚の雨を降らせたんですか? もしかして、1877年にアメリカ・ノースカロライナ州の農園に小さなワニを降らせた時にも、農園関係者とトラブルがあったというわけではなかったんですか?」


「何もないよ。あるわけないだろ」


「それなのに、こんな嫌がらせをしたんですか? 何の理由もないのに……」


「理由があろうがなかろうが、人間どもを驚かせたり、困らせたり、苦しめたりするのが魔女ってモンなんだよ!」


 タニアは思わず大きな声を出してしまった。

 初っ端から調子が狂うというか、ララのペースに飲み込まれてしまいそうになっていることに気づく。

 コホン、と咳払いをしたタニアは続ける。


「私があんたにこれを見せたのは、あんたにもこういったことができるようになって欲しいからなんだ。これらは『ファフロツキーズ現象』とか名づけられているし、科学的に解明できる現象であるとも分析されてはいるみたいだけどね。だが、油断しきっている人間どもを……空から降ってくるものなんて雨や雪、時折、雹ぐらいだと油断しきっている人間どもを、何の前触れもなく驚かすのにこれほどダイナミックな手はないだろ?」


「よく分からないけど、凄いと思います。派手でナンボって感じの大味な嫌がらせですね」


 どうやら、このララという娘は悪気なく、ナチュラルに引っかかる言い方をするというか、人を不快にさせるタイプのようだ。

 だが、いちいち気にしていては前に進めない。

 魔女の世界でも、スルースキルは大切だ。


「今から早速、実践するよ。最初から広範囲に渡って大量に降らすのは無理だと思うから、まずはカエルの一、二匹でもここに降らしてもらおうかね。私が降らせたものの中でもカエルが一番多いわけだし、あんただって最初がカエルならやりやすいだろう」


「え? カエルですか? カエルはちょっと……私、子どもの頃から大切にしている童話集があって、その童話集にお姫様がキスをしたら元の王子様の姿に戻るカエルのお話があるんですよね。元の姿に戻った時の王子様の挿絵が描かれているんですけど、うっとりするぐらい綺麗なんです。だから、私にとってカエルは単なる道具や使い魔というよりも、美しい王子様の仮の姿っていうイメージの方が強くて……」


「カエルを降らせたくないっていうなら、他のものでいい! 人間が嫌がると思うものを降らせるんだよ!」


「……人間が嫌がるもの? えーと、ゴキブリとか?」


「良い案だ。それでは、さっそくゴキブリを……」


「いや、私だってゴキブリは大嫌いですよ。姿を見るだけで、テンション下がるじゃないですか。怖いし気持ち悪くなっちゃうっていうか。そもそも、ランチ前に気持ち悪いものをあまり目に入れたくないんですよね」


「………………」


 タニアの調子は狂いまくりだった。

 秘めた力のほどはいざ知らず、シンプルな話、このララには魔女としての性格的な適性がないのではないかと。

 だが、グッと堪える。

 今日はまだ初日なのだ。

 初日で教育係を投げ出すわけにはいかない。

 タニアは、日本にまだ江戸という町があった頃(1793年頃)に、小雨に混じらせて大量の獣毛を降らせたことを不意に思い出した。

 日本においては「怪雨(あやしのあめ)」といった言葉で表現されているらしいが、その日本の諺なるものに「雨垂れ石を穿つ」という言葉があった。

 小さな雨の雫でも、何度も繰り返し石の上に落ちるうちに、その石に穴を開けるまでとなる、と。

 何事も根気強く、粘り強く、諦めることなく、続ける。

 そうしてきたからこそ、今日の魔女としての自分がある。

 ララの扱いに早くも戸惑い初めているとはいえ、今はまだ雨垂れから数滴の雫がポツリ、ポツリと落ちてきたばかりなのだと、タニアは自分に言い聞かせた。

 けれども、タニアも知らなかった。

 「雨垂れ石を穿つ」の元々の意味(由来)は、「小さなことでも積み重なると、やがて大きな災いとなってしまう」のだということを……。



「カエルやゴキブリを降らすのが嫌だっていうなら、他の候補をあげてみるんだ。そう、『空からアレが降ってくる!』と人間どもを壮絶に驚かせるものをね」


「はい、分かりました。…………人間たち、特に人間の女たちにとって、アレと言えば生理。そうなると、使用済みのタンポンを……」


「誰のタンポンだ!? 他に候補はないのかい!?」


「え、えっとぉ、他にアレと言えば、男の人の……」


「それも”誰の”だ! あんたはなぜ、そうシモ系のネタを持ってくる!」


 反射的にツッコミをいれてしまったタニアであったも、よくよく考えてみるとララが挙げた候補はなかなかに良いんじゃないかとも思った。

 使用済みのタンポン、あるいは男の生殖器を空から降らせる。

 前者はトイレのゴミを漁り、後者は先に何百人もの男の生殖器を事前に切り取って集め、腐らないように大切に保管しておくという手間はかかるものの、どちらも人間どもに多大なパニックを引き起こすであろう。

 ララが言うように、”派手でナンボで大味な嫌がらせ”であろうが、ちゃんと変化をつければ……バリエーションを増やせば、新たな地獄絵図を描くことなど簡単だ。


 近いうちに実行させてもらおうか。

 新人のアイデアをパクるお局のごとく、タニアは頭の中にララのアイデアをこそっとメモしていた。


 当のララはまだウーンウーンと悩んでいるようであった。

 この様子じゃ、かなりの時間がかかるだろう。


「こうなったら、魚だ。もう魚でいい。今から私が魚を一匹降らすから、ちゃんと見ておくんだよ」


 目を閉じたタニアは近くの魚市場へと、意識を飛ばした。

 タニアの意識が魚を見つけた数秒後、空から一匹の魚が振ってきた。

 さすが熟練魔女といった手際の良さと正確さであったが、やはりララの反応はタニアの予想を大きく裏切るものであった。


「あ! ダメですよ! こんなことしちゃ!」


 ララが魚に向かって右手をかざすと同時に、魚は消失した。


「何をしたんだい!?」


「”元の場所に戻れ”って、念じただけですよ。今の魚はすでに死んでいて、しかも氷まで付着していたってことは、どこかの魚市場かスーパーマーケットに売られていたものですよね? いくら魔女とはいえ、お金も払わずに商品を持ってくるのはどうかと思うんです。付いてしまった土を落とすことまではできなかったけど、いきなり商品が消えて、売り手側が金銭的損失を被るよりはマシだと思いましたから」


 魔女にしては無駄なモラルの高さ。

 魚を一瞬で元の場所に戻されたうえに、(人間どもの世界でいう)万引きを咎められたタニアの顔が赤くなる。


「わ、私みたいに魚市場の魚を一匹失敬するのが、あんたのモラルに反するっていうなら、あんた自身の社会的ルールで魚を降らせてみな! 大きくて生きのよい魚を一匹、いや連続でもう一匹、降らせてみるんだ。それで今日のところは終わりにしといてやるよ」

 

「はい! 頑張ります!」


 満面の笑みで答えるララ。

 当のタニアは、魔力も体力も大して使っていないというのに、しかもまだ昼前だというのに、なんだかすごく疲れてしまったような気がするので、早く帰って休みたかった。


 目を閉じたララは、どこかに意識を集中させていた。

 おそらく誰のものでもない海へと意識を飛ばし、泳いでる魚を捕まえて、空から降らそうとしているのだろう。



※※※



 十数分が経過した。

 空からはまだ何も降ってきそうにない。


 やれやれ、さっきのは”まぐれ”だったか。 

 死んだ魚を元の位置に戻すことはできても、泳いでいる魚を捕まえて空から降らす……すなわち召喚することはさすがにまだ難しいみたいだね、とタニアはララを一旦止めようとした。


 その時、タニアの視界が急に暗くなった。

 太陽はまだ高く昇っているはずだが、雲行きが急に怪しくなってきたのだろう。


 この様子じゃ、魚よりも雨が降る方が早そうだね。

 天気雨のことは確か日本の言葉では「狐の嫁入り」とか言っていたような記憶が……とタニアは何気なく空を見上げた。

 そして、ハッとした。

 空にあったのは、雨雲ではなかった。

 今まさに空から降ってこようとしているのも、雨ではなかった。


「ひゃああああっ!!!」


 タニアは空から降ってきた”それ”の直撃を、間一髪避けることができた。

 地震に見舞われたがごとく、大地が震えた。

 空から降ってきたのは、一匹の魚だった。

 けれども、たった一匹の魚が空から降ってきただけで、これほどまでに地が震えることがあろうか?

 それもそのはず、降ってきたのは魚(魚類)といえども鮫だった。


 しかも、尋常じゃない大きさの鮫だ。

 これほどの大きさ(体長)の鮫は、現代では確認されていない……いや、確認されていないというよりも、”絶滅した”とされていた。

 だが、この鮫はまだしっかりと生きている。

 もしや、この鮫は――!!!

 

 腰を抜かしたままのタニアとは対照的に、目を開けたララはうれしそうに飛び跳ねた。


「わ! やっぱり、”メガロドン”って迫力ありますね! それじゃあ続けて、もう一匹、いっきまーす!」


 ちょちょ、ちょっと待てぇ!

 メガロドンは絶滅していなかったのか、それともララの意識と魔力は時空を超えに超えて太古の海にまで及び、そこにいたメガロドンを捕まえたのか、そのどっちであるのかは分からないし、タニアには確認する余裕などなかった。


 空から、アレが…アレがもう一匹、降ってくる!!!


 こんなことになるなら、魚じゃなくて、カエルかゴキブリのどちらかを降らせるように指導すれば良かったのか?

 それとも、「連続でもう一匹」などとは言わずに、一匹だけで止めておくように言えば良かったのか?


 タニアの脳裏に、老魔女が言っていたことが……「いずれ、あの娘は”悪気なく”お前さんまで踏み台にして、世に並ぶものもないほどの魔女となるのではないかとも思うんじゃ」が蘇ってくる。

 踏み台にされるどころか、ここままでは潰される――!!!


 一匹目のメガロドンは何とか避けることができたタニアであったが、二度目の幸運は起こらなかった。 



(🦈完🦈)



【参考文献】

・歴史の謎を探る会『世界怪異事典: 科学が説明できない奇怪な出来事200』河出書房新社、2020年

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