Episode1 子どもが言ったことですから……
「子どもが言ったことですから……」
それが同居中の私の義姉・鞠子(まりこ)さんの口癖だった。
”自分たち”が引き起こしたことの全てが許される免罪符とでも思っていたのであろうか?
彼女が産んだ娘、つまりは私の姪にあたる小学二年生の美珠(名前の読み方は”みすず”でも”びじゅ”でもなく”びじゅー”)は、本当に口から悪意という名の槍を突き出す子どもとしか思えなかった。
つい最近、美珠がその口から突き出した槍を三本ほど箇条書きにしてみよう。
【1】 お正月、親戚一同が本家に集まっての食事の際、私の従兄夫婦に向かって、「おじちゃんたち、結婚して長いのに、なんで子どもがいないの? おじちゃんがインポだから、子どもがいないの?」と無邪気に聞いたこと。
【2】 自室で勉強していた私に向かって、「おばちゃん(私のこと)って、オルメカ文明の”きょせきじんとうぞー(巨石人頭像)”に、そっくりだよね。これって、おばちゃんがモデルになったの?」と無邪気に聞いてきたこと。
【3】 時々、家を訪ねてくる母の知り合いの中年女性に向かって、「高い”ほせーしたぎ(補正下着)”をつけているのに、なんで太ってブヨブヨしているままなの? みんなに嫌われるの分かっているのに、なんでマルチなんてしているの?」と無邪気に聞いたこと。
まず、【1】についてだが、楽しい食事の場がシーンと静まり返ってしまったのは、想像に難くないだろう。
私はまだ飲酒できない年齢――ちなみに後出しになるが私は高校二年生である――であるため、お酒の美味しさは知らないが、大人たちが飲んでいたお酒は一瞬のうちに不味くなったはずだ。
従兄の奥さんは涙目になって俯いてしまったし、皆の前で”インポ”と辱められた従兄の顔は酒よりも”怒り”でさらに赤く染まり始めていた。
私の母が慌てて、「ごめんなさい! まだ子どもだから、言葉の意味をちゃんと分かっていなくて……いったい、どこであんな言葉を知ったんだか……後でちゃんと言い聞かせておくから! 本当にごめんなさい!」と従兄夫婦に向かって頭を下げた。
私の父はすでに鬼籍に入っており、母が――鞠子さんにとっては姑が――自身に代わって謝罪しているというのに、鞠子さんときたら、「そうですよ。子どもが言ったことですから……皆さん、気にせずにお食事を続けてください」と平然としていた。
ちなみに、この間、兄は我関せずといった感じで、黙々と口と箸を動かし続けていた。
次に【2】についてだが、私が当初、美珠の言っている「オルメカ文明の”きょせきじんとうぞー(巨石人頭像)」自体が何か分からなかった……というよりも知らなかった。
高校生の私が授業で学んだことのある代表的な文明と言えば、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、中国文明の四大文明で、あとフワッと思いつくのはギリシア文明やローマ文明ぐらいだ。
よって、私はスマホでググってみた。
なるほど、これは確かに私に似ている……というか、おこがましいことであるも、本当に私をモデルというか崇めるために造られた石像であるかのようだ。
しかし、私は紀元前のメソアメリカで暮らしたこともなければ、行ったことすらない。
いや、問題はそんなことよりも、私がオルメカ文明の巨石人頭像にそっくりであると”鞠子さんが”美珠に教えたことだ。
前述の【1】の「インポ」という言葉と同じく、小学二年生で「オルメカ文明」や「巨石人頭像」を知っている子は極めて少ないだろう。
私自身、「インポ」という言葉とその意味までを知ったのは、性への興味が高まってきた中学一年生の時であったし、「オルメカ文明」や「巨石人頭像」については、高校二年生のこの日までも聞いたことすらなかった。
自分で調べたり、誰かに教えられなきゃ知らない言葉たち。
そして、鞠子さんは何を目的として、美珠にこれらの言葉を教えたのかということ。
透けて見えるどころか、闇夜でもくっきりと”白く”浮かびあがっているかのような”子どもの無邪気さ”を免罪符にした鞠子さんの悪意と底意地の悪さに、今さらながら辟易せずにはいられなかった。
最後の【3】についてだが、自称・母の友人の触れ込みで時々家にやってくる、やたらと馴れ馴れしい中年女性には私も辟易していた。
母が言うには、中学校の同級生ではあったらしいが、在学中もそう親しい間柄ではなかったとのことだ。
知人レベルでしかないのに(友人であっても嫌だが)、しつこく補整下着の勧誘をしに家にやってきていた。
母に向かって「これらをつけると、本当に世界が変わるわよ! 自分のボデー(ボディ)にみるみるうちに自信が持てるようになっていく奇跡をあなたにも体験して欲しいのよぉ。それに、やっぱり女なら灰になる時まで女でいたいと思わない?」とギラギラした目で唾を飛ばしながら、まくし立てていた。
鞠子さんに向かっては「モデルさんみたいねぇ」と目を細めた後、「この下着のセットをつけると、孝彦くん(兄の名前)ともっとラブラブになれるわよ。まだ若いんだから、子どもだっていっぱい作らなきゃ」と母の前で言っていた。
ちなみに、私に向かっては「あ、あら……孝彦くんはイケメンなのに、あなたの方は亡くなったお父さんの血の方がより濃く出ちゃったのねぇ。同じ木になった果実なのに、こうも違っているなんて本当に不思議ねぇ」と、含み笑いをしながら言ってきた。
鞠子さんとはまた違った種類の悪意や底意地の悪さをこれでもかと感じずにはいらえなかった。
おばさんの年齢にある女が高校生に向かって言うことなのか?
いい歳なのに本人を前にして言っていいことと悪いことの区別すらつかないのか?
気の弱い母であるも、さすがにこの時ばかりは言い返そうとしたのが私にも分かった。
しかし、母の反撃よりも先に、美珠の口から例の無邪気な槍が発せられた。
「高い”ほせーしたぎ(補正下着)”をつけているのに、なんで太ってブヨブヨしているままなの? みんなに嫌われるの分かっているのに、なんでマルチなんてしているの?」と。
中年女性は顔を真っ赤にし、即座に退散していった。
「ふん! 子どもに変なこと吹き込むんじゃないわよ!」という捨て台詞を残して。
それについての鞠子さんの返しは、「でも、まあ、子どもが言ったことですから……」であったが。
この【3】に関してだけは、結果として「美珠GJ! (はっきりと断れない母に代わって美珠にいろいろと教えて吹き込んでいた)鞠子さんGJ!」と言えるのかもしれない。
けれども、いつか絶対に「子どもが言ったことですから……」が通用しない時が……許されない時がやってくるのではないかと。
子どもも、やがて大人になる。
さらに、子どもの口から悪意という名の槍を突き出させていたら、それはいつか吐き出した側を貫こうとしてくるのではないかと。
私は正直、鞠子さんのことはこれからも絶対に好きになれないだろう。
でも、美珠は私の姪であり、母にとっては唯一の孫だ。
自分と血のつながった姪が周りから嫌われたり、憎まれたり、距離を置かれたりするようになってしまったなら、姪自身の言動に原因があったとしてもつらいことだ。
悲しい人生を送らせたくない。
相手が被った被害(狂わされた人間関係や人生)の度合いによっては、殺してやりたいほどに恨まれてしまうこともあるかもしれない。
自らの言動の歴史を一切振り返ることなく、気づけば周りに誰もいなくなっていたなんて人生を送らせたくない。
私自身、まだ高校生だし人生経験だって浅い。
自分以外の人間の言動を矯正できるのか、より良い方向に導けるのかなんて、自信なんてあるはずがない。
でも、だからといって、美珠を見捨てることなんてできないのだ。
……と密かに決意していたのだが、箇条書きの【4】と【5】に追加されるような事件が立て続けに起こってしまった。
【1】は、母の必死の謝罪によって収まった。
【2】は、単に私が我慢すれば良いことだった。
【3】は、結果としてマルチ勧誘を追い払うことができた。
しかし、【4】と【5】は違ったのだ。
【4】 同じクラスの愛由羅(あゆら)ちゃんという女児に向かって、美珠は「愛由羅ちゃんのママって、おっぱいをはだけた格好で男の人とお酒を飲むお仕事しているんだよね? お仕事なら他にもいろいろあるのに、なんで愛由羅ちゃんのママはそんなお仕事をしているの? もしかして、愛由羅ちゃんの二番目のパパを見つけるために、おっぱいを見せながら、お酒を飲んでいるの?」と無邪気に聞いたらしい。
その結果、愛由羅ちゃんは一時、行方不明になった。
近くの橋の上に佇んでいたところを無事に保護されたとのことであったが、怒り狂った愛由羅ちゃんのお母さんが怒鳴り込んできたのだ。
玄関先で最初に応対した(チャイムを鳴らされ、知らずとドアを開けてしまった)のは、私だった。
愛由羅ちゃんのお母さんは高校生の私が見ても、一目で水商売をしていると分かる人だった。
そういった世界で働いていると、独特の雰囲気というかオーラが浸み込んでしまうのだろうか?
それはさておき、娘の無事に安堵し、さらには娘を傷つけた”元凶”のところへと泣きながら抗議しにきた愛由羅ちゃんのお母さんは、”子どもを思う母親”でしかなかった。
だが、玄関先での異変を感じてやってきた当の鞠子さんはケロリとしたまま、こう言い放った。
「愛由羅ちゃん、無事に見つかって良かったですね。シングルだから生活が大変なのは分かりますけど、もっと愛由羅ちゃんの側にいてあげた方がいいんじゃないですか? 正直な話、他のママたちからも相当浮いていますよ。ご自分で気づいてないんですか? それに……うちの美珠が言ったことが発端だって言われても、子どもが言ったことですから……」
鞠子さんに代わって、母と私が愛由羅ちゃんのお母さんに頭を下げるしかなかった。
夫は仕事で不在であり、姑と高校生の義妹に頭を下げさせているというのに、いつもながら鞠子さんには全く何も響いていなかった。
それから、わずか3日後に【5】の事件も起こった。
【5】 妊娠中の近所のお姉さん(正確な年齢は知らないけれども、おそらく三十代半ば?)が、旦那さんを連れて実家に帰ってきていた。家の外で、旦那さんが車から荷物を下すのを手伝っているお姉さんを見た美珠は駆け寄っていき……お姉さんに向かって、「お姉さんって大学を卒業する時にも赤ちゃんがお腹にいたんだよね? その時の赤ちゃんは、いなくなっちゃったんだよね? そうなると、お姉さんが今度産む赤ちゃんは、2人目の子どもになるの? それとも1人目の子どもになるの?」と、無邪気に聞いたらしい。
その後のことは、もう思い出したくもない。
お姉さんと旦那さんだけでなく一家全員で、愛由羅ちゃんのお母さん同様に我が家に怒鳴り込んできた。
しかも、一家の壮絶なる怒りの矛先は、鞠子さんではなく、母へと向かっていた。
それもそのはず、お姉さんが大学生の時(今から12~15年ほど前?)には、鞠子さんは兄と結婚すらしておらず、私は私でよちよち歩きの子どもだった。
……となると、母か兄が美珠に吹き込んだに違いないと。
だが、母がそんなことをするはずがない。
娘の私から見ても気が弱いが、それに相乗するかのように優しくて思慮深くもある性格なのだ。
そんな母が、他人様の家庭や幸せに”孫を使って”波風を立たせるようなことをするはずがないのだから。
一家が言うには、お姉さんは大学四年生の時に、当時の恋人との間に子どもができてしまった。
卒業直前には「あ、もしかして……」と気づく人は気づく大きさのお腹であったとも。
入籍するかしないかで揉めているうちに、お姉さんは流産してしまい、恋人との間も終わってしまった。
でも、現在の旦那さんは、そのことを知っていた。
お姉さんのその過去もすべて受け入れたうえで結婚したのだとも――。
母への集中砲火は、激しさを増してきた。
私は母を必死でかばった。
けれども、私の説得よりも、鞠子さんが言い放った言葉で、冤罪の母に対する責めはあっけなく終わった。
「私はお義母さんからじゃなくて、孝彦から聞いたんですよ。全くの事実無根だったら文句言われるの分かるんですけど、本当のことを言われて、何をそんなに一家総出で怒り狂っているんですか……。うちの美珠にしたって、子どもならではの純粋で素朴な疑問をぶつけただけじゃないですか。第一、子どもが言ったことですから……」
私と母は、鞠子さんの”頭の悪さ”に感謝すべきだったのだろうか。
仮に、この時の鞠子さんが「お義母さん、美珠になんてことを吹き込むんですか? 信じられない! 最低です!」などと速攻で演技派に転向していたなら、完全にアウトだった。
本件の元凶は兄であったのだと、鞠子さんはあっさりとネタバレをしてくれたのだから。
私と母は仕事から帰ってきた兄を問い詰めた。
最初は「あーはいはい」とうざったそうに私と母を追い払おうとしていたが、はぐらかすよりも吐いた方が早く終わると判断したのだろう。
「でも、別に俺が美珠をけしかけたわけじゃないぜ。俺は鞠子に話しただけだ。単にそれを鞠子が美珠に話したか、美珠が俺たちの話を聞いていたかのどちらかだろ? 他のことだって、考えてもみろよ。仕事で忙しい俺が、美珠の同級生の母親の職業や評判を知っているわけないだろ? あのマルチのおばさんだって、母さんがはっきりと自分で断るべきことだったわけだし」
つまり、兄は【4】の愛由羅ちゃん騒動には関わっていなかった。
【3】のマルチ勧誘については確かに正論であるも、男の人が出てきてビシッと言ってくれたら、あの失礼でしつこい中年女性も早々に退散していたかもしれないのに、我関せずのスタンスを最後まで貫くつもりであった。
なお、兄はこうも言って、笑っていた。
「あいつ(従兄)は昔から偉そうに兄貴風吹かせていたのに、種が悪いのか畑が悪いのかどっちかは知らないけど、いまだに子どもの一人も作れないとか……」と。
【1】のインポ事件の時は、兄が鞠子さんを唆し、鞠子さんは美珠を唆すといった悪意の矢印が描かれていた。
あの時の兄は我関せずといった感じで、黙々と口と箸を動かし続けていたが、内心はほくそ笑んでいたのだろう。
さらには、兄は私の顔を見て、溜息をついた。
「十四歳も年の離れたJKの妹がいるっていったら、最初は羨ましがられるんだけど、現実はこんなモンだよな。……オルメカ文明の巨石人頭像に瓜二つとか。鞠子に教えたら大爆笑していたし」
【2】の私のみならずオルメカ文明に対する愚弄にも、同様の悪意の矢印が描かれていたと分かった。
母は泣いていた。
悲しいやら情けないやら、涙が止まらないようであった。
私も泣かずにはいられなかった。
兄と義姉は”よっぽどの痛い目”に遭わない限り、もう矯正不可能だと思う。
今回の【5】に該当する事件が最後とはならないはずだ。
私と母はこれからも、「子どもが言ったことですから……」という免罪符とセットで引き起こされる対人トラブルの尻拭いをし続けることになるのに違いない。
しかし、だ。
私と母は、その尻拭いを”し続ける”ことにはならなかった。
それから数か月もしないうちに、尻拭いは”完了”したのだから。
私と母の命を以てして……。
深夜2時ごろ、家に押し入ってきた3人組――暗くて良く見えなかったが、体形や骨格からして、男二人と女一人だろう――によって、1階の自室のベッドで寝ていた私は訳も分からないうちに殺された。
槍で貫かれたわけでなく、ナイフで胸を幾度もブスブスと刺され続けた。
私は別室で寝ている母に向かって、「早く逃げて!」と声を出すことすらできなかった。
侵入者の女が私を仕留めているうちに、男2人は別の部屋に向かったのだろう。
ほどなくして、母の悲鳴が聞こえた。
私の魂が絞り出した無言の叫びと願いは、母には届かなかった。
それから間髪入れずに、美珠の泣き声と鞠子さんの「ご、ごめんなさいっ!! で、でも、子どもが言ったことですからぁ!!!」という声も……。
殺人犯たちは、強盗目的でもなく、快楽目的でもなく、恨みを晴らさんとして我が家に侵入してきたのだと、今わの際で私は知った。
姪の口から突き出された槍が原因で、ついには刑事事件に……一家惨殺事件にまで発展してしまった。
【4】と【5】のように家に怒鳴り込んでくるだけじゃすまないほどの【6】を、あいつらはどこかで仕出かしていたのだ。
相手が被った被害(狂わされた人間関係や人生)の度合いによっては、殺してやりたいほどに恨まれてしまうこともあるかもしれないと危惧していたが、まさか巻き添えで殺されてしまうとは。
巻き添えで痛い目に遭わされるどころか、もう痛みすら感じない体にされてしまうとは。
私と母は草葉の陰で手を取り合って泣くしかないのだが、これは泣くに泣けない。
ちなみに、こんな夜に限って兄は出張中だった。
何も知らない兄は、今日の夕方にこの家へと帰ってくる予定となっている。
(完)
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