第22話 ピンクのポタージュ



「………………ん…」


 ふう、と自分の吐息で目覚める。


「お嬢様、お目覚めですか。どこかお辛いところはありませんか」


 ナンシーの囁きが聞こえそちらへ視線をやると、薄明りの中、心配そうな彼女の顔がぼんやりと見えた。

 ベッドのそばの床に直接膝をつき、オーロラの額の汗を手巾で優しく拭ってくれた。


「…ごめんなさい。私、倒れたのね。心配かけてしまったわね」


「いえいえ。慣れていますから。ブロウ執事がちゃんと抱き留めてくださいましたから、お怪我もないですよ」


 冗談めかして答えるが、時計を見ると明け方より少し前。

 ずっと付き添ってくれていたに違いない。


「そう…。ありがとう」


 以前のオーロラは倒れたり歩くことすらままならない状態になったりすることがあった。

 そのたびに、使用人たちは気遣い手を貸してくれ看病をしてくれた。

 彼らがいなければ、オーロラはとっくに亡くなっていただろう。


「それで…」


 言いかけて、ふと、腰のあたりに熱を感じる。

 デュペをめくってみると、白銀の小さな頭が見えた。


「え…?」


 そっとさらに剥ぐと手足を丸めて小さくまとまったフェイがすやすやと寝息を立てて眠っている。


「まるで、猫みたいね」


「お嬢様を心配してずっとそばから離れない上に眠たそうだったので、勝手ながらご一緒にしました」


「八歳ですものね…」


 さんざん、『ねえちゃん』呼ばわりしていたのだ。

 ナンシーたちはオーロラの妹と認識してくれたのだろう。


「お水を飲みますか」


「ええ。お願い」


 呼吸のために少しだけ空間を開けてデュペをかけ直してやり、コップを受け取った。


「お嬢様がお倒れになったので、いったん操作は中止となり、ギルド長はあれを解析するために戻られました。フェイ様はこの通りでしたので、我々がお預かりする事になりまして」


「そうだったの。重ね重ねありがとう」


「それでですね…」


 水を飲むオーロラにナンシーは事の次第をかいつまんで説明する。


 取り出した黒い石の代わりに埋めた球体はもともと埋まっていたものに擬態するように作られた魔道具で、おそらく相手にすり替えを感づかれることはないとのことだった。


「ギルド長の推測では、敷地内に最低二十個くらいは埋められているだろうから、明日にでも応援を数人連れて来るとの事でした。なので、今夜はもうお休みください」


「ええ…。わかったわ。私はもう大丈夫だから、ナンシーも寝てちょうだい」


「いいえ、私は…」


 ナンシーは忠義心が強すぎるのが玉に瑕だ。

 よくよく考えたらこの人はいつ休んでいるのだろう。

 常にそばにいて世話を焼いてくれている。

 このままでは自分はブラック雇い主で、過労死一直線ではないか。


「ナンシー」


「はい」


 前世では見た目の問題でこのような演技をやったことがないが、懸命に想像力を働かせ、オーロラは目を潤ませる努力をした。


「ナンシーがちゃんと身体を休めてくれないと、私、心配で眠れそうにないわ」


 上目遣いにナンシーを見つめ、ゆっくり何度か瞬きをしてみる。


「…は、はい。ただちに下がらせていただきます」


「うん。お願いを聞き届けてくれてありがとう。おやすみなさい、ナンシー」


「はい。おやすみなさいませ、お嬢様」


 かくして、オーロラはナンシーを休ませることに成功した。




 翌朝、フェイと一緒に朝食を摂ることになった。


 朝に弱いフェイの綺麗な髪にはあり得ない程の寝癖が付き、ふわふわぽやぽやしていて。


「めちゃくちゃかわいい…」


 猫のように金色で真ん丸な瞳も眠たげに半分しか開いておらず、とろとろしている。


 つんと少し上向いた鼻と上品な唇はそのまま美少女だけど、このままテーブルに突っ伏してしまいそうな寝ぼけざまは、本当に愛らしい。


 そういや、前世でも阿澄と末弟の宇宙が朝に弱くて、寝ると必ず超絶技巧な寝癖を作っていた。


 末っ子の芽瑠は寝相が悪くて果てしなく転がり続け、逆に寝相が良すぎる美兎はまるで石像のように動かずあまりの静かさに死んでいるのではないかと怖くなって呼吸を確かめたことを思いだした。


 あと、赤ん坊のまま生き別れ、今のフェイくらいに育ってからイギリスで再会した城生(ジョウ)は寝言が妙にはっきりしていたっけ。


 どれもこれも懐かしい、大切な思い出で、それが消え去っていないことに安堵する。


「ほら、フェイ。ポタージュ飲んでみようか」


 夢うつつのままのフェイの隣に座りビーツのポタージュを匙ですくって口元へ持っていった。


 ジャガイモと玉ねぎとビーツをバターで炒めて丁寧に裏ごしし、ミルクとクリームでトロトロになるまで煮たピンク色のポタージュは、オーロラのお気に入りでもある。


「…………」


 くん…くんくんと鼻をうごめかした後、口をばかリと開いたので匙を押し込む。


 すると、口を閉じたので匙を引き抜き、そのまま様子を見ていると、舌と歯をゆっくり動かして咀嚼し、こくんと飲み込んだ。


「フェイ、もう一口いこう…か…?」


 言い終わる前に、フェイの眼がかっと開く。


「うま…、うんまい!」


 覚醒するなり、天井に向かって叫んだ。


「ふ、フェイ?」


「なに、このカワイイぴんくのスープ! こんなこじゃれた見た目でめっちゃうまいの、食べたことない~!」


 手足をばたばたさせ、椅子の上でぴょんぴょん跳ね、怒涛のようにスープに賛辞を贈る八歳児に。


 なにごとかと心配して覗きに来た全使用人が胸を押さえ。

 心臓を打ち抜かれていた。


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