06 理由がゲスここに極まれり
疎まれ報われなかった令嬢が、誰からも嫌厭されるような冷酷な男の元へ嫁いだかと思えば――その冷酷さには実は理由があって……本当は心優しい男に溺愛されて幸せになる。という恋愛小説が流行っているらしい。
継母と異母妹もハマっているのか、家の図書室に置かれていたその小説をルイゼリナも読んだことがある。あなたたちはどう見てもその主人公を疎む役どころだろうが。という指摘は置いておくとして、その展開は確かにときめくものだった。
自分にもいつかこんな人が、と多少なりとも夢見たことは否めない。
「なのに、まさか本当のただのゲスがくるとは思わなかったわ……」
ここはその定番の展開にはるはずではないのか。現実のなんと非常なことか。と、夢は夢で終わったのだと悟った心の声が思わず口からこぼれる。
恐ろしい形相をした妹の存在をまるっと無視した公爵に手を引かれて、ルイゼリナは今、庭のガゼボでティータイム中だった。
向かいに座って優雅にカップに口を付ける男を警戒しながら見やる。
「婚約者なんだ。アランと呼べ、ルイーゼ」
まだ縁談の申し込みがあっただけだと聞いていたけれど? なんなら我がラード家は全員ミシェリアを推していたけれど? こちらの混乱などなんのその。男の中ではすでに婚約は決定事項らしい。
しかも当然のように愛称で呼んできた。距離の詰め方が怖い。
「いえ、それはまださすがに……アランデリン様」
「アランだ」
「……アラン様」
「アラン」
段々と剣呑さを増していく空気と、このままでは永遠に続きそうなやり取りにルイゼリナが折れた。
「……アラン」
「なんだ?」
呼べば、男は腕を組んで満足そうにニンマリと笑んだ。ニンマリとだ。この顔を見れば、玄関ホールでのにこやかさなど、まやかしだったのだとよくわかる。これが素なのだろう。現にあちこちから腹の黒さが滲み出ている。
「あの、そもそもの疑問なのですが……私たち一度挨拶を交わしただけですよね? なぜ縁談を?」
なによりもわからないのは、そこだった。
本当に挨拶をしただけ。それがどうなってこうなったのか。
「ああ、そんなことか」
こちらにとってはちっともそんなではないのだが、ルイゼリナが抗議するより前に、ふと出会いを思い出していたらしいアランが表情を恍惚と蕩けさせた。
瞳の奥では間違いなくギラつく狂気が見え隠れしているのに、表情だけは上気した頬でうっとりとルイゼリナを見つめてくる。正直、ゾゾッと背筋が冷えた。
「あの日俺を見つめていた、あの目が忘れられないんだ」
「なんですって?」
答えを聞いても意味がわからなかった。
「一目惚れだ」
「ひとめぼれ」
「だが、確かに俺はルイーゼのことを何も知らない」
「ですよね」
「だから調べた」
「調べた?」
「ルイーゼのすべてを」
「すべて?」
「ナイトレイ公爵家にかかれば容易い」
「え?」
ルイゼリナの困惑をよそに、アランがパチンと指を鳴らすとどこからともなく従僕らしき黒髪の青年が現れた。そしてテーブルにドーン! と紙の束を置く。かと思えば、またスッとどこかへ消えた。呆然とそれを見送ってからテーブルに視線を戻す。
どうやらそれは、辞典のように分厚い報告書だった。
アランが目の前の報告書を手に取ってパラパラとめくりだす。
「ルイゼリナ・ラード伯爵令嬢。まあ、典型的な虐げられる前妻の娘ってとこだな。後妻と異母妹どころか父親である伯爵にまでも疎まれて、この境遇はなかなか悲惨とも言える」
ははっ、可哀相に。なんて、人の人生を典型的どころか悲惨とまで言って笑っている。無神経どころかこの男には神経が存在しないらしい。
「王都の社交界では義母と妹にずいぶんな噂を流されているらしいな。異母妹を虐げる非情な姉、か。……ふっ、別名『嫉妬の魔女』とは、この部分は何度読んでも傑作だな……ふはっ」
それは初耳であるし、知りたくなかった。
声を震わせて笑う男が心底憎たらしい。
しかしそれよりも、あの紙の束は全てルイゼリナに関するものなのだろうか。いやまさかと思いつつも、この流れではそうとしか思えない。冷や汗が止まらない。これはある種の恐怖だ。
「使用人には多少恵まれているようだが、普通ならば心折れていても仕方がないこの状況で――」
そこまで言って、アランが報告書から顔を上げる。思い返すようにほぅっと熱い吐息を吐きながら。
「あの目は最高だった」
ゾクゥッと全身が震えた。
またも恍惚と頬を染めるのをやめてほしい。もはやなにを思い出しているのかなんて考えたくない。
だって、ルイゼリナにとってあの日の出会いにはなにひとつときめく要素などなかったのだから。
むしろ見た瞬間、心底嫌悪感が湧いた。心底だ。
だからあの日のルイゼリナの目に浮かんでいた感情は、ときめかれるような良いものではない。それどころか――。
「この顔に見惚れるでもなく心底俺を軽蔑する真っすぐな瞳は、最高に興奮した」
「そうですね、まさに軽蔑――え、なんと?」
気の触れたような台詞が聞こえた気がして、聞き返してしまった。
「最高に興奮した」
「申し訳ございません言わなくていいです!」
おかげでもう一度聞くはめになってしまった。
この男は一体なにを言っているんだと、驚愕の表情で顔を引きつらせるルイゼリナに構わずアランはなおも続ける。
「加えて調べれば調べるほど酷い境遇ときたもんだ。次々と届く報告書にルイーゼの冷遇が書かれているたびに、俺がどれほど喜びに湧いたかわかるか……!? この境遇でお前の気高さは奇跡だ!」
話すほどアランの熱量は増していくが、反対にルイーゼの心は潮が引くように冷めていく。わかるか、と聞かれたところでなにひとつわからない。自分は褒められているのだろうか? 貶されているのだろうか? もはや謎である。
「従順な相手になど興味はない。ルイーゼは俺の理想だ。お前のように気が強く、芯のある相手を――」
ここで、アランが顔を綻ばせた。
顔の造形は文句のない男だ。その表情は確かに誰もが見惚れるほど美しいものだった。が。
「心折るほど踏みつける瞬間が最高の喜びなんだ」
「なにシレッと最低なことを言っているのですか!?」
出てきた台詞はゲスここに極まれりともいえるものだった。とうとう我慢できず、叫ばずにはいられなかった。
すでになにを言っているのかさっぱりわからなかったが、とりあえず踏みつけられる予定らしい。意味がわからなすぎて口元がヒクリと痙攣する。
もはやお腹いっぱいであるが、公爵は嬉々としてまだ語る。
「誰にも屈することのなかった相手が俺の前で膝を折る。それ以上の快感があるか? いや無いだろう!?」
「自己完結!?」
「だからこそ、この報告書を読んでルイーゼの妹にも期待をしていたのだが……裏切られたにもほどがある。最初から雌犬では全く面白味がないだろう? そこまで落とすのが至高だというのに。あれは男を手玉に取るような毒婦ではなくただ股がゆるいだけだ。所かまわず馬鹿な男にいいように使われているだけで、つまらん。報告書はもっと正確にしろと言っておかないといけないな」
「私はこんなところで妹の恋愛事情の詳細を知りたくはなかったですね」
ナイトレイ公爵がとんだゲスのサディストだった。
「安心しろ。俺の心にはすでにルイーゼしかいない」
そんな一見殺し文句な台詞を紡ぎながら、立ち上がったアランがルイゼリナの顎を掬う。熱のこもった視線を向けてくる相手に対して、見返すルイゼリナの瞳は光が消えていることだろう。心は虚無だ。
「申し訳ございませんが、この婚約はお断りです。ミシェリアもあれでなかなか骨のある子ですので、きっとお気に召すと思いますよ」
しがない伯爵家が公爵家からの縁談を断れるとは思っていない。なので、やはりここは異母妹をよいしょしておく。お互いもっとよく知ればきっと気が合うかもしれない。性根が腐った者同士お似合いだろう。
そんなルイゼリナの意図などお見通しらしいアランが、面白そうに口角を上げた。こんな些細な抵抗すら相手を喜ばす材料にしかならなかったらしい。
「ああ……やはりこんな令嬢は初めてだ。ルイーゼ、俺は欲しいものは絶対に手に入れる質なんだ」
そう言って、いかにも今しがた思い出しました。というような表情を浮かべて美しい紫の瞳に冷酷な色を灯した。
「まずはこの家だが……なあ、ラード家って必要か?」
猟奇的ともいえる悪魔のような笑みで、男はそんなことを言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます