精霊ノ世紀 『大橋の鬼』

青山 樹

第一話 「あんみつと草団子」

 月が明るく輝く夜に、美奈木大橋に近づいてはならない。

 正体不明の怪物に、生き血を飲まれてしまうから。


 この話を青年が耳にしたのは、都でも評判の甘味処で心安らかにあんみつを堪能していた時のことだった。

 季節は春もなかばを過ぎた頃で、週末の休養日の昼下がりということもあり、店はほどよく賑わっていた。甘味処にしては若い男連中の姿が目立ち、彼らは茶を飲んだり草団子を食ったり、札遊びに興じながら無駄話で盛り上がったり、給仕の娘の尻をそれとなく眺めたりと、思い思いに時間を潰していた。

 そんななか、青年の隣の席に座っていた遊び人風の若い男が、茶を持ってきた店主の老人に美奈木大橋の話をしていたのである。

 店主が厨房へもどったあと、青年は男に話を詳しく聞かせてくれと言った。


「なんだ、兄さんはよそから来た人かい? 都の人間なら大体は知ってるはずだぜ」


「生憎とここには今朝到着したところなんだ」


「なるほど。でもどうしてこんな話に興味があるんだい?」


「俺は甘味が好物でね、かねてからこの店の甘味を食ってみたかったんだ。しかし旅の思い出がこれだけだと、人に話した時にただの自慢話になって嫌みったらしいだろ。だから他にもいくらか土産話を仕入れとこうと思ったのさ」


「妙なところに気をつかう人だね。まあいいや、話してやるよ。といっても、俺もそれほど詳しくは知らないんだけどさ」


 男の話によると、最初の被害者が出たのは去年の夏頃であるらしい。

 満月が輝く夜。ある役人の男が宴会の帰りに一人で美奈木大橋を渡っていた時、突然意識を失い倒れてしまった。男は翌朝に橋の上で目を覚ましたが、その首筋には獣に噛みつかれたような傷と、血が乾いた跡が残っていたという。


 その後も同様の事件はたびたび起こった。不思議なことに被害にあうのは壮年の男だけで、幸いなことにまだ一人も死者は出ていないらしい。


「ふうん。奇妙といえば奇妙な話だな」


「ちなみに美奈木大橋ってのは、ここの通りをまっすぐ行ったところにある橋のことだ。都の社がある聖域に通じる、唯一の大橋だよ」


 それを聞いて、青年は「ああ」とうなずく。


「あの橋か。ずいぶん立派なもんだと思っていたが、そういうことだったのか」


「ん? そういうことって、どういうことだい?」


「社へ行く途中に通ったんだが、なんとなく普通とはちがう雰囲気を感じたもんでね」


「なるほどねえ。こういう話があるって知って、納得したかい?」


「まあな。それでこの話について、都の憲兵隊は動いているのか?」


「いいや。なにしろ死人は出てねえし、被害者も深手を負ったわけじゃねえからな。夜中に美奈木大橋へ近づくなっていう立て札をいくつかつくっただけさ。ま、被害にあうのが女子供だったらもっと身を入れて捜査するだろうけどな」


「こういう話は、ここじゃよくあることなのか?」


「どうだろうね。俺は他に聞いたことはないな」


「しかしなんたって、いい年した男ばかりが狙われるんだろうな」


 青年が言うと、男は待ってましたとばかりに指を鳴らした。


「じつはな、この話について、ひとつ面白い話があるんだ」


「ほう。そいつはぜひとも聞かせてほしいね」


「いいぜ。でもタダってわけにはいかねえなあ。なにしろとっておきの話なんでね。どうだい、草団子一皿で手を打たねえか?」


「そう言われちゃ気になって眠れねえな。仕方ねえ。俺にもひとつよこせよ」


「決まりだな。おーい、イズミちゃん。草団子一皿頼むわ」


「はーい、ただいま!」


 イズミと呼ばれた給仕の娘は、よく透った明るい声で答える。

 年は十を少し過ぎた頃だろうか、深い茶色の瞳にはまだあどけなさが残っている。短めの黒髪は丁寧に手入れされているらしく艶やかで、大きな盆を両手で抱えて歩く仕草はそこはかとなく愛らしさを感じさせた。

 そんなイズミの後姿を眺めながら、男はにんまりと笑みを浮かべる。


「いやあ、いつ見ても可愛いねえ。俺だったらおっさんの生き血なんぞより、イズミちゃんの生き血を飲むだろうなあ」


「憲兵隊に突き出すぞ。それより、さっそく話を聞かせてもらおうか」


「はいよ。この話は賭け札場で知り合ったジイさんから聞いた話なんだが、何十年も昔に美奈木大橋のそばの河原に鬼人の死体がさらされたことがあったらしいんだ。で、その鬼人ってのが若くて美しい女の姿をしてたっていうんだよ。なんでもそいつは人間に化けてこの都にもぐりこみ、男をだまして一緒に暮らしながら夜な夜な人間の生き血を飲んでいたそうだ。だが、正体に気づいた男が神官団に密告して、退治されちまった。その鬼人の怨念が今になって現れて、密告した男に復讐しようと都の男連中を狙ってるんじゃないかって話さ」


「その話は、本当なのか?」


「女の姿をした鬼人の死体がさらされたってのは本当さ。憲兵隊の記録にも残っている。まあ、それ以外の部分は怪しいがな。なにしろ、そのジイさんもガキの頃に聞いた話だって言ってたからなあ」


「てことは、鬼人が退治されたってのは本当か。だとしたら、なぜ今になってその怨念とやらが出てきたんだろうな。密告した男だって、とっくにくたばってるだろうに」


「さあねえ。怨念の考えることを俺たちが考えたってわかりゃしねえさ。でもまあ、土産話にはなったろう?」


「たしかにな。草団子一皿分の価値はあったぜ」


「だろ。お、来た来た」


 男の目線の先には、草団子を盛りつけた皿を盆にのせているイズミの姿があった。


「おまちどうさま。どうぞごゆっくり」


 待ってました、と男は手を合わせる。その隣で、青年はイズミに言った。


「なあ嬢ちゃん。あんみつをもう一杯頼む」


「え? あんみつの、おかわりですか?」


「ああ。安心しな。ちゃんと金は持ってる」


「いえ、そうじゃなくて……。お客さん、たしかもう五杯召し上がってますよね。その、おなかとか大丈夫なんですか?」


「おいおい兄さん。そんなに食ってたのか? 体中の血がみつになっちまうぞ」


「好きなもんを好きなだけ食って、そして好きな時に好きなだけ眠る。それが俺の生きる理由なのさ」


 立派なことを言ってるようで、大の男が子供じみたわがままを言っているだけである。


「は、はあ。わかりました。でも、無理はしないでください。そうだ。一緒におなかの薬も持ってきてあげますね」


 そう言って、イズミは厨房へと戻っていった。



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