愛なき少女はプラネタリウムの夢をみるか?

岩井喬

第1話【プロローグ】

【プロローグ】


 その少女は、口と目をぱっくり開けて天井を眺めていた。

 真上ではない。正面、斜め前方。そこには、真っ暗なこのドームを照らし出すような極彩色の世界が広がっていた。


 プラネタリウムだ。星々が競い合うように、あるいは補完し合うように、点となって光をを投げかけてくる。

 二十一世紀も末だというのに、こんな骨董品とでも呼ぶべき娯楽設備が残っているとは。――そう不思議に思うことだろう。少女が人間だったならば。

 

 だが、そんなことはどうでもいい。

 少女は星々を眺めながら思索に耽っていた。自らに課せられた任務のこと、代替要員は存在しないこと、そして自分たちの将来のこと。


 そうやって皆の到着を待っている間に、不可思議な現象が起こった。天井に真っ赤な亀裂が入ったのだ。


 見る間に亀裂はますます広がりをみせ、蜘蛛の巣状に展開。最早プラネタリウムは、そしてその映写機は瓦解してしまった。

 そして少女の眺めていた星空は、一瞬で炎を帯びて崩落し始める。


「!」


 少女は驚き、立ち上がりこそしたものの、そこからはまったく動けなかった。

 足が言うことをきかない。この場に固定されてしまったかのようだ。


 ドームは亀裂の走った方から崩壊を始めた。がらがら、ごろごろという轟音を立てて、前方の座席が押し潰されていく。

 幸いにして、観客は少女一人だけ。そして彼女こそが、偉大なる変革をもたらすものとして神聖視された存在である。

 手段を問わず、是が非でも救出しなければ。それが周囲の人間たちの意見だった。


 このままでは、少女の命運が今ここで終わってしまう。それは看過できない。自らがどれだけ損傷しようとも、彼女だけは守り抜く。


 そう思っていたのは、少女の護衛役に就いた『自律型歩行機』と呼ばれるロボットだった。便宜上、『ジンロウ部隊』などと呼称されている。

 といっても、さして際立った機能があるわけではない。単純に、生身の人間よりは強く、運動性能が優れていると言える程度だ。

 

 とはいうものの、やれることはたくさんある。人命救助や敵性勢力の排除、極秘の破壊工作。人間同士で行うには、あまりにも危険で突発的な事案だ。


 現在、プラネタリウム周辺の安全確保にあたっていた機体は、全機が白くて薄い半透明のボディをしている。胸には『ジンロウ部隊』のエムブレム。被救助者の側からすれば、彼ら以上に頼れる味方はいない。


 そのはずなのだが、少女はそれを認めていない。否、認識できていない。

 これでは、敵味方の判別ができていない存在として、救出を後回しにされてしまう。捨て置かれてしまうのだ。

 ――もし少女が、ただの人間、またはそれに準ずる程度の存在価値しかなかったのであれば。


 ごわん、と床面が揺すられた。きっと敵は、天井と床面の両方から少女を挟み撃ちにするつもりだ。正面の脱出路も巧みに封鎖されているはず。

 

 少女にとってはどうでもいいことだったが、ジンロウ部隊にとっては憂慮すべき事態だ。むざむざ死なれてしまうのを見過ごすことは許されない。


 傷一つない状態で、少女を絶対安全圏まで搬送する。

 それが、この周辺にいるジンロウ部隊に与えられた任務だった。


 なんとも理不尽な命令があったものだ。構成員たちは苛立っている。

 あんな小娘一人、どうして守らねばならないのか。救援を求めるサインすら発していないというのに。


「どうします、班長?」

「……」

「ウェリン班長!」


 副班長の呼びかけに、今回の現場指揮官であるウェリンはすっと目を上げた。


「わたくしが参りましょう。他の皆は撤退準備を」

「何ですって?」

「申し上げた通りです。彼女の安全確保は、わたくしが一人で行います。皆は速やかに撤退、いや、退避してください」


 そんな馬鹿な。

 副班長は、班長であるウェリンに怒声を浴びせた。しかしウェリンは無表情のまま、少女の姿を視界で捕捉し続けている。


「これ以上は申しません。命令です。直ちに撤退しなさい」


 言うが早いか、ウェリンは大きく一歩踏み出した。

 重心がずれる勢いそのままに、ぐんぐん加速していく。ドームの下方から上段へと、狙いを定める猛禽類のように。


 無駄のない動きで少女の下へ到達したウェリンは、彼女の襟首を掴んで軽々と肩に担ぎ上げた。


「あれ? プラネタリウムは?」

「お怪我はありませんか、ティマ様?」

「ああ、ウェリン……。今は何が起こっているのかしら?」

「詳細は後程。今は脱出を」


 プラネタリウムの続きが観たい。そう言って唇を尖らせる少女――ティマを、彼女の執事兼救出チーム班長であるウェリンが運び出していく。


 彼らの足元から爆炎が上がったのは、まさにドームを出る直前のことだった。

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