2-9


 伊万里は、昨日の愛莉と同じく、アイスクリームを売っている店に行ったらしい。彼女の手元には二段に積み上がったホッピングシャワーとコーヒー系の色合いを混ぜたアイスが乗っているコーンがあった。


「お釣りです」と言いながら彼女は小銭を俺に渡そうとしてくるが、俺はいらないというジェスチャーを返した。小銭を持つのは重くなるから嫌いだった。


 彼女はそれを聞くと、またしぶしぶという具合にポケットに入れ込む。財布に入れればいいのに、そんなことを思ったけれど、彼女の片手はアイスでふさがっているので仕方がない。


 俺は自分自身の弁当を見つめる。 


 いつも通りに彩は少ない弁当の中身。一応二色で彩られている。卵焼きとウィンナーとか加工した肉系の食材。


 嫌いじゃないから文句は言えない。朝に早起きして作ってもらってる以上、母に対して文句を言うのは不義理だろう。文句を言うならば自分で作れと母に言われそうなもんだ。


 目の前にいる伊万里は特に気にしていないようでアイスを食んでいる。徐々に溶かしながら食べる仕草、たまに舌を出すのが子供っぽい。本人に言ったら怒られるのは目に見えているが、彼女の子供っぽさが俺は好きだ。


 ──そうして過るのは、皐の事。


 皐にも、こういったことを体験させることができる関係性であれば、俺たちは報われたのかもしれない。


 いつの間にか使われていた皐からの敬語。そのせいで、目の前にいる伊万里が愛莉とも皐ともダブって見える。


 やはり、どこか不義理だ。伊万里に対して彼女らを映すのは背徳的だとも感じる。


 そんな思考をしているから、途端に思い出したようなことを伊万里に吐く。


「──どうして、お前は俺に敬語を使うんだ?」


 ルトの言葉が頭に過って仕方がない。


 敬語とは、一つの距離の取り方である、と彼は話していた。それについては理解もできるし、納得することもできる。


 皐も、きっと俺から距離を取るために敬語を使っている。


 そして、伊万里についても同じような雰囲気を感じて仕方がない。俺と距離を取るためだけに、彼女は敬語を使っている。


 俺と伊万里は仲がいい。そして、彼女は前へと踏み出すために、わざわざ俺に彼女が剥がした科学同好会のポスターを渡してきた。


 それなら、どうして彼女は未だに俺に敬語を使うのだろう。


 俺の箸はずっと止まっていた。彼女の方に視線を合わせれば、彼女もアイスを食むのをやめていた。


 空虚な視線が見えたような気がした。俺は続きを聞くのが怖くなった。


「──いや、やっぱ何でもない。ちょっとトイレに行ってくるわ」


 食事も半ば、何も食べ進んでいないのに、俺は席を立ち上がろうとする。どこか聞いてはいけないことを聞いてしまったような、そんな感じが拭えない。


 逃げたくなった。その衝動に任せて、彼女を視線から外す。


 ──手を、引かれた。


「──に、逃げないでください」


 勢いよく引かれた手は、俺の腕の袖口は彼女の食べていたアイスクリームに彩られる。


 少し、冷たい。





「高原くんは、敬語はいやですか」


「……別に、そういうわけじゃない」


 俺は、彼女にそう返した。


 別に、俺は彼女の敬語が嫌いなわけじゃない。


 人をいたわるように関わる彼女の姿、嫌いなはずがない。誰よりも優しく関わろうとするからこその敬語、でもそれ故に距離を取られている感覚が拭えないのが、どうしようもない違和感となって心にわだかまるだけだ。


 皐の顔が心に思い浮かぶ。


 彼女も、俺から距離を取る。でも伊万里と違うのは、俺に対してわずかながらに敵対心を感じずにはいられないこと。


 同じようで、同じではない距離感。距離感の測り方が各々の思惑で異なっていること。


「俺は妹に嫌われているんだ」


「……なんで、そう思うんです?」


「敬語で、いつも距離を取られているから」


 敬語とは、敬いのある語りともいうことはできるが、それは一定以上の距離をとりつづけることに他ならない。


 皐は、両親に対しては特に何もないように関わる。だが、俺や愛莉に対してはいつまでたっても敬語をぬぐわずに、そうして他人のように振舞い続けている。


 俺は、それが彼女の選択だというのならば、吞み込むことしかできない。


 なにせ、彼女から始めたことだから。


「……でも、そうだとしたら、『早く帰ってきて』、なんて言いますかね?」


「さあ、誕生日だったから気分がよかったのかもしれない」


「少なくとも、嫌いだったら別にどうでもいいと感じて、特に声かけもしないと思うんですけど」


「一応の家族関係だ、とりあえず呼びかけたのかもしれない」


「そもそも、敬語ってそこまで悪いことではないじゃないですか」


「だが、家族に対してその振舞を続けるのは、確実に俺に対して特別な意識があるからだろうに」


 俺は、伊万里に語り続ける。


「だからこそ俺はお前の敬語が気になっただけだ。それ以外に他意はない」


「……」


 彼女は沈黙をした。思い当たる節があるからだろうか。


「なあ、どうして敬語を使うんだと思う? 伊万里なら、何かわかるんじゃないのか?」


「……わからない、です」


 彼女は躊躇うように呟く。


「私は、なんとなくで敬語になってしまっている感じはします。


 中学の時にも、敬語が取れることはなくて、そうして距離を取られたことがあります。


 “馴染めてない?”と聞かれたことがあります。別に、私に何か思うところがあったわけではないのに、彼女たちは私と距離をとり始めました。


 でも、本当に私はただ敬語が拭えないだけなんです。それ以上に理由はありません」


 彼女は、寂しそうにつぶやいた。


「……敬語が使いたくて使っているわけではないのか?」


「……せめて、仲のいい人には敬語を使わないようにはしたい、という気持ちはあります。……」


 高原くんとか。彼女はそう呟いた。





 別に、意識をしなければ、彼女の敬語なんて気にも留めなかったはずだ。


 でも、一度気にしてしまえば、歯車がかみ合わないそんな雰囲気がへばりつくように意識にまとわりついて離れることはない。


 俺は、彼女に何を求めたいのか。


 そんな思考を繰り返して、一つの提案をしてみる。


「俺には、敬語を使わないでみてくれないか?」


 えっ、と彼女は驚いたような表情をして俺を見つめる。


「なんとなくさ、敬語はいろいろなことが想起するから嫌なんだよ、俺」


 自分で言ってて、そうなのか、と思う部分がある。


 彼女の敬語が気になるのは、皐のことがどうにも頭に過るから。皐のことが過ると、どうしようもなく家での孤独を思い出しそうになるから。


 だから、気になってしょうがないのかもしれない。


「ダメかな」


「い、いえ。別にダメではないで──。んん。ダメではない……」


 不慣れな言葉遣いをする伊万里の姿。


 彼女が俺のためにそんな行動をしている、それに対して笑うのはいけないのかもしれないけれど。


「──ぷっ」


 思わず吹き出してしまう。


「なんか男っぽくて笑う」


「失礼じゃないですか!」


 ふん、と彼女は顔を背けて、いよいよ溶けようとしているアイスをまた食み始める。


 俺は、少しばかり心が軽くなるような感覚を覚えた。


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