0-3


 彼を最初に見かけたのは、入学式の時だった。


 入学式のプログラムの一つ、生徒会長挨拶で、それなりの言葉を入学生である俺たちにかけていたことを思い出す。


「皆さんの高校生活はここから始まります。よく、高校生活はバラ色のもの、という言葉がありますが、それは規範的な生活を意識してこその生活です。ルールを守る中での自由こそバラ色の生活なのです」


 そんなことを語り上げていた生徒会長が、屋上で喫煙をしている。


 最初は何の気なしに屋上の扉を開いただけだった。


 高校に入ってからは何事に対しても無気力にしかならず、四月の友人を作る期間に出遅れて、そうして独りになった。


 独りになると、昼食をとる場所に困ってしまう。そうしていろんな場所を散策した結果、たどり着いたのは屋上という場所。


 屋上の鍵は壊されていた。鍵穴にガムを詰め込まれていて、開閉については容易だった。


 だから、何の気なしに扉を開けた。そんな時にルトと出会ったのだ。


「あ」


 彼と屋上で目が合った瞬間、彼は気まずそうに声を上げた。


 品行方正を語り上げる彼を見て、俺は一瞬の戸惑いを抱いたものの、そのギャップに思わず吹き出すと、彼も苦笑しながら「誰にも言うなよ?」と付け足して、そこから俺たちの屋上の共有は始まっていた。


「縛りがあると、その縛りをたまに取っ払いたくなるんだ」


 ルトは先週あたりにそんなことを言っていた。生徒会長という役職にそこまでの重圧があるかどうかはわからないが、言いたいことについては理解することができる。


 だから、俺は彼の秘密を誰にも漏らさない。


 だって、そっちの方が面白いと思ったから。





 景色に見とれていると、もう隣に彼がいないことに気づいた。煙草を吸い終わったのだろう。もしくは生徒会の仕事などがあったのかもしれない。


 そこまで俺と彼は仲がいいわけではない。仲がいいわけではないので、屋上で会ったら先ほどのような会話をする程度。


 最初の邂逅から一週間ほどは、彼からこちらを警戒するような節もあったものの、今となってはどうでもいい、というように扱われている。それならそちらの方が俺も気が楽だからそれでいい。


 もう、太陽は見えなくなっている。そろそろ帰ってもいい時間かもしれない。


 俺は物理室に戻ることにした。


 



「遅かったじゃないですか」


「……そう?」


 数分ほどしか経過していないように感じるけれど、よくよく考えなくとも太陽は陰っているのだから、相応の時間を過ごしていたのかもしれない。


 いつの間にか伊万里は課題を終了させていたようで、物理室に置かれていた音叉で遊んでいる。子どもみたいなやつだと思った。


「じゃあ、帰ります?」


 彼女は俺にそう言った。そう言われたのならば、帰るしかない。


 俺は荷物を支度して、彼女の言葉に無言で返す。彼女はそれを見届けて、そうして一緒に物理室から脱け出した。





「帰ったらやることとかあります?」


 帰宅の道のり、彼女は不意にそんなことを聞いてきた。


「ない、かな」


 課題については済ませたわけで、家でやるべきことなど思いつかない。


「それなら行きたいところがあるんですよ」


 彼女の言葉を咀嚼する。


 それならこちらも好都合だ。家に帰るまでの時間が長くなればなるほど、俺にとっては居心地がいい環境が生まれる。


「それじゃあついていってやろう」


 上から目線で彼女の言葉に答えると、伊万里は苦笑した。それ以上に反応をされても困るから、それでいいんだと思う。





 連れていかれたのは公園だった。


 小学生の時に何度か行ったことのある公園。特に公園として目ぼしいものがあるわけでもないし、とりわけ普通の公園だ。唯一、他の公園と異なっているのは、ある程度長めの滑り台があるくらい。しかも、その滑り台はコロコロと回るローラーで構成されているので、小学生の頃はそこそこに人気の遊具だった。


「滑り台でもやるのか?」


 俺はなんとなく思ったことを彼女に聞いてみる。


 彼女は「そんな子どもみたいなことするわけないじゃないですか」と返すが、そもそも俺たちはまだ子どもの範疇だろうに、と返しそうになった。一応、言葉は呑み込んでおいた。


「なんとなく来てみたくなったんですよ。暇だし」


「なんとなくならしょうがないな」


「そうです、しょうがないんです」


 そう彼女は言って、公園の入り口ともいえる場所の近くにあったベンチに座り込む。その隣に座るのは憚られたので、俺は適当に立って過ごすことにした。


 そこから会話は生まれなかった。なにか会話をする気がなかったともいえる。彼女との沈黙は別に気まずいわけじゃないし、話す必要がないから話さない、それだけのことだ。


 彼女を視界に入れる。


 伊万里はぼうっと滑り台を眺めている。やりたいならやればいいだろうに。そんなことを思うけれど、彼女は滑り台を見つめるだけで、何か行動を起こそうとする素振りはない。


 携帯でも眺めようかと思ったが、脳裏に過るあのメッセージに対しての返信が思いつかなくて、結局俺もぼうっと過ごすことにした。


 沈黙の時間はしばらく続いて、そうして俺たちは夜の公園に取り残されている気分になった……。そんな気がする。





「それじゃあ、また明日です」


 俺と彼女はしばらく公園に佇んで満足すると、互いに反対方向を見定めて、そうして別れの挨拶を交わした。


 特に公園で何かイベントが発生したわけじゃない。でも、あの時間は心地がいいものだったように思う。


 今の時間は何時ごろだろう。そう思って、見たくはないものの携帯の画面を点ける。おおよそ十九時になろうとしている時間帯。


 この時間なら、帰ってもいいかもしれない。


 俺は、そうして帰路についた。

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