第43話


「姉とは一緒に、行かれなかったんですね……」


 マンフレットとリュークからブリュンヒルデの死の真相を聞かされたエーファはどうしてか分からないが虚無感に襲われた。


「僕だってかなり悩んだんだ。勿論最初はブリュンヒルデと一緒に行くつもりだった。兄さんや父さん達に知られたくなかったし。でも直前になってやっぱり今の生活を捨てるのが怖くなって」


 その日、リュークは自ら向かう事はなかったがその代わり侍従にブリュンヒルデへの手紙を届けさせた。だが結果的に約束を反故にした事に違いない。


「僕なりに最善は尽くした。それなりに準備は整えて、やれる事はやってあげたし」


 彼の言い分はこうだ。駆け落ちは出来ない代わりに遠方にブリュンヒルデが住む場所を用意した。マンフレットには体調を崩して療養の為に暫く屋敷を空けると伝え、そこで子供が産まれるまで身を隠し子供が産まれたらその子は養子に出す。その後は何事も無かった様に屋敷に帰れば全て丸く収まる、その様な内容を手紙に書いたそうだ。

 姉が亡くなり涙一つ流さなかった薄情な自分がこんな風に思うのは間違っていると分かっている。無論姉自身も決して赦されない振る舞いだったと十分理解している。ただそれ等を踏まえた上でも思わずにはいられないーーなんて身勝手な人なのだろう、姉が不憫だ。


「それで姉はそれを、了承したんですか」

「返されたよ」


 リュークはエーファの問いに一瞬苛ついた表情をする。少しだけしおらしく見えたが、この事から彼の本心が垣間見えた気がした。


 手紙を読み終えたブリュンヒルデは、その場で手紙を破るとそれを侍従へと突き返した。そして一瞬笑みを浮かべると馬車の扉を閉められてしまったという。しかも姉を乗せた馬車が見つかった山道は、リュークが用意していた住居がある方角とは真逆だったそうだ。


「あの時は本当最悪だった。父さん達からも小言言われて暫く外出も禁止されたし。でも結局大したお咎めもなく赦して貰えたから良かったよ。ブリュンヒルデもさ、大人しく僕の言う通りにしてればあんな事にならずに済んだのに……。やっぱり美人は気位が高くて嫌だね。こっちはとばっちりでとんだ災難だよ。その点、エーファは自己肯定感が低いし、僕の助言は素直に聞くし素直で良いよね。最初は兄さんの後妻がブリュンヒルデの妹だって聞いてどんな感じか気になって見に来ただけだったけど、本気で欲しくなっちゃったんだよねー。だから兄さんの留守中に手籠にしようと思ってたのに、まさかこんなに早く兄さんが帰って来るなんて予想外だよ。でもまあ良いや、もう済んだ事だし。あぁそうだ、兄さん。エーファを僕に頂だ……っ‼︎」


 リュークが言葉を言い終える前に乾いた音が部屋に響く。彼は頬を押さえながら信じられないものでも見る様な目で此方を見ていた。


「リューク様はいい歳してまるで幼子の様です。私もお姉様だって、女性は貴方の欲を満たす道具じゃありませんっ‼︎」


 こんなに大声を上げたのは生まれて初めてかも知れない。リュークのみならずマンフレットも呆気に取られている。


「お姉様は、貴方なんて本当は愛してなんかいなかった! あのお姉様が貴方みたいな人……相手にする筈がありませんっ‼︎……」

 

 事実が如何あれ、そう思いたかった。こんな男にあの姉が弄ばれた筈がない。絶対にあり得ない……。

 姉が亡くなってからもう直ぐ一年半が経つ。まさか今更姉の為に涙を流すなんて自分でもおかしくて信じられない。姉の事は好きでも嫌いでもなかった。姉妹なのに遥か遠い存在で、ただただ羨ましい対象でしかなかった。それなのにーー何故今、昔の事を思い出すのだろう。不意に姉との僅かな記憶が蘇り余計に苦しくなった。


「エーファ……」


 泣き崩れるエーファの身体をマンフレットが支えてくれた。

 姉を侮辱され赦せなかった。悔しくて悲しくて怒りが込み上げてくるのを抑えきれない。


「リューク、お前とは今日限りで縁をきる」

「は……な、何で⁉︎ 嘘だよね? こんな時に冗談?」

「私が冗談が嫌いだと良く知っているだろう」

「で、でも父さん達は」

「あの時、体裁を気にした父上達はお前に罰は与えないと判断した。無論現当主は父故私もその決定に倣った。だが後一、二ヶ月でヴィルマ家の当主は私に代わる。この意味が分からない程流石に莫迦ではないだろう?」

「い、嫌だっ! ヴィルマ家を追い出されたらどうやって生きていけば良いんだよ⁉︎ 兄さん‼︎」


 混乱し興奮状態で縋り付こうとしてくるリュークの手をマンフレットは払い除け、冷たい目で見下ろす。


「何で、兄さんばっかり……僕だってヴィルマ家の血筋なのに、ズルいよ。長男だから、少し先に生まれたからって、こんなの不公平だっ‼︎」


 幼い子供の様に駄々を捏ねるリュークに、マンフレットは大きなため息を吐いた。


「エーファ、行こう」

「宜しいのですか……」


 マンフレットは上着に包まれているエメを回収し、エーファの手を引き踵を返すと扉へと向かう。その間もリュークは延々と喚き続けていた。その声は部屋を出ても暫く耳に届いていた。


 



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