第41話


『あら、またいらしたんですか』


 実兄のマンフレットが結婚してからリュークは何度も屋敷に足を運んだ。始めは新婚である兄を揶揄ってやろうとかそんな軽い気持ちだった。だが昔から多忙だった兄は婚姻後は更に多忙を極め全く相手をしてくれずつまらない。そんな時、たまたま兄嫁であるブリュンヒルデとお茶をする事になった。


義姉ねえさんは兄さんと結婚して幸せ?』

『そんな事聞いて意味あるの?』

『だって気になるし』

『貴方変わってるって言われるでしょう』

『え、僕って変?』

『えぇ、とても』


 暇つぶしのつもりだったが、少しずつ親しくなり距離が近くなっていった。一ヶ月に一度程度だった訪問が半月になり、十日、五日、三日……やがて毎日になった。

 ブリュンヒルデの事は二人の婚前から知っていた。挨拶を交わした事がある程度だったが、リュークのみならず社交界で彼女の事を知らない人間なんていないだろう。

 女神と比喩される程美しく完璧で、端麗な顔立ちに陶器の様に白い肌。ミルクティー色のふわふわな長い髪。立ち居振る舞い、勉学、ダンスから演奏と全てが完璧で、非の打ち所がなく淑女の鑑と呼ぶに相応しく誰もが憧れ一目置くそんな女性。男ならば一度でいいから一夜を共にしたいと思うだろう。無論リュークも例外ではなくその中の一人だと言えた。

 兄の結婚相手を聞いた時、驚いた。正直羨ましいとも思った。ただリュークからすれば高嶺の花である彼女だが、完璧主義を絵に描いた様な兄にならお似合いだと思った。


『子供みたいに溢して、仕方ない人』


 彼女の言動は一見すると冷たく辛辣だが、接していく内にそれだけではないと感じる様になった。そして芯が強いと思っていた彼女は、意外な程に呆気なく簡単に快楽に溺れていった。きっかけは何気ない会話だ。


『え、寝室別なの? じゃあ、夜と営みとかどうしてるの? 終わったら自分の部屋に戻るのなんて何かやだなぁ』

『そんな必要はないわ。だって彼とは初夜以降一度もしてないもの』


 別に意外ではなかった。何しろあの兄だ。どうみても性欲なんてありそうにないし、そもそも女性にすら興味がなさそうだ。だが流石に初夜だけとは呆れる。大方初夜は義務と考えて済ませただけであり、子供は今はまだ必要ないと考えているのだろうが男としてどうなのか。


『勿体無いな。こんな美女が妻なのに、僕なら毎晩でも抱きたいよ』


 軽口で冗談に過ぎなかったが、ブリュンヒルデは違った。



『ブリュンヒルデ、どう気持ちいい?』

『えぇ、とても善いわ……』


 積極的なブリュンヒルデに、リュークはのめり込んでいった。人払いをした部屋で、昼間にも関わらず何時間も身体を重ね、時には刺激を求め庭の木陰でする事もあった。罪の意識は多少あったが、兄の妻を弄んでいるその事実に興奮を覚え、優越感に浸り実に気分が良かった。昔から両親や周囲は嫡男であり優秀な兄ばかりを大切にし、リュークは居てもいなくても変わらない存在だった。兄に勝るものなんて何一つない。そんな自分が兄の妻を好きな様に扱っている。もしマンフレットがこの事実を知ったら怒るだろうか? それとも悔しがるか悲しむか、想像するだけで異常な程に高揚した。



『ねぇ、リューク様。彼が来月から領土の視察に出掛ける為、暫くの間屋敷を留守にするらしいの』


 彼女とは身体の相性が抜群に良く何度でもしたくなる。例えるなら麻薬の様だ。だがリュークに今の関係や状況を変えるつもりはなかった。だがある日、深刻な面持ちの彼女から驚愕の提案をされた。


『正直言えば始めは当て付けもあったの。政略結婚とはいえ全く私に興味を示さない彼が気に入らなかった。だってそうでしょう? この私が妻になったのよ。毎晩とはいかなくても、どうして抱きたいと思わないの? 理解に苦しむわ。初夜だってまるで義務や仕事みたいに彼は淡々とこなして、終わったら彼は部屋を出て行った……。悔しくて仕方がなかった。彼に好きとか愛情がある訳ではないけれど、どうにかして気を引きたかった。でも今は違う。もうそんな事なんてどうだっていい。リューク様、私は貴方が好き、愛しているの。私は貴方と生きたいーーだからお願い、私と一緒に逃げましょう』


 まさかの駆け落ちを持ち掛けられた。すがる様な熱の籠った瞳で見つめられリュークは渋々頷くしか出来なかった。彼女は涙を流し喜んだが、リュークは違った。駆け落ちするという事は家を捨てるという事で、即ち貴族ではいられなくなる。そうなれば平民に混じり農作業やら重労働を強いられる生活になるだろう。一瞬にして頭の中をそんな事が駆け巡った。そしてその瞬間、急激に冷めた。どう考えても彼女の為に今の生活を捨てるなどあり得ない。どうやってブリュンヒルデを宥め諦めさせようかと頭を悩ませていると、更に彼女から追い打ちをかけられた。


『実は私……妊娠しているの。勿論貴方の子よ』


 終わった、そう思った。そして彼女が急に突拍子もない提案をした意味を理解した。

 暫く思考が停止して呆然とするが妙案が浮かぶ。


『今からでも間に合うよ。今夜にでも兄さんを誘ってさ。産まれる日月は多少ずれちゃうけど、そこはどうにか誤魔化してさ。兄さん、その辺は疎そうだし平気だって、だから……』

『私は貴方とこの子を育てたいの。もし一緒に来てくれないのなら、今から彼や貴方、私の両親に全て話します』


 ブリュンヒルデが本気なのだと分かりリュークは項垂れ、仕方なしに駆け落ちをする約束をしてその日は別れた。そしてリュークがブリュンヒルデと会ったのはこれが最後となった。









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