第36話


『そろそろお休みになられませんとお体に触ります』


 レクスが帰った後、マンフレットはエーファの元へと向かったが程なくして落胆した様子で自室に戻って来た。明日は日の出前に出立しなくてはならないので流石に休むのかと思いきや、彼は紙とペンを取り出し机に向かった。


『……違う!』


 大きな独り言を吐きながら紙を丸め床に放る。普段ならキッチリとした性格故、散らかす事など皆無なのだが今は余裕がないのか次々と床に落としていく。そんな主人をギーは苦笑しつつ見守っていた。


『あの日はすまなかった、許して欲しい……いや違うな。私が帰って来たら君の誕生日をやり直させて……全くダメだ、私は君の事を……いや、これから先も私の側に…………離縁は……はぁ』


 先程からぎこちないポエムを読み上げているマンフレットを見て内心微笑ましく思う。本人に自覚はないが所謂心の声がダダ漏れだ。もしこの事をマンフレットが知ったら理不尽に怒るだろう。だがこれは不可抗力であり意図としている訳ではないのでギーの責任ではない。

 それより今はそろそろ本気で止めないと大変な事になりそうだ。マンフレットの気の済むまで口を出すつもりは無かったが、一向に終わる気配はない。気が付けば時計の短針は優に日付けを超えていた。それに決して狭くない部屋の中は紙屑だらけとなっている。


『マンフレット様、流石に紙を無駄にし過ぎです。まもなく三桁を超えます』

『……』

『マンフレット様?』

『仕方がないだろう……。伝えたい事はたくさんあるが、どう書けば良いのか分からないんだ。これ以上彼女に幻滅されたくないし、彼女を悲しませたくもない。だが私には正解が分からない……』


 本当に変わった。ほんの少し前までと比べると別人の様だ。これも偏に彼女のお陰だろうか。

 エーファと出会ってからのマンフレットは、まるでまだあどけなく頼りない少年が生まれて初めて恋を知った様に彼女を意識し心乱され時に振り回されて、今は嫌われたくないとさえ思い怯えている。ただ問題な事にその根本にはこれまで培われてきた山よりも高い自尊心があるという事だ。


『人の気持ちに正解などございません。他者にたいして誠実でありたいのならば、先ずはつまらない自尊心は捨て去る事をお勧めします。意地を張らず素直に自分自身がどう思っているのかを嘘偽りなく伝えれば、エーファ様ならきっと受け止めて下さるかと思います。……マンフレット様、戻られましたら一度エーファ様と膝を突き合わせお話されては如何ですか』


 主人に助言をするなど烏滸がましく叱責されても仕方がない事だが、それでも黙ってはいられなかった。

 マンフレットが何を思ったのかは分からないが、暫し考え込みその後再び筆を滑らせる。ようやく納得したのか便箋を丁寧に折りたたみ、引き出しから取り出したペンダントと共に封筒に入れると蝋印を押した。


『これを、エーファに渡しておいてくれ』




 マンフレットが領地へと出立して数日は何のことはない平穏な日々を送っていた。だが、そんな時彼が現れた。


『兄さんいないの?』


 態とらしくそう話す彼は、マンフレットの実弟であるリュークだ。当然マンフレットが屋敷を空けている事など知っている。


『マンフレット様は只今公爵様と共に領地へと視察に赴いております』

『ふ〜ん。なら義姉ねえさんで良いや、会わせてよ』


 不敵に笑みを浮かべ強引に押し入ろうとしてくるリュークをギーは毅然とした態度で応対する。


『マンフレット様の許可なく他人を屋敷に内に立ち入らせる事は出来兼ねます』

『他人、だと……? お前一体誰に向かって言っているのか分かっているのか。口の利き方に気を付けろよ。この僕が態々会いに来たんだ。それを無下にするつもりか』


 リュークの顔から貼り付けた様な笑みが消える。その代わりに鋭く刺す様な視線と怒りを露わにした。


『私の主人はマンフレット様とその奥方様であるエーファ様です。例え親族であろうと貴方に従う事は出来ません。お引き取り下さい!』


 その日は不満気にしながらもリュークは帰って行った。ただまた訪ねて来る可能性は高く油断は出来ない。彼の狙いは十中八九エーファだろう。その目的までは分からないが、まさか今度はーー。


 それから数日後、ギーの悪い予感が的中してしまった。


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