第34話
「人の妻との惚気話か? 随分と好い気なもんだな。それで私のどこが思い違いしていたというんだ? 細かな箇所に多少違いがあろうが、結果は変わらないっ……」
振り返りこちらを睨むマンフレットを見て、レクスは力なく笑った。
「君でも、そんな顔出来たんだね」
昔から感情の起伏がほぼなくて淡々としていた友人。彼が動じる姿など想像すら出来なかった。それが今は感情を剥き出しにしている。
「悔しくて堪らないって顔してる。俺の事が憎たらしくて仕方がなくて、殴り飛ばしたいって顔、してるよ」
「っ……」
「本気で好きなんだね、彼女が」
「私は」
「でも好きなら好きって言わないと」
「煩い」
「言葉にしないと伝わらないよ」
「お前には関係ない」
「そんなんだからさ、奪われちゃうんだよ」
「っーー」
憤りを隠せない様子の彼だったが、レクスの最後の言葉に諦めた様に肩を落とし視線を逸らした。本当に彼らしくないと内心苦笑する。
「冗談だよ」
「……何がだ」
「俺さ、フラれたんだ」
あの夜、マンフレットの言葉に傷付いたエーファを追いかけると彼女は一人中庭で蹲み込んでいた。
『エーファ嬢』
レクスに気が付いた彼女は、今にも泣き出しそうな顔で笑った。その姿に胸が締め付けられる一方で、期待感に満ち溢れていた。
『レクス様……。折角皆さんが私の為にあんなに素敵なパーティーを開いてくれたのに、台無しにしてしまってすみません』
『君は何も悪くない。悪いのはマンフレットだよ。まさかあんな事言うなんて、流石に酷すぎる。もっと自分の妻に優しくするべきだ』
優しく慰める言葉を掛けると、彼女から突拍子もない話を聞く事となった。
『仕方ないんです。私なんて所詮は期限付きの妻ですから……』
『期限付き?』
『あの……はい。実はーー』
なんとマンフレットと離縁する事が決まっているのだという。耳を疑った。それ程信じられなかった。それなら後数ヶ月もすれば彼女は未婚に戻るという事だ。何という僥倖なのだろうか。
先程日中の話をする彼女の様子を見て少し自信を失くしていた。だからまさかこんな大事な事を打ち明ける程自分の事を信頼してくれていたなど感慨無量だ。これはもしかしたら彼女から自分への愛の合図かも知れない。いやそうに決まっている。
『エーファ嬢』
込み上げる昂りを抑えきれずに遂に彼女を抱き締めた。そして自分の気持ちを彼女へと伝える。
『俺じゃ、ダメかな?』
『え……』
『君が好きなんだ。友人の妻に不謹慎な事を言っているとは分かってる。でも君と過ごしている内に気付いたら惹かれていた。君の笑顔も声も、ちょっとした仕草……全てが愛おしい。どうして君は彼の妻なんだろう、どうして俺の妻じゃないんだろうって最近はそんな事ばかり考えてしまって……。後数ヶ月でマンフレットとは別れるんだろう? それなら俺が君を貰い受ける。俺は三男だけど、実家は侯爵家で金銭的な余裕はあるし、勿論俺自身も君の為に頑張るよ。これから先君に苦労させる事は絶対にしないから安心して』
興奮し過ぎて思わず捲し立ててしまった。だがきっとこれでエーファには自分の想いは伝わった筈だ。
『エーファ……?』
レクスは胸を高鳴らせ期待しながら返事を待っていたが、何時になっても彼女は無言のままでその腕がレクスの背に回される事もない。急に不安に感じ戸惑いながら顔を覗き込むと困り顔の彼女と目が合った。
『レクス様、ありがとうございます。お気持ちはとても嬉しいです。ですが、出戻り娘を娶ったとなればレクス様の体裁に関わります』
『俺はそんなの気にしない』
『いいえ、レクス様なら私などではなく、もっと素敵でお似合いな女性がいらっしゃいます』
『エーファっ、そうじゃない、他の誰でもなく俺は君がーー』
ゆっくりとレクスから身を離すと彼女は丁寧にお辞儀をした。
『私、広間に戻りますね』
始めは謙虚な彼女が謙遜しているのだと思ったが、その目を見て違うのだと分かった。これ以上何を言っても無駄だ。悔しいが、彼女はマンフレットの事が好きなのだと。
「だからさ、確りしなよ。本当は離縁なんてしたくないんだろう? ならさ、素直にならないと後悔するよ。彼女だってきっと……それを望んでいる」
◆◆◆
薄暗い廊下を先程から延々と右往左往していると、訝しげな表情をした侍女に声を掛けられた。
「旦那様、如何なさいましたか」
「あ、いや……そのだな、エ、エーファは……」
レクスが帰った直後急いでエーファの部屋へとやって来た。時間も時間故でもう寝ている可能性は高い。だが今会わなければ次会えるのは一ヶ月半も先になってしまう。明日は日が登る前には屋敷を出立しなくてはならないので、やはり顔を合わせる事は叶わないだろう。それ故にどうしても今彼女に会って気持ちを伝えたかった。ただあの日から一度も顔を合わせておらず、正直どんな顔をして会えばいいのか分からない。マンフレットは中々覚悟が決まらず暫く彼女の部屋の前を徘徊していた。側から見たら確かに不審者以外の何者でもない。
「奥様でしたら、もうご就寝になりましたが……」
「そ、そうか……ならいい」
流石に眠っている彼女を叩き起こす事は出来ない。落胆しマンフレットは静かにエーファの部屋の扉に触れた。この向こう側に彼女がいるのに会う事が出来ないのが酷くもどかしかった。
翌朝、結局エーファには会える事はないままマンフレットは屋敷を出立した。暁闇の中、馬車に乗り込み呆然と窓の外を眺めていると、ふと昨夜の出来事が頭を過ぎる。
「エーファ……」
レクスは今日からマンフレットが屋敷を開けると知りながらその前夜に訪れた。最後の悪足掻き、所謂嫌がらせだろう。正直悪趣味だとは思うが、気持ちは分からなくもない。きっとそれ程エーファのことが好きだったのだろう。そして私もーー。
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