第13話


 夜会への夫婦での出席、これは義務だ。云うならば仕事と変わらない。父の友人で、断れないので仕方なく出席をする事にした。それに伴い、エーファにはマンフレットの妻としてそれなりの格好をして貰わなくてはならないと、余り時間のない中仕立て屋や宝石商を屋敷に呼んだ。後は彼女の好きな物を選ばせ、自分は関係ないと放置した。だがお節介なギーから後日彼女の選んだドレスの色を聞かされ、決めていた自分の服の色を変えた。元々は茶を基調とした物だったが、彼女が青いドレスだというのでそれに合わせグレーに変更をする。

 ブリュンヒルデと夜会に出席する時は、何も言わなくても彼女がマンフレットに合わせていた。それが当然であり何とも思っていなかったので、まさか自分が合わせる側になるとは思っても見なかった。そう考えるとやはりブリュンヒルデは本当に出来た妻だったのだろう。


 夜会当日。正装をしたエーファを使用人達が囲み無闇矢鱈と褒めていた。綺麗やらお似合いだとか言いながらはしゃいで愉しげに笑っていた。なんなら猫までも喜んでいる様に見える。ただそれは流石にないかと直ぐに思い直し鼻を鳴らす。


 学院を卒業後、マンフレットは直ぐに生家を出てこの屋敷に移り住んだ。ギーを始めとして何人かの使用人は生家から連れてきて、足らない人手は新たに雇い入れた。この屋敷の使用人等は、皆一様に大人しく寡黙、冷静で品のある者達ばかりだった。それはブリュンヒルデが嫁いで来てからも変わる事はなかった。だがエーファが嫁いで来てから明らかに様子が変わった。使用人等は良く話し良く笑う。屋敷全体の空気が変わったと感じている。昼間でも物音を立てれば気になるくらい静寂だったのが、今では明るく少々煩いくらいだ。それに以前より皆生き生きと働いている、不思議だ。


 サラファイア色のドレスは、彼女に良く似合っていた。時間がなかった故既製品ではあるが、まるで彼女の為に仕立てられたと言われてもまるで違和感はない。それ程に彼女に良く似合っていた。一瞬頭の中に「綺麗」という言葉が浮かび思わず口に出しそうになり、慌てて踵を返した。早々に馬車に乗り込み、気持ちを落ち着かせる為に目を伏せる。別にただの感想だ。何をそんなに動揺しているんだと思わず溜息を吐く。

 ブリュンヒルデには世辞も含めて幾らでも言葉を掛けていた。「綺麗だ」「似合っている」「淑女の鑑だ」どれも嘘ではないが心が籠もっていたかと聞かれたら分からない。マンフレットは夫として紳士として義務として声を掛けていた、それ以上でもそれ以下でもない。それなのに、何故かエーファにはそれが出来ない。確かに離縁するとは決めているが、今夫婦である事に違いはない。最低限の義務は果たすべきだと自分でも考えてはいる。だが、出来ないものは出来ない……。


「君はただ私の隣で頷いて笑っていれば良い。余計な言動は控える様に」


 程なくして目的地であるモルニー侯爵家の屋敷に到着した。馬車から降りる前に彼女に釘を刺しておくのを忘れてはいけない。ブリュンヒルデと違ってエーファは何を仕出かすか分かったものではない。


 マンフレットはエーファの手を取り歩き出す。公然の場では、それなりに夫婦らしく振る舞わなくてはならない。何となく横目で彼女を盗み見ると、何時もマンフレットの前では困り顔のエーファはこんな時でも変わる事はなかった。ただ忠告をした甲斐があったのか、挨拶をして回っている間は終始笑顔で余計な言動はしていない。どうやら最低限の役目は果たせる様だと安堵する。

 そんな事から油断をしたマンフレットは、エーファから少し離れ先程も挨拶した夜会の主催者であるモルニー侯爵の元へと向かった。今回参加していない両親等の事を適当な理由をつけて説明をしていた。そんな時、遠目にエーファに話し掛けるレクスの姿が見えた。先程まで姿が見えなかったが、どうやら彼も参加していたらしい。談笑する二人が視界に入り込み侯爵等と会話をしていても気が散って仕方がない。無性に腹が立ってくる。

 早めに侯爵との会話を切り上げたマンフレットは足早にエーファの元へと向かうが、その途中で今度は数人の男達がエーファに話し掛けるのが見えた。


「そもそも出来過ぎだろう。姉を疎ましく思ってて、彼女を殺して自分が代わりにヴィダル公爵家に嫁ぐ打算をするなんて。怖い女だ」


 気が付いたら男等の一人の腕を捻り上げていた。自分でも何故そんな事をしてしまったのか分からない。ただ本当なら殴り飛ばしてやりたい程に怒りが湧いてくる。

 社交界での噂話など尾ひれ背ひれがつく事などは当たり前で、その度に腹を立てていたらキリがない。そんな事は重々理解している。だが真実など何一つ知らない人間が、分かった様な口を利くなと苛立った。以前から不穏な噂話は耳にしていたが、まさか直接本人へ言ってくるとは呆れる。普通ならあり得ない話だ。それだけ彼女を見下しているのかも知れない。彼女は何も悪くない。

 

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