第7話 消した記憶と消せない約束-1

 西部地域はもともと、魔物の発生しやすい土地である。

 そのため数年に一度、大規模な討伐隊が組まれ掃討作戦が決行されているのだが、病床の国王はこれを王子たちへの最後の試練と決めたようだった。

 

 ——功績さえあげれば、王太子に任命される。

 

 その確信があったからこそ、タリア・モルゲナーダはこれまで以上に神経質になっていた。

 

(でもまさか、これほどまでの魔法使いを雇うとは)

 

 手ごろな木に寄り掛かり、暮れなずむ夕日の中、野営のための天幕や荷下ろしを行う騎士たちを眺めていたシアは、目を閉じて視界に映る不愉快な影を遮断した。

 それでも、むせ返るようなほどの雑多な魔力は神経を逆なでして、完全には遮断できない。

 

(ああ、イライラする)

 

 ただでさえ魔物と血の匂いに気がたっているというのに、そこに加えて魔塔の奴らに囲まれるなど耐え難い。

 タリアは本当に、素晴らしいプレゼントをくれたものだ。

 

 王命を受けて、二人の王子が率いる討伐隊が王都を発ってすでに半月。

 第一王子と第四王子、どちらの陣営も、魔獣狩りや遠征の際には魔法使いを雇うという貴族の慣習にならい、魔塔の魔法使いを同行している。

 が、コラッド伯爵の雇った魔法使いは、ルヴォン侯爵が用意したクロヴィス側の魔法使いと比べて、はるかに質もタチも悪かった。

 

(第一王子の陣営は数こそ少ないものの、おそらく魔塔のトップで構成されてる)

 

 一方、こちらの陣営はと言えば、数こそ多いものの、シアの抑えた魔力も感知できない雑魚ばかり。

 魔塔内ではそれなりに実力も経験もあるのだろうが、しょせんはあぶれた者たちをかき集めたのだろうと推測できる。

 

(おそらく、ルヴォン侯爵に先を越された伯爵は、魔塔の実力者たちをこぞって持っていかれたんだろうね)

 

『王家は魔塔と取引をしてはならない、魔塔は王家の争いに介入してはならない』というゲッシュがあるため、彼らを雇うのは王子たちの後援者である貴族たちの役目である。

 

 コラッド伯爵は東部の田舎貴族でしかないのに対し、ルヴォン侯爵家は政治の中枢にまで食い込む大貴族。

 貴族から資金援助を受けている魔塔としては、ルヴォン侯爵家の要請に重きを置くのは当然の計らいだった。

 

(まあ、もっとも。質が悪いなら数を揃えろと指示したのはあの女だろうし、私に対する執着も薄れたと思えば歓迎すべきなんだろうけど)

 

『あなたが噂通りの方であれば、わたくしもこれほどまでに苦労する必要もなかったのですが……』

 

 討伐隊が王都を発つ前、タリア・モルゲナーダは軽蔑も隠さずにそう言った。

 つまり「この役立たずが」という意味だろう。

 

 タリアは悪名高き『白い悪魔』に色々と期待していたのだろうが、シアは彼女の言葉をありのまま捉え、それこそ『言われた通りにしか』動かなかったのである。

 

 例えばタリアが「ジェフリー殿下の周りを飛び交う虫を退治してほしい」と言えば、シアは実際に『虫』を退治した。

 苛立った様子で「殿下の地盤固めに協力してほしいと言った意味を、理解されていますか?」と指摘されたときは、実際に足元の『地盤』を固めてみせた。

 

 ちなみにシアが披露した魔法は、どれも初歩の初歩。魔法使いを名乗る者であればだれもが使える、初級魔法である。

 

 そうこうしているうちに、ようやくタリアはシアが王子たちの争いに介入する気がないことに気が付いたようだった。

 そしてこの度、魔塔の魔法使いたちから「シアの魔力は並程度」との診断を受けて、最後の期待も失ったというわけだ。

 

『契約を反故にするわけにも参りませんので、討伐隊には同行していただきます。ですが期間の延長は考えておりません。無償の奉仕は不本意でしょうし、時期が来たら隊を離れて結構ですわ。ああ、それから……』

 

 利用価値がないなら、こんなごく潰しは願い下げ——そう顔に不快感を滲ませながら、目を細めるとタリアは最後にこう告げた。

 

『最後くらいは最前列で、華々しい活躍をあげられるよう場を設けて差し上げましょう。感謝の意は、働きで受け取らせていただきますわ』

 

(つまり払った金額に見合うよう、魔物の餌となり一行の盾となり、馬車馬のように働けってことだ)

 

 ほんとうに、感謝してもしきれない。

 魔物の巣窟に飛び込む場合、先陣を切る先頭部隊は常に奇襲と隣り合わせだ。

 

 今回の討伐部隊も傭兵で構成された前軍に続き、第一王子が率いる統制の取れた青の騎士団、それからルヴォン侯爵が雇った魔法使い数名。その後ろに義勇軍やかき集めた下っ端魔法使いで囲まれた第四王子の一団、という構図になっている。

 

 最前列ということはもちろん、第四王子たちと魔法使いの間のというよりも、傭兵たちと同列ということである。

 だが、タリアの真意をはっきりと受け取ったシアは、珍しく抗議もなく、これ幸いと素直に従った。

 

 もし第四王子に張り付いて、彼を守れと言われていたら……。

 

(きっと『うっかり』目障りな魔法使いどもや王子を、魔物の餌にくれてしまうかもしれないしね)

 

 あのときシアはそう思って物憂げに目を細めたのだが、果たしてその予想は的中した。

 

 これだけ遠巻きにしていても癇に障るのだから、渦中にいなくて本当に良かった。

 シアは心の底からそう思う。

 

 第四王子の名誉にあずかろうという貴族どもはジェフリーやコラッド伯爵のそばにべったりと群がり、有力なパトロンを得たい魔塔の魔法使いどもは、その貴族どもの周囲を常にうろついている。

 

(まるで死体にたかる虫みたい)

 

 君主の人となりが見合った臣下を引き寄せるというけれど、ジェフリーの周りはまさにそれだ。

 

「は、ウジ虫どもめ」

 

 シアは大儀そうに瞼を上げると、山の稜線に沈みかけた夕日を見つめた。

 瞳に映りこんだ太陽は、独特なグリーンの虹彩に炎のような揺らめきを投じる。

 

「……」

 

 ——あと、ひと月。

 あとひと月でタリアとの契約も期限を迎える。

 

 それまでは本来の実力を隠し「名前だけは尊大な役立たず」を演じれば、タリアは不要の箱にシアを振り分けるだろう。

 彼女のように野心のある人間は、捨てた駒に関心を残さないからである。

 

(本当はここまで回りくどいことをしなくても、殺ってしまえば済むことだけど)

 

 貴族を殺すと後が面倒だった。

 特に、タリア・モルゲナーダのように注目の渦中にある人間は。

 第四王子が国王に働きかけて犯人探しに乗り出したら、ちょっとやそっと身を隠すだけでは済まないだろう。そもそもタリアは、そんな面倒を承知で狩るほどの獲物でもない。


 だからシアはのらりくらり。

 実力を隠し、仮面を被って、タリアの関心からうまくすり抜ける。

 

(ただ……)

 

 一つ問題があるとすれば、それは『シアの忍耐が続くかどうか』であるのだが。

 

「それまで、我慢……できるかな……」

 

 自信なさげにぽつりと落ちた呟きは、ほどなくして現実のものとなった。

 

 * * *

 

 きっかけは一人の不用意な発言だった。

 

 半月ほどの行程を経て、ようやく今回の討伐を王に願い出た西部貴族、ルノアール辺境伯の住まう古城に到着して二日目。

 外の長雨も手伝い、束の間の休息を得た一行が、解放された歴史ある古城で思い思い羽を伸ばしていた、ある日のことである。

 

 小さくはあるが、女性という理由で個室も与えられ、質素ながらもおいしい料理にシアは満足していた。

 唯一の難点は、大人数を収容するために吹き抜けの大食堂にいくつも配された長テーブルで、鬱陶しい視線を感じながら食事をとらなければならいという点だったが。

 

 それだって、久々に顔を合わせたクロヴィスの側近の一人、リフという歳若い騎士のおかげで、いくらか気もまぎれた。

 

「シア殿! お久しぶりですね!」

 

 見た目は十六、七。実際の年齢は二十三歳とかなり童顔のリフは、食堂の隅でちびちびと黒パンと冷製肉のサンドイッチを齧っていたシアを見つけるなり、そう声をかけてきた。

 

「道中、先頭部隊に配属されていらしたようなので、お元気かなと心配していたのですが——」

「ん~?」

「お変わりなく……、……は、ありませんね」

 

 ぱっと輝かせていた顔を突然へにゃりと歪ませたのは、シアが思わず無表情で見返してしまったからである。

 

「向かいに失礼しても、とお聞きしようと思ったのですが。お邪魔、でしょうか?」

 

 ぽそぽそぽそと、段々小さくなっていく声にシアは目を瞬かせた。

 それからようやく自分がどんな表情でいるのかに気付く。

 一拍遅れて、彼がシアを慮ってそう申し出てくれたということにも気付き、さまざまな含みもかねて答えを返す。

 

「私は別にかまいませんよ」

 

 その言葉通り、シアは別にかまわなかった。

 リフが向かいに座ろうが、周囲がどんな噂を囁きあおうが。

 

 込み合う食堂内にあって、シアの周りには不自然にもぽっかりと穴が開いている。それでいて、ひそひそと蔑むような視線や言葉が囁かれている。

 けれど道端の雑草に関心を持つ者がいないように、わざわざそれを気にしたり踏みつけに行くつもりもない。

 

「! ではお言葉に甘えて!」

 

 シアの意図を理解すると、リフは再び笑顔になって机の上へ食事の乗ったトレーを置き、いそいそと向かい側に座った。

 

(なんか、人懐っこい子犬みたい)

 

 気分に合わせてぶんぶんと揺れる尻尾まで見えるようで、シアはくすりと笑ってしまう。

 これでいて騎士として腕もたつし、第一王子の側近の中で一番思慮深いひとなのだから、人は見かけによらないものだ。

 

 本来であれば、リフが大食堂を利用する必要はない。

 王子やその側近には、ここではない個室の食堂が用意されているのだから。

 

(そういえば王宮にいた時も、よく話しかけてくれていたっけ)

 

 ときには「珍しい菓子をもらった」と、わざわざシアを探して分けてくれることさえあった。それに対して不思議な気持ちを抱いたのは、一度や二度のことではない。

 

(……。こういうお人よしが、いつも世の中の不条理にツケを払わされるのに)

 

 シアはいつしか無意識に、どこか懐かしさを帯びた灰緑の瞳から逸らすように、食べかけのサンドイッチへと視線を落としていた。

 それから二人は、食事を続けながら他愛のない話をした。

 

 シアに集まっていた害意ある視線は、クロヴィスの側近の一人として顔の通っているリフが傍にいることで消えつつあった。それになにより、彼の穏やかな口調はシアの心を自然と絆す。


 だからシアも、コラッド伯爵に雇われた魔法使い数名が、あからさまに悪意がこもった口調で話しかけてきたときも、まだ見逃してやろうという慈悲はあった。

 

 あの一言さえ聞かなければ。

 


 

『おごり高ぶったフエゴ・ベルデは恋多き妖精エタムの子孫だと聞いたことがあるが、あなたのような魔女と契ったせいで、骨も残らず女神の炎に葬り去られたという、あの噂は本当だろうか?』

 

 それは二重の侮辱だった。

 シアと過去。その両方への。

 

「それはどういう——」

 

 リフが珍しく表情を険しくして立ち上がったが、言い終わる前にシアの魔力が愚かな男の首を捕らえていた。

 そしていま、宙吊りにされた仲間を前に、魔塔の魔法使いたちは驚愕と恐怖の入り交じった瞳でシアを見つめている。

 

「く……あっ」

「ひっ!」

「な、なんでっ、なんでこんな簡単な初級魔法が、破れないんだ……っ」

「おい、リーヒ殿を離せっ、この悪魔! その人を殺す気か!」

 

 それまで散々嘲笑っていた男たちが、手のひらを返したように『取るに足らない流れ者』へ、恐れ戦く姿は実に見ものだった。

 

「シア殿……」

「そうだと言ったらどうする?」

 

 躊躇いがちに呼びかけるリフには目もくれず、シアは無感情に問い返し優雅に足を組む。その拍子にスリットの入ったスカートから艶めかしい素足が覗き、まさに彼らが揶揄した娼婦のようであったが、構わなかった。

 

「は、愚か者め。『残虐な悪意を持て、魔法を行使してはならない』。この禁忌を破れば女神から愛想をつかされ、貴様はたちどころに魔力を失うだろう」

「ふ、ふふふ」

「……なにがおかしい」

 

 シアは思わず喉を震わせて笑った。

 

「いやぁ、魔塔に似つかわしくない、穏やかな発言だと思って」

 

(まったく、笑わせてくれる)

 

 魔法使いの『禁忌』くらいシアも知っている。

 

『残虐な悪意を持て、魔法を行使してはならない』

『死者を蘇らせてはならない』

『魂を操ってはならない』

『時を超えてはならない』

 

(特に、魂と時は神の領域)

 

 魔法はこの世界を創造した元始の女神、アウラコデリスの恵みであり、世界を構築する因果律もまた、女神が生み出した秩序である。

 因果律に意思はなく、ただ世界の均衡を保ち、均衡を崩すものを排除する。

 その均衡を崩す一端がすなわち『禁忌』である。

 

(その禁忌を破って、アルトヴァイゼン公爵家を亡ぼした奴らがよく言う)

 

 あれはまさに、魂を操る術だった——。

 

「禁忌を破るためには、因果律の掲げる天秤へ、同等の代償を捧げる必要があるけれど……いったいなにを捧げるつもりだったのか」

「? なにを言っている?」

 

 どうやら、目の前の男たちはあの事件の詳細を知らないらしい。

 

(それもそうか。主犯は死んだし)

 

 そう、公爵家を火の海にした犯人は、シアの目の前で塵になって消えた。

 シアが悪意を持って殺す前に、因果律にかすめ取られたのだ。

 

(だったら……)

 

「こいつを殺すのに悪意はいらない」

 

 例えばこうやって——そう言うと、シアは周囲で騒ぎを傍観している騎士の、手に握られたままの林檎をすっと指さす。

 

「うわっ」

 

 次の瞬間、真っ赤な林檎はパンッとはじけ、騎士の悪態と共に周囲へ果肉を飛び散らせる。

 

「無機物をつぶすのに悪意はいらない。それと同じで、このまま空気を断てば人はどうなるのだろうと考える。——その純粋な好奇心さえあれば、十分」

「ふぐ……っ!」

 

 シアがゆったりと微笑むと、酷薄な瞳の奥で魔力が揺らめくとともに、宙吊りにされた魔法使いリーヒが、一層もがくように暴れた。

 だが、それもだんだんと弱くなり、やがて硬直した四肢がびくっと痙攣し始める。

 

「リーヒ殿!」

「っ、シア殿、もうここでっ……」

 

 見かねたリフがシアを留めようとしたその時だった。

 

「——そこまでだ」

 

 低い声と共にシアの魔力が弾かれるのを感じた。


 

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