回帰の代償 ~史上最凶の魔法使い『白い悪魔』ですが、今度こそ殿下を幸せにしてみせます!~

涼暮月

序章

第1話 時を超えた『願い』-1

 綿雪の舞う、月の綺麗な晩だった。

 王国の勝利を祝う宴会の喧噪を背後に聞きながら、バルコニーに佇む二人の姿を、優しく照らす望月の夜。


 どこか幻想的な月の光と同じくらい清廉で美しい青年の隣に立ち、シアはちらりと横目で彼の顔を盗み見た。


(また、どこか遠くを見つめていらっしゃる)


 ここではない、どこか。

 氷のように冷たい色彩のアイスブルーの瞳が、ぼんやりと眼下の景色を見晴るかす。

 おそらくその瞳に映るのは、このバルコニーから見渡せる北部の雪に閉ざされた一面の銀世界などではなく、遠く遠く離れた王都の行く末なのだろう。


 二人の間に沈黙が横たわっていても、シアは彼の眼差しの意味を敏感に感じ取ることができた。



 時は動乱の時代だ。

 シュエラ王国の国王、ケルサスが病に伏してから、権力は王后の手に渡った。今や病床にある国王は、側妃であるイレーネの「看病」の元、傀儡と化したとの噂も出回っている。


 しかも、王太子を選定していないこの状況で国王が崩御すれば、もはや王位争いは避けられない。


 シアが聞いた話では、王后の生家であるルヴォン侯爵家を警戒している国王は、王太子の座へ側妃が産んだ第三子、イザク王子を推しているという説が今もって有力らしい。

 正当な跡継ぎである彼——この国の第一王子、クロヴィス・フォン・ディザインを差し置いて、だ。


(この状況はクロヴィス様にとってたまらないでしょう)


 なぜなら父王がたった一言『イザク王子を王太子へ』と宣言すれば、これまでに積み上げた努力も功績もすべてが、砂の城のように崩れてなくなってしまうのだから。

 それは、いずれ王になるべくして育てられたクロヴィスにとって、死刑宣告にも等しかった。


(あの甘ったれたイザク殿下が王位に着けば、奸臣たちによってあっという間にこの国は食い物にされてしまう。そう思えばお優しいクロヴィス様のこと。迷わず剣を抜かれることでしょう。あのときだって……)


 たとえ簒奪者の誹りを受けようと、民を守るためならば、彼は悪魔にだって魂を売るような人だ。

 そんな真っ直ぐな人だったからこそ、シアは自分がその悪魔になろうと決めていた。

 かつての人生で『白い悪魔』と呼ばれた自分が。


(それが、私があなたへして差し上げられる、唯一の償いです)

 

 シアはゆっくりと瞼を上げると、空から舞い落ちた雪をその掌で受け止める。

 それからおもむろに、月光のように冴え冴えと美しい主へこう切り出した。


「殿下。この北の大地を覆いつくす白い悪魔、獰猛な北部の雪を味方に付けようとは思いませんか」

「……」

「あるいは、忠誠高く悪知恵の働く、優秀で愛らしい魔法使いを殿下の伴侶として迎えられる計画などはいかがでしょう」


 柔らかな微笑みとともにそんな提案を持ち掛ければ、警戒するようなアイスブルーの瞳がちらりと向けられる。


「そなたの望みは王后の地位か?」


 一瞬の沈黙ののち、発せられた声は静かな疑念に満ちていた。

 それに、あまりにも素っ気ない。


(まあ、でも……無理もありません。第一王子という立場上、結婚話はつきものですから。このような話は、いままでに嫌というほど匂わされてきたでしょう)


 いかにも「うんざりだ」といいたげなクロヴィスの反応に、シアは思わず忍び笑いをこぼしてしまう。

 それと同時に、無言の答えもたしかに受け取った。


(疑念を抱きながらもこうして、会話を続けてられているということは、あながち興味がないというわけではないのですね)


 合理的なクロヴィスのことだ。シアの提案に少しでも興味を惹かれなければ、そもそも受け答えなどしない。

 ただ静かにこの場を去るか、シアの提案を黙殺しただろう。


 だからシアは風に弄ばれるプラチナブロンドの髪を押さえながら、誤解がないように首を横に振ると、「いいえ」ときっぱり自分の意思を口にした。


「地位や名誉にはまったく興味がありませんので、ご安心を」

「ではなぜ、そのような提案を俺に持ち掛ける」

「そうですね……。まず、私が殿下の伴侶になれば、アルトヴァイゼンが殿下の味方であるという、明確な意思表示になるでしょう。それから、寝食を共にする夫婦であれば、私がいつ何時であろうとあなたを守ることができます。それから……」

「それから?」

「ふふふ」


 シアはうっとりと呟いた。


「あなたの美しいその顔を、朝から晩まで眺められるなんて、これ以上に至福なことなど、あるでしょうか」

「……顔」

「ええ」


 困惑した瞳に、にっこりと微笑みかければ、隣から呆れたため息が返ってくる。


「そんなにもこの顔が好きか?」

「まさか! 好きなものは『顔だけ』ではありません。私にとっては殿下のすべてがご褒美です」

「……」

「例えばその冷ややかな眼差し。刃のように鋭い輝きを宿しているのにもかかわらず、清水のように透き通って美しく。呆れを含んだ口調はもとより、低い声で蔑む言葉すらも甘美な調べ」

「…………」

「あぁ、良い。溜息は艶めいて媚薬の原料もかくや。細身ながらも服の上からでも見て取れる美しい筋肉もまた、上着を脱いだ時の想像を掻き立てます。ですがやはり! 私の一推しはそのきゅっと引き締まった太ももと、お・し・り——」

「もう、いい」


 斜め上を行く性癖によって熱く語り始めたシアに、クロヴィスはゲンナリとした様子で手を振った。


「それ以上はいろいろと、聞かない方がよさそうだ」


 それから、ふっとわずかに口角をあげ、目元を和ませる。


「……そなたは本当に、変わっているな」


 それだけで冷ややかだった美貌に温かさが加わり、シアの胸に嬉しくも切ない疼きが走る。


(ああ、その顔は反則です)


 呆れているような面白がっているような、そんな口調は今も昔も変わらない。


 ——そなたといると退屈しない。


 かつてそう言って笑った青年の面影が、いまだ幼さを残したその顔に重なって見えて、シアは言葉にならない感情を微笑みとともにやり過ごす。


「お褒めに預かり光栄ですわ、殿下」

「褒めてはいない」

「あら、褒めてはくださいませんの?」

「あたりまえだ。ただ普通の令嬢は男を舐めるような目で見たり、恥ずかしげもなく自らの邪な趣味嗜好を暴露したりはしない、という意味で言ったのだ」

「ふふ。みんながみな判を押したように同じような思考では、つまらないではありませんか」

「は、口が減らないやつめ」


 お手上げだといわんばかりに呟いて、クロヴィスは溜息とともに言葉を呑み込んだ。


「……」


 そして月光に照らされた庭園を眺めおろし、白い息を吐く。

 この提案に乗るべきか否か、思い悩んでいるのだろう。


 シアもまた、その隣で庭園を見下ろす体を装いながら、思考に没頭する。


 数年前、シアはクロヴィスの元へ赴き、未来を『予言』した。そして、その予言がただの戯言ではないと、彼は身をもって経験したはずだ。


(先の討伐戦線で疫病が発生したことも。南部の穀倉地帯を襲った大雨で、大規模な飢饉を招きかねなかったことも……)


 それ以外の多くを書き記したシアの未来図は、権力を盤石なものにしなければならないクロヴィスにとって大いに役立った。


(だってあれは、予言ではなく実際に過去で起こったことだもの)


 かつて『白い悪魔』と恐れられた流れの大魔法使いであるシアは、いま、二度目の人生を生きている。かつて救うことのできなかった、主を守るために。


 神の領域とされる『時』に手を出し、禁忌とされる魔法の術で人生を巻き戻したのだ。


 そして一度目の人生をもとに、シアは未来に備えてある計画を着々と進めていた。


(かつての私『シア』には他の追従を許さない魔力と狡猾さがあった。でも、いまの私——アーテミシア・フエゴ・ベルデには、経験がある)


 悪魔と呼ばれた大魔法使いに家族は存在しなかったけれど、『緑の火フエゴ・ベルデ』にしてアルトヴァイゼン公爵家の愛娘には、心強い家族がいるのだ。


(クロヴィス様の命を奪ったあの方々と渡り合うためにも、殿下には潤沢な私財と魔塔を超える魔法使い、そして『王命への拒否権』を持つアルトヴァイゼンという後ろ盾が不可欠なのです)


 だから、クロヴィスはこの提案に乗るだろう。

 貴族間で行われる政略結婚とは、体のいい同盟なのだから。


(……でも、なぜでしょう)


 そう確信していても、心に居座る不安は少しも拭えない。


 ――断られたらどうしようか?


 他の手を考えるしかない。


 ――お前は信用ならないと、そう切り捨てられたら?


「……」


(そうしたら、信用していただけるまで、努力あるのみです!)


 往生際が悪くてもいい。みっともなくてもいい。

 どうにかしがみついて、クロヴィスを幸せにする。


 シアであったときも、アーテミシア・フエゴ・ベルデとして二度目の人生をやり直しているいまも、それは変わらない目標だ。


(そうです。今でさえ『変わっている』のですから、本気で泣いて取りすがれば、一度や二度くらいは呆れを通り越して、哀れに思ってくださるかもしれません)


 その光景を思い浮かべると、シアは心の中でむんっ、と拳を握った。


(やらずに後悔よりも、やって後悔! それに、いまの私は可愛い可愛い『北部の妖精』です。さすがに以前のウジ虫を見るような目で、見られることはないはず……です。たぶん)


 かつてシアは尖がりすぎて『首輪のない獣同然』と、そうクロヴィスに判じられたことがあるが。それはシアが強欲で節操がなく、本能に忠実な人間だったからだ。


 だが今は牙を抜かれた獣も等しく、きちんと首にはクロヴィスという首輪がついている。なんなら外見だって愛らしい『北部の妖精』なのだ。


 絹糸のように繊細で艶やかな白金の髪に、炎が揺らめくようにも見えるグリーンアイ。きめの細かいミルク色の肌にバラ色の唇で軟らかく微笑むシアを、人々は『北部の妖精』とそう呼ぶのである。


 本人としては、年齢が若返っただけで「悪魔」から「妖精」になるのか、と複雑な心境ではあるが、持てる武器は大いに活用すべきである。


(たしかクロヴィス様はあざとさよりも、清楚でお淑やかな女性がお好みでしたね。それならばここはひとつ、じっくりゆっくり急かさずに。答えをお待ちしましょうか)


 記憶の中の彼よりも少しだけ幼い横顔を盗み見て、シアは静かに目を瞑る。

 こういう穏やかな時間も、嫌いではない。


(だって隣にはクロヴィス様がいらっしゃるから)


 そのまま、遠くで風に揺られる木の葉の音と、さらさらと降り積もる雪の音を聞いていた。

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