第7話 ブルーベリージャム 4
行方をくらました人物を探し出す。
茫洋とした大海を小舟で陸地を目指すようなものだ。
事件性があれば、そこから探し出す道筋が見えることもある。それでも、ほとんどは獏とした手がかりばかりで、行方不明者を見つけ出すのは難しい。
年間に行方不明者の数は、全国で約八万人。膨大な数だ。
現役の警察官だった頃、堀井はそういった事件を何度か調べた。事件が解決し、行方不明者が見つかったのは、二件だけ。それも、ほかの事件で逮捕された者が、別の事件について供述をしたために、ついでのように見つかっただけだ。
定年退職後、行方不明者を探す仕事を始めたのは、現役時代に果たせなかった思いが残っていたためかもしれない。夫や妻が、兄や妹が、そして戸籍上は他人の内縁者たちが、戸惑った目をして警察署を訪れるのを何度も見てきた。応対したとき、自分では誠心誠意のつもりだった。だが、日々の忙しない業務の中で、彼らの存在は日に日に薄れていってしまう。仕方ないことだと思っていた。だが、どうしても拭えないのだ。不安な気持ちで警察を訪れた彼らに、自分は寄り添えなかったのではないかという思いが。
今の仕事を始めて、見つかった不明者は多くない。ただ、現役のときと違い、彼らの不安にどっぷりと浸かれるようになった。それが、この仕事を続けている理由だと思っている。
先を歩く瀬田に、容赦ない陽の光が降り注いでいた。朝からぐんぐんと上がった気温は、真昼に近づいて耐え難い暑さになりつつある。
「さなりさんは、勤務している学校に行く以外、どこか行っていた場所はありますか」
堀井が声をかけると、瀬田は不機嫌な表情で振り向いた。
「さあ、どうですかね」
「若い女性だし、ジムや何かのスクールに通っていたとか」
「聞いたことないですね」
「付き合っている男性もいなかったようですが」
ええと頷いたきり、瀬田は前を向いてしまう。警察署から電話があってから、明らかに瀬田の様子は変わってしまった。妹捜索どころではないといった感じだ。
さなりのマンションから駅までは、歩いて優に二十分はあった。大きな交差点に行き当たり、向こうに駅が見えてきた。渡ろうとしたとき、信号は赤に変わり、立ち止まる。
後ろから声がかかった。
「よかったら、どうぞ」
スーツ姿の若い男が、ビラを寄越してきた。交差点の角にある携帯ショップの店員のようだ。
「いらない、いらない」
瀬田がうるさそうに手で払う。
堀井もそのまま顔を背けようとしたが、男が寄越してきたビラに、目を止めた。
「あ、ちょっと待って」
堀井は男からビラを受け取った。そんな堀井を、怪訝な表情で瀬田が見る。
「これ、さなりさんの冷蔵庫に貼ってあったのと同じですよ」
へっ?と、瀬田が目を見開いた。
「ねえ、君」
行き過ぎようとした若い携帯ショップの店員の男に、堀井は声をかけた。呼び止められた若い男は、特に歓迎する様子もなく、踵を返してきた。
「ちょっと訊いていいかな」
信号は青に変わったが、堀井は店員を道の端に促した。瀬田も黙ってついてくる。
「我々が探している女性が、おたくが配ってるのと同じビラを持ってましてね」
堀井が言うと、店員はぼんやりとした表情になった。年齢は、おそらく二十代後半だろう。痩せた体に、細身のスーツがよく似合っている。すっきりした顔立ちからは、陽の照る中、街頭でビラを配っている暑苦しさは感じられない。
「いや、突然、こんなことを訊いて申し訳ない。もしかして、その女性がおたくの店に行ったのかもしれないと思って」
「いつですか」
「六月十七日前なんだが」
「ああ。キャンペーン、始めてました」
「ここでビラを配ってた?」
ええと、店員は頷く。
「君が?」
「はい」
「この人、憶えてない?」
堀井はスマートフォンを取り出して、瀬田から送られてあるさなりの写真を画面に出した。
「名前は、瀬田さなりさん」
店員の男は、無表情のまま画面を見つめ、首を振った。
「案外、ここ、人通りがあるんで」
そのとおりだろう。いちいちビラを受け取った相手の顔を憶えていられるはずはない。だが、もし、キャンペーンに興味を示し、店まで行ったなら?
さなりは興味を持ったはずだ。冷蔵庫にビラを貼ったほどなのだから。
「店に行ったか、調べてもらえないかな」
「いいですよ」
気楽な返事で、店員は店へ向けて歩き出した。
「あー、いらしてますねえ」
店員の回答に、堀井と瀬田は顔を見合わせた。
「何日ですか」
堀井が訊くと、
「六月十七日ですね。時間は、午後四時過ぎだ」
「十七日、四時過ぎ……」
呟いた瀬田の声が震える。
瀬田が妹のさなりに電話をかけたのは、十七日。応答がなかった。だが、さなりは十七日、この場所にいた。
「俺が電話をかけたのは夜だから、さなりはこの日の夜から行方が知れないんだ……」
堀井は、店員に顔を向けた。
「契約してったんですか」
「えーと」
マウスを動かす。
「してませんね、残念ながら」
契約せず、さなりはこの店を出た。どこへ行ったのだろう。
「どなたが担当したのかわかりますか」
担当した店員が、さなりを憶えていてくれれば、何か手がかりになるかもしれない。
「添田かあ」
呟いた店員は、顔を上げて、添田なる店員を呼んでくれた。
呼ばれてすぐにやって来た店員は、応対してくれた店員よりさらに若い男だった。
眠そうにしばたたく目で、堀井と瀬田を順番に見る。
先の店員が事情を説明すると、
「はあ」
と頼りなげに応え、それから思案する表情になった。
「すみませんね。お忙しいところ」
堀井は頭を下げながら、スマホ画面を見せた。
「わっかんないな。一日何十人も応対するんで」
当然だ。契約してくれた客ならともかく、ちょっと話をしただけで帰ってしまった相手の顔を、そうそう憶えているはずがない。
それでも、少しでも記憶を呼び覚ませないかと、堀井は続けた。
「この人の妹さんなんですけどね、六月十七日以来、行方がわかってなくて」
「はあ」
気の毒そうな表情にはなったものの、相変わらず眠そうだ。
「多分、この店を出てからどこかへ行ったと思うんですよ。なんか、憶えてらっしゃいませんかね」
「いや、僕は……」
「そうですか」
あきらめかけたとき、横を通った別の店員が、ふと立ち止まった。
「あ、この人」
二人の男性店員よりはかなり年かさの女性だ。堀井のスマホの画面に目を留めた。
「憶えてらっしゃいますか」
「この人、突然出てっちゃった人じゃない?」
女性は男性店員二人を振り返った。
「ほら、カウンターであんたが説明しているとき、急に立ち上がって出てっちゃって」
「ああ、そういえば」
添田と呼ばれた店員が、茫洋とした表情でうなずく。
「出て行ったって、どうして」
瀬田が添田にくってかかる。
「わ、わかりませんよ。そんなこと」
「あなたと何か言い合いでもしたとか」
堀井が言うと、添田は頬を膨らませた。
「違いますよ。急に立ち上がって、そう、なんにも言わずに店を出て走って行っちゃったんだから」
「そうですか」
どうしたというのだろう。店員が言うのがほんとうなら、さなりはかなり奇矯な行動をしたことになる。普段のさなりからは想像がつかない。
「びっくりしたのよねえ。おとなしそうな女の子だったから、まさかそんな失礼なことするとは思えなくって」
女性店員は、目を丸くしてしゃべる。
「どっちのほうへ走って行ったか憶えてますか」
こういうとき、年配の女性のほうが役に立ってくれることがあると、堀井は経験上わかっている。まわりをよく見ている場合が多いし、基本的に若い男性よりも詮索好きだ。
「そこまではねえ。だけど、とにかく慌ててたわね。取るものも取らずって感じだった」
礼を言って、堀井と瀬田は店を出た。これ以上話をしても、店員たちからは何も聞き出せそうになかったからだ。
さなりの行動の理由はわからないままだが、それでも、携帯ショップまでの足取りは掴めた。
大きな収穫といえる。
「どうすんですか、これから」
瀬田が訊いたが、堀井は考えに沈んでいた。
何か、あったのだ。
そうでなければ、突然店を出て行くような真似を、さなりがするとは思えない。
几帳面に折りたたまれたレシートが思い返される。
携帯ショップで説明を受けるさなりの様子を、もう一度頭に浮かべてみた。静かに、うなずくだけのさなり。
店の中は、ほかの客たちも大勢いただろう。
と、そこまで考えたとき、堀井は一つの可能性に気づいた。
「もしかして妹さんは、何かを見たのかもしれない」
堀井の呟きに、瀬田が足を止めた。
「見た?」
「そうです。説明を聞いてるとき、表通りに何か、あるいは誰かを見たんだ」
「そりゃないですよ。だって、さなりはカウンターの椅子に座って、壁に向かってたんだから、見ようたって」
堀井は瀬田の言葉を遮り、
「店に戻りましょう」
踵を返した堀井に、瀬田が渋々といった顔で付いてきた。
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