病みと狂気

暗黒物質

 近藤さんと一緒に食事をした。


「へえ。配信やってたんですか」

「……うん。ごめんね。言わなかったもんね」


 駅の構内にある飲食店で、ご飯を奢ってもらった。

 近藤さんは口をもにもにとして、ステーキを切る。

 さすがにヘビー過ぎるので、オレはポテトとジュース。


 近藤さんは幸せそうに、の肉の塊を食べている。


「時間があったら、ずっと見ていたいの。だって、ハムスターとか飼ったら、何もしないで見てるじゃない? あれと同じでね」

「ハムスター……」

「んふ、美味ひ」


 近藤さんは、見た目によらず大食いだった。

 オレ達がいるのはファミレスだが、それでも一キロの肉なんて食べたら、値段がバカならない。

 メニュー表を見た時は、【3千円プライスレス】とか書いてあった。


「あ、でも、……んぐっ。周りには、内緒にしてほしいかな。わたし、大学生だから。高校生と付き合ってるのは、色々と、ね」

「あー……、えっと。そのことなんですけど」


 言え。

 断れ。

 ヤバいって。どんどん、深みにハマってるぞ。


 自分に言い聞かせるが、口が動いてくれない。

 そりゃ、近藤さんみたいな人が好みではあるけど、実際に付き合うとなれば話は別。


 最低限の情報以外、オレは何も知らないのだ。

 それは土井だって同じで、何も知らないのに交際をするなんて、オレには考えられなかった。


「そのぉ、オレ、近藤さんのことは、嫌いじゃな――」

「ユメ」


 唇についたソースを舌で舐めとり、近藤さんは言った。


「名前で、呼んでほしい……です」

「じゃ、じゃあ、……ユメ……さん」

「あ、は」


 ガチャン。


 いきなり、近藤さんの後ろの席から大きな音が鳴った。


「お客様⁉ 大丈夫ですか?」

「すい、ません」

「今、皿をお片付けいたしますので、少々お待ち下さい」


 奥の席に誰がいるのか分かっているので、オレは額を押さえた。


「わぁ。びっくりしたねぇ」

「はは。……はい」


 近藤さんは、オレの方を見る。

 オレと目が合うと、「えへへ」と照れて下を向く。

 本当に年上とは思えない可憐な人だった。


 問題は、後ろだ。


 背もたれの部分が仕切り板みたいになっていて、頭の当たる部分が磨りガラスになっている。なので、奴がこっちを振り向いているのが、シルエットだけで分かった。


「あのね。わたしが言うのもなんだけど」

《死ね》

「本当に良かったの?」

《殺してやる》

「え? な、なんです?」

「だから、わたしと、……本当に、付き合ってくれるのかな、って」

《そんなわけないでしょ?》

「ごめん。呪詛じゅそがすごくて聞き取れない!」


 近藤さんは、ほわぁとした性格だ。

 さっきから話す事に夢中で、後ろの禍々しい気配に気づけていなかった。


「わたしね。我慢しようとしたのよ」

《だったら、出てこないでよ》

「でも、二年位前から、急にレンくんが大人びてきて……」

《名前で呼ばないで……ッ!》

「もう、我慢できなくて……」

《淫売……ッ! 泥棒猫……ッ!》


 両耳に手でメガホンを作っているが、所々声が重なっていて、聞き取れなかった。


「あ、でもね。わたし、お金はあるの。活動のおかげで、みんなから応援してもらってるから。本当に、ありがたいことなんだけど」

《……チッ》


 いや、今のは分かったぞ。

 お前も人の事言えないだろ!


 オレが磨りガラスを見ていると、奴には異変があった。

 奴――土井は我慢ができなくなったのか。

 徐々に仕切りから顔だけを覗かせてくる。


 血走った目が、近藤さんの頭部を睨みつけていた。

 ホラー映画の女幽霊さながらである。


 だが、何かに気づいたのか。

 土井は首を傾げ、ぽつりと言った。


「御茶乃マリア……」

「ひゃぃっ!」


 びっくりした勢いで、近藤さんがテーブルを膝蹴りした。

 飲み物をこぼしてしまい、オレはおしぼりでテーブルを拭いた。


「大丈夫ですか?」

「う、うん! 平気!」


 自分のおしぼりで、膝や椅子を拭き、近藤さんは額の汗を手の甲に拭った。相当焦っているみたいだが、何を言われたんだ。

 相変わらず、呪詛みたいにボソボソ言うから、いまいち聞き取れない。


 近藤さんは周りをキョロキョロして、肩身を狭くしていた。


「本当に平気ですか?」

「……うん」


 皿を見ると、一キロの肉塊はすでに平らげている。


「何か、顔色悪いですし。今日の所は帰った方がいいですよ」

「……そうするね」


 顔が青ざめているので、普通に心配だった。

 オレ達が席を立ち、会計のためにカウンターへ向かうと、奥の席に座っていた土井も立ち上がり、ピッタリとオレの後ろにくっ付いてきた。


 バレてもおかしくない距離だ。

 当てつけも入っているだろう。


 お前、痴漢でもしてんのか、という距離である。


「はぁ、美味しかった。レンくん。今日は、いきなりの呼び出し、本当にごめんね」


 会計を済ませ、近藤さんがニコニコと笑う。

 太陽の化身みたいな笑顔を見て、オレは「いっすよ」と返事をした。

 あと、後ろには暗黒物質ダークマターがいるけど、オレは気にしない。


 ファミレスを出て、駅のホームに向かう。

 夜中の電車は、人通りが多い。

 人混みを掻き分けて進んでいく途中で、近藤さんが言った。


「じゃあ、後でいっぱいお話しようね」

「はいっ」


 手を振って別れ、小さくなっていく近藤さんを見守った。

 改札口を通ると、近藤さんは見えなくなって、オレには暗黒物質だけが残された。


「……お話、したい」


 後ろを見ると、真っ黒に濁った目で見上げる土井がいた。

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