11
「っえ?」
「ぁ、ウソ……!」
それまで教室で談笑していた全員の視線が、俺へと向けられる。
同級生からの驚きと、気まずげな声が漏れる中、俺は教卓の前に置いてあるプリントを取る為に、コツコツと足音を響かせた。
先ほどまでの喧騒を消した教室。廊下とは違い、効きの悪い冷房の風が体に滲んだ汗に触れて、シャツが体に貼り付く。少し、いや、かなり気持ち悪い。
「あ、あの……寛木?」
「優雅君、さっきのはちょっと冗談で……」
「うん?なんのこと」
鍛え抜かれた表情筋が、いつもの笑みを同級生達に向ける。そんな俺に、先ほどまである事ない事口にしていた同級生達が少しだけホッとした表情を浮かべた。
そう。あくまで、俺はプリントを取りに来ただけだ。
でも、だ。
「あ、えっと……優雅君。インターンシップ、頑張っ」
「黙れよ、ブス」
「え?」
お前らの言ったように、この笑顔がホンモノなワケねぇだろうが。全部ウソだ。ウソウソウソ、ぜーんぶウソ!
気付けば、俺は深く息を吸い込んでいた。
あぁ、クソ。俺の四年間って何だったんだろう。
「お前ら、全員マジでキメェわ。だいたいお前らってさぁっ――」
そう、言葉を放った瞬間。
俺の声帯はとめどない言葉の波を同級生達へと浴びせかけていた。怒鳴り声を上げたりはしない。だって、別に俺はコイツらに対して怒っちゃいない。ただ、思ったことを……いや、ずっと思っていた事を、懇々と伝えているだけだ。
--------こりゃ、やっぱ店の余命も半年以内ってトコかなぁ。
それこそ、つい先日マスターに言ったみたいに。
そこからの記憶は、酷く曖昧だ。ともかく、俺の悪癖が出てしまった事だけは確かだ。
そう、〝本当の事を言ってしまう〟という、俺の悪癖が。
「つーか、羽場ぁ」
「っ!」
最後に、俺はこちらに向かって閉口する羽場に向かって、出来るだけ嫌悪感丸出しの声で名前を呼んでやった。
戸惑いに満ちた真っ黒い瞳が、とっさに俺から逸らされる。
あぁ、クソクソクソ!なんだよ、俺が何かしたかよ!好きなんて一言も言ってないだろうが!何も求めてないだろうが!
お前とどうなりたいなんてこれっぽっちも思ってなかったのに。
「誰がテメェなんか好きになるかよ。鏡見てモノ言えや」
「っ!」
あぁ、どう考えても言い過ぎだ。でも、もういい。こんなヤツにどう思われようと、なんて事はない。
それなのに、どうしてだ。鼻の奥がツンとする。目の奥が熱い。
「気持ちワリィんだよ。お前ら全員」
そして、それがこの教室で放った、最後の言葉だった。
俺は、失敗なんかしちゃいない。
◇◆◇
気付けば、俺は金平亭の裏口の前に居た。
「っはぁ、っはぁ……間に、合った」
遅刻してもいいか、なんて思っていたくせに、どうやら俺は走ってここまで来ていたようだ。高く上った夏の太陽が、ジリと俺の肌を容赦なく焼き付ける。
「あっつ」
流れてきた汗を手の甲で拭いながら、店の裏口の戸を開けた。同時に、クーラーの冷風がフワリとコーヒーの香りを運んできた。
「っふー」
冷房の効いた店内に入ったはいいものの、体中から汗が滝のように流れていく。ただ、充満するコーヒーの香りのお陰か、あまり不快感を感じない。そうやって、俺が天井を仰ぎ見ながら呼吸を整えている時だった。
せわしない足音がこちらへと近づいてきた。
「あ、あれ?寛木君?なんで……」
休憩室の前を通り過ぎようとしたマスターが、驚いた様子で俺に向かって声をかけてくる。どうやら、忙し過ぎて時間を把握出来ていないようだ。
「普通にシフトの時間なんですけどー」
「って、もうそんな時間っ?ちょっ、来たばっかなのにごめん!注文取りに行ってくれる!?」
マスターが俺に向かって言い放った直後、店内からヒステリックな声が響き渡った。
「ちょっと、まだなの!?コーヒー一杯にどれだけ待たせるつもりよ!」
「すっ、すみません。ただいま!」
あぁ、予想通り。
今日も店は、長時間居座るババア達を筆頭に満員御礼の様子だ。まったく、今日はコーヒー一杯でどれだけ粘るつもりなのか。この、心地良い温度に保たれた店内の電気代すらも、あのコーヒー1杯では賄う事は出来ないというのに。
「もう、なんだよ。待たせるって……。さっき来たばっかりのくせに」
ふと、マスターの口から苛立ちを含んだ不満の言葉が漏れた。文句ひとつ言わずに馬車馬のように働くマスターにしては珍しいボヤき。
「へぇ」
--------マスター!あのオバさん達追い出しましょーよ!他のお客さんにもメーワクです!くたばれっ!
--------まぁまぁ、田尻さん。落ち着いて、彼女たちも一応お客様だから。
「お客様」
殆どクレーマーと化した迷惑行為を繰り広げる人間相手に対して、そんな言葉を口にするマスターに、俺はいつも「お客様は神様だもんねぇ」と、皮肉を言ってやっていた。まだ、高校生のミハルちゃんの方が、よほど本質を理解している。そんな俺の言葉に「しょうがないよ」としか口にしないマスターの姿に、俺はやっぱりこの店が遅かれ早かれ潰れる事を確信していたのに。
なのに、今日は違った。
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