2024.06.14(金)
2024.06.14(金)
4時勤務終了、打刻して帰宅の途に就く。昨日と違ってきょうは時間も時間だったので、夏至近くの4時であればすっかり朝の景色が広がっている。カエルの声はすでに止んでいるし、たくさんの種類の鳥があちこちで鳴いている。山の端も明るくて、すでに星の光も取り払われていた。この頃は一時間違うとまったく様子が様変わりするなと感心した。
4時15分帰宅。
帰宅後、彼女とVCをつないで、その後、青山さんの『ぼくらの国会』を視聴する。きょうの更新分は〈三年連続党員数1位〉という話。青山さんは獲得党員数が三年連続1位になったらしい。しかも総数でも、自民党の衆参の議員の中で、唯一参議院議員としてベスト10入りを達成された。青山さんの動画を視聴していると、発言内容がまさしく至誠といった様子で、心に響くものを感じる。正しいことをいう人の声は、正しく人の心に響くものだ。青山さんを見ていると、この人のもとでなら、党員になって応援してもいいと思える人が増えてくるのはわかる気がする。喜ばしい内容だったけれど、反面、利益団体のあと押しのある既得権益勢による旧態依然の政治がいったいいつまで尾を引いてゆくのか。しばらくはこの因習を払底することはできないだろう。青山さんのような姿勢を貫く議員がほかにあと何人かでもあらわれればまた状況も好転するだろうか?
青山さんのあと、料理人のGeorgeさんの動画を視聴する。以前もあげられていた動画〈なめこのパスタ〉のアップグレード版。今回は、〈なめこめんつゆバターのパスタ〉だった。前回の動画――なめこを色づけるのがフッ素樹脂加工のフライパンでは難しいという訴えがあったということで、今回はフッ素樹脂加工のフライパンでもうまく作ることのできるやり方を紹介されていた。なめこ、思ったよりも多く使用されていた。この前の動画視聴後も、いつか作ろうと彼女に伝えていたけれど、結局一度も作らないままになっていた。今度こそ機会を見つけてつくってみよう。なめこさえ買えば、あとは冷蔵庫にある材料でなんとかなりそう。いつか彼女にも振舞えるようにまずは試作から始めないと。
動画視聴後、5時26分づけで、彼女からDM経由でイラストが送られてきていた。タッチパネルに手書きのイラスト〈鼻血ぶー〉。
その後、朝ごはんにする。
彼女は三連の〈みたらしだんご〉。
わたしは、青の洞窟のソースを使ったペンネアラビアータと、焼き豚とレタスのサラダ、いんげんの胡麻和え。
食事中、彼女と一緒に竹田恒泰さんの〈竹田チャンネル〉、木曜日の定例の動画を視聴する。
今年初めて竹田さんの制作された中学歴史教科書が採択されて、その教科書の宣伝(?)めいた話が冒頭数十分繰り返された。全国で何校くらいがこの教科書を選択するんだろう。教頭が反対するから受け取り拒否しますという学校があったのには驚いた。こういうところもあるのだなと、あらためて全国規模というもののその広さを思い知った。
その後、就寝。
わたしが寝ている間、彼女は家族の要請でちょっとしたお使いにいったらしい。途中、珍しい蝶々の写真を送ってくれた。こっちでは見かけないはじめて目にする種。
帰宅途中に人んちの菖蒲の写真も送ってくれた。花弁の色味のコントラストが鮮やかで美しかった。
こちらは11時半ころに一旦目が覚めたので、「虎ノ門ニュース」のアーカイブ配信を流し始めてふたたび眠る。
冒頭ちょっと聴いたのは覚えているものの、すぐにまた眠ってしまう。つまりほとんど聴いていない。
3時起床。
起床後、夕食の準備。
夕食、彼女はフルグラ。
わたしは、菊水の味噌スープを使用して、ラーメンを作る。麺は〈麺好亭 ちぢれ麺〉、地元スーパーのPB商品のメンマ、山頭火の叉焼を一切れ使用。ほかにもやし半袋と、ねぎ適量。卵まで用意する余裕はなかった。きょうはこれと、柴漬けを用意して、ラーメンを食べ終わってからジャーに残っている白米を柴漬けで食した。悪魔の誘惑。炭水化物コンボ。
食後、入浴。今回もアイスはがまん。
その後、ふたたび彼女からイラストが贈られてくる。
コードネーム〈よこしまなたくらみ 🐱ver.〉。
目をつむって休む前にいくつか動画を視聴する。
ひとつは、秋に発売されるPS3版からのリメイク作、PS5版『ロリポップチェーンソー』の紹介動画。PS3版に触れたことがある。これはまた遊んでみたいので順当に行けばおそらく買うはず。DL版だろうね。
ふたつめは、「宮脇ちゃんねる」さんの動画〈ニコニコ動画終了のお知らせ〉。ニコニコ動画がなぜ狙われたかについての考察。これは真か偽か、どちらだろうか。
みっつめ、〈市販のバニラアイスの食べ比べ〉。ハーゲンダッツの優勝かと思いきや、優勝はレディーボーデンだった。こんど見かけたら買ってみよう。
その後、目をつむって休む。
6時半、出勤する。
いまちょうど、諏訪哲史さんの『アサッテの人』(講談社)を読んでいる。これは三度ほど図書館で借りて読んだことがあった。借りて読むと読み方が雑になるのはいなめない。結局実際に買って読むに若(し)くはなしと思い知らされている。こんな話だったんだと四度目にしてはじめて知った。
〈アサッテの人〉はなぜ「アサッテ」なのか。決まりきった生き方の枠にはまってしまうということは、能動的に生きることから離れてしまう行為である。そもそも死ですら自由にならない世界になった現代において、主体的に行動を選択していると、いまもわたしたちを幻惑させ続ける「意志」からすらも自由になるにはなにが必要か。「叔父」はそのために〈吃音〉がどうしても必要だった。自分の意志とは無関係に、発生する吃音が生み出す違和感。しかし、生来悩まされ続けた吃音から自由になってしまったからこそ、それに代わるなにかが必要になり始めた。そのなかで、行動が斜め上を行く「アサッテ」が自然に発生したものの、それはやがて誇張され、その発現が渇望され、本来の自由からはかけ離れたものへと変貌していく。これから先、叔父はどうなっていくのだろう。
おそらく明日には読み終えられそうだ。読み終えるのが楽しみだ。
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