第2話 悟り少女の告白



 二話 悟り少女の告白



「姫倉さん、それってどういう意味?」


 真は震える声で質問をする。


「”冗談”だけど」


 姫倉のその返事は、驚くほどあっさりとしていた。だが、真の身体の内側はゾワゾワと痺れた。姫倉の”冗談”という言葉に真の力が発動したのだ。


「いや、だって。文化祭当日にこの世にいないって。え? それって」


 あまりの動揺に真の思考回路は混線していた。聞きたいことがあるのに、疑問を上手く言葉に出来ない自分に苛立ちさえ感じるほどだった。


「だから”冗談”だってば。本気にしないで」


「でも」


 真が口を開こうとしたその時、化学室に十人程の生徒とプリントの束を持った先生が入ってきた。

 先生は各机に人数分のプリントを配ると、黒板の前に移動して生徒達に席につけと言った。まだ席についてなかった生徒達は慌てて空いている席に座った。


「じゃあ今から文化祭実行委員の打ち合わせを始めるぞ」


 打ち合わせが始まってしまったために、真は質問をやめるしか無かった。



 文化祭の打ち合わせといっても、この日は大まかな説明のみであった。

 配られたプリントに重要なことは殆ど書いてあったため、真はメモを取らずに先生の話を聞いていた。いや、集中して聞いていたわけではない。真の頭の中は、姫倉の先程の言葉でいっぱいだった。


「というわけだ。分かったか? まとめるとこういうことだ。ゴールデンウィークまでにクラス展をどうするか決めて、クラス展提案書を作成して俺の所まで持って来い。もしもクラス展で食べ物を扱う場合は、材料や調理方法、具材の管理方法を纏めた資料を家庭科部の八重島先生に提出しろ。適当な資料出すと呼び出されるからしっかり作れよ。良いか? 質問が無ければこれで終わり。解散」


 先生はそう告げるとすぐに化学室を出ていった。先生のいなくなった化学室の中は、一気に賑やかになった。喋っているのは大体が上級生達で、今年は何をやるだとかお前の所はどうなんだと盛り上がっていた。


「姫倉さん、さっきの話だけど」


「さっきの話って?」


「文化祭当日にはこの世にいないって話」


 姫倉の眉がピクリと動いたのを真は見逃さなかった。


「だから”その話は冗談”だってば」


 姫倉の言葉に真の身体の内側が痺れる。勘違いだったと思いたかったが、真の持つ力はそうではないとハッキリと告げた。

 真は迷っていた。

 自分には嘘を見抜く力があるから、姫倉の言った「文化祭当日にはこの世にいない」という言葉が嘘ではないと分かっていることを伝えるのか。

 それとも、彼女に騙されたフリをしてこのままこの話を終わらせるのか。

 姫倉の冗談が日常の取り留めのない冗談だったのなら、真は気にもしなかっただろう。しかし、彼女の言葉は冗談で済ませるにはあまりにも重かった。

 真の頭の中に、他人の嘘を暴いたことによって生じた様々な嫌な過去が次々と蘇る。

 嘘は嘘のままである方が幸せなこともある。自分の興味本位でこの話に首を突っ込んで良いものなのか。だが、ここで騙されたフリをしたとして、本当に彼女が文化祭当日にこの世にいなかったとしたら、自分はそれを受け入れられるのだろうか。きっと、いや、確実に受け入れられないだろう。その後悔は死ぬまで己を縛る呪いの鎖になるだろう。


 真は決心した。


「姫倉さん、本当は冗談じゃないんでしょ?」


「私は何度も”さっきのは冗談”って言ってるのに見抜君はずいぶんしつこいんだね。あんまりしつこいと」


 真は姫倉の言葉を遮るように大きな声で一方的に話を続ける。


「僕は他人が意図的についた嘘が嘘だと分かるんだ。だから、姫倉さんが文化祭当日にはこの世にいないって言った話が本当だって分かるんだ」


 真が全く退かないことが予想外だったのか、姫倉は狼狽える。


「嘘だと分かるってなにそれ。本気で言ってる?」


「そう言われるのは仕方がないと思う。信じて貰えないだろうけど、僕にはそういう力があるんだ」


 その言葉に姫倉は疑いの眼差しを向ける。 


「そんな漫画みたいな話を信じろってわけ?」


「すぐに信じて貰えるとは思ってないよ。でも本当なんだ」


 姫倉は少し間を開けてから話を切り出す。


「そこまで言うのならその力、テストしても良い?」


 姫倉は真剣な眼差しで真を見つめていた。真は目を逸らさずに返事をする。


「テストって?」


「私が色々言うからそれが嘘か本当か当ててよ。信じるか信じないかはそれから考える」


 真は過去に何度か同じ事をしたことがある。その時は結局、信じて貰えないか気味悪がられるかのどちらかだった。だが、ここで引いたら意味がない。真は構わず突き進む。


「分かった。良いよ」


「じゃあ何を言うか考えるからちょっと待って」


 そういうと姫倉は黙り込んだ。


 真は姫倉の準備が整うまでの間、特に何かあるわけでもない空を見ていた。運動場の方からは色々な運動部の掛け声が飛び交っており、上の階にある音楽室からは吹奏楽部の演奏が響いていた。



「見抜君、良い?」


 姫倉の言葉に我に返った真は、いつでもどうぞと答える。


「”私はトマトが好き”」


「嘘」


「”私はレバーが嫌い”」


「嘘」


「”私は中学の時にコンクールで入賞したことがある”」


「嘘」


「私はコンクールで入賞したことがある」


「ん? 本当。中学生の頃じゃないってことは、小学生の時にコンクールで入賞したのかな?」


「正解。次、私は幽霊を見たことがある」


「本当」


「幽霊は存在する」


 真の身体は痺れなかったが、姫倉に伝え忘れていたことを思い出す。


「その言い方だと分からない」


「どういうこと?」


「相手が意図的についた嘘かどうかが分かるだけで、相手の言葉が真実かどうかまでは分からないんだ。あくまで相手が意図的に嘘をついたかどうかしか分からないんだ」


「ふぅん。それなら、”私は幽霊を信じていない”」


「嘘」


「英語の森秋先生は顧問でもないのに女子のソフトボール部の練習をよく見てるらしい」


「嘘じゃないけど、その話が本当なのかは分からない」


「分からないのは幽霊の質問の時と同じ理由?」


「うん。『らしい』って言い方をしてるってことは、おそらく姫倉さんが誰かから聞いた話だよね?噂話みたいな第三者からの情報だと分からないんだ」


「ふぅん。次、私は胸元に三角のホクロがある」


「ちょっ、えっ?」


 真はあまりにも想定外な言葉が姫倉の口から聞こえたため、思わず椅子からずり落ちそうになる。しかし、姫倉は気にした様子も見せずに淡々としている。


「良いから答えて」


「ほ、本当」


 姫倉は真の目をジッと見つめる。耳まで真っ赤にした真の心臓は、姫倉に聞こえているのではないかと思う程にバクバクと鳴っていた。


「ふぅん。へぇ、そう」


 姫倉は慌てるわけでも恥ずかしがるわけでもなく、ただ真の反応を見つめていた。


「次、”私は見抜君の事が好き”」


「う、嘘」


 嘘だと答えるのと同時に、真の胸がズキンと痛くなった。何故胸が痛むのか、真には分からなかった。


「じゃあ最後」


 姫倉は真の目をしっかり見ながら口を開いた。


「私は未来を経験することが出来る」


「え?」


 真の力は発動しなかった。


「未来を経験することが出来る?」


 真は姫倉の口から出た言葉に、そしてその言葉に自分の力が発動しなかったことにも驚いていた。


「そう。見抜君に嘘を見抜く力があるのと同じように、私には未来を経験する力があるの」


「そんな力があるだなんて」


 信じられないと呟く真に対して、姫倉は何を今更と返した。


「私からしたら、見抜君の力も常識的にあり得ない力だと思うけど」


「それはまぁ、そうかもしれないけど」


 真は自分の嘘を見抜く力と比べたら未来を経験するだなんて次元が違うと思ったのだが、今の気持ちを上手く表現出来ず言葉が出てこなかった。


「ねぇ、遅くなっちゃったしそろそろ帰ろっか」


 姫倉は黒板の上にある時計を指差す。時刻はあと五分で十七時になろうとしていた。


「そうだね。帰ろうかな」


 いつのまにか上級生達は皆帰っていたため、化学室には二人しか残っていなかった。真は姫倉に続いて化学室を後にした。



 昇降口まで二人は並んで歩いた。しかし、お互いに口を開かない。

 真は姫倉の方をチラリと見た。姫倉はいつもと変わらぬ表情で隣を歩いていた。廊下の開いた窓から入った風が姫倉の髪を描き撫でる。その姿に思わず見惚れていた真は、慌てて目をそらした。


 昇降口に到着したタイミングで、姫倉の言葉が沈黙を破った。


「バスで見抜君のこと見たことないけど、見抜君は自転車通学?」


「うん、自転車通学」


「ふぅん。家はどの辺り?」


「裏のおばあちゃんの駄菓子屋知ってる? あの辺り」


 裏のおばあちゃんというのは、真の家の近くにある駄菓子屋を営むお婆さんのことだ。

 ちゃんとしたレジスターがあるにも関わらず、お釣りを机の引き出しやポケットの中から出すことが多く、それが怪しい取引みたいだ、という理由でいつからか近所の子供達からそう呼ばれるようになっていた。


「へぇ。結構距離あるのに大変だね」


「バス停まで行くのもちょっと遠いからあんまり変わらないかな。姫倉さんは?」


「鳴間北駅の方。てっぺん公園の近く」


「てっぺん公園って駅の近くの大きな塔がある公園?」


「そう。塔は去年撤去されたから今は何も無いけど」


「そうなんだ。知らなかった。あの辺あんまり行かないから」


 てっぺん公園というのは大きな塔を模した遊具のある公園で、近所の子供達から人気のある公園のことだ。

 しかし、老朽化のせいなのか分からないが一年前に塔が撤去されてしまったため、今は遊具が一つもない広場になっている。


「見抜君、自転車取りに行ってきなよ」


「ちょっと待って。まだ話を最後まで聞けてないんだけど」


「最後までって」


 言わなくても分かるでしょ、と言いたげな姫倉の視線に真は怯むこと無く視線を送り返す。その視線に姫倉は小さく溜め息をつく。


「まぁここまで喋ったら言っても言わなくてもあんまり変わらないよね。じゃあ、帰りながら話すよ。あんまり長電話すると怒られるから。見抜君はバスでも大丈夫?」


「もちろん」


 姫倉はお金の心配をしているのかバス停からの距離の話をしているのかわからなかったが、真にとってはそのどちらも大した問題ではなかった。


「ふぅん。じゃあバス停まで行こうか」



 真と姫倉は裏門坂を下る。沈もうとしている太陽と少し肌寒さすら感じる風が、夜の訪れを知らせるかのようだった。

 坂の下のバス停に着いた二人はベンチに腰を下ろした。


「最初から話した方が良い?要点だけ話せば良い?」


「話したくないことは話さなくて良いけど出来れば最初から聞きたいかな」


 姫倉はしばらく考え込んでから口を開く。


「やっぱり先に見抜君からその力のことを話してよ。テストだけじゃ分からなかったこともあるし」


「僕から?それは良いけど」



 真は物心ついた時から相手が嘘をついていると身体の内側が痺れるようになったこと、小学生の時の自分は嘘を見抜く力は正義の力だと思っていたこと、それを乱暴に扱いすぎた結果孤立したこと、その全てを姫倉に話した。姫倉は真の話を真剣な表情で聞いていた。


「まぁ、大体こんな感じかな」


「ふぅん。話してくれてありがとう」


「いや、姫倉さんにだけ話させるのはフェアじゃないと思ってたから、聞かれなくても話そうとは思ってたよ」


 そう話す真の視線の先には、行先表示に八番と書かれたバスが走ってきていた。


「乗るのってあのバス? 行先番号見ても分からないんだよね」


「うん。基本どれに乗っても良いけど十三番のバスだけは乗っちゃ駄目。十三番のバスは駅に行かずに蛇ノ目の方に行くから」


「そうなんだ。詳しいね」


「慣れれば分かるよ」


 姫倉はそう言いながら立ち上がった。真は財布の中の小銭を確認してから立ち上がると姫倉の後に続いてバスに乗車した。



 若干帰宅時間とズレているからなのか、バスの中は空席が目立っていた。姫倉は交通系カードで乗車手続きをする一方、真は乗車券を取って財布に入れた。真と姫倉はやや後ろ寄りの席に並んで座った。


「じゃあ、次は私の番だね」


 姫倉はそう言うと一度深呼吸をする。


「姫倉さん、内容が内容だから話したくないことは無理して話さなくて良いからね」


 真が念押しするようにもう一度伝えると、姫倉はコクンと頷いた。


「初めてこの力を自覚したのは小学校五年生の時だった」


 姫倉はゆっくりと語りだした。



「はーい、皆さん。静かにしてください。ホームルームの時間ですよ」


 時は姫倉さとりが小学五年生の頃まで遡る。


「予定帳は書きましたか? 明日は長縄大会があるので体操服を忘れないようにね」


 皆がバラバラのタイミングで返事をした。姫倉も皆に混じって返事をしたのだが、急に身体に違和感を感じた。


「ん、ん?」


 突然視界がグルグルと回りだした。世界がグルグルと回る中で、光が、風が、熱が、重力が、その全てが変わっていく様を鮮明に感じた。姫倉は何が起こったのか分からなかった。椅子から落ちそうになった感覚は確かに本物だったのだが、今は足の裏にしっかりと体重を感じている。



 気が付くと姫倉は教室ではなく道路を歩いていた。姫倉が歩く隣には友人である久美子と和美の姿があった。


「今日さとりちゃんの家に行っても良い?」


「私も行きたい! ねぇ、聞いてる? さとりちゃん」


「え? あ、なに?」


「どうしたの? ボーッとしちゃって」


「それは」


 久美子と和美は姫倉の顔を覗き込む。しかし、姫倉は自分でも何が何だか分かっていないので説明することが出来ない。

 教室でホームルームの最中だったはずなのに、どうして今下校途中なのだろうか。

 疑問が解決する前に、三人が待っていた信号の色が青に変わった。久美子は信号が青になったことを確認すると一足先に道路を渡り始める。


「久美子ちゃん危ないよ。ちゃんと左右を見てから渡らないと」


「大丈夫だよ。だって信号青になってるもん」


 和美の注意を無視して久美子は二人を置いて走り出す。


 一瞬だった。


 姫倉は目の前で何が起こったのか理解することも、助けに行くことも、悲鳴をあげることさえも、何一つ出来なかった。

 久美子の身体は信号無視のトラックに跳ね飛ばされて、数メートル先の電柱に叩きつけられていた。

 数秒前までは確かに友人だったモノを、姫倉はただ呆然と眺めていた。



 視界が、世界が再びグルグルと回りだす。姫倉は眼の前で起きた光景も、自分の身に何が起こっているのかも分からなかった。姫倉は何も分からないという恐怖に耐えかねず腹の底から叫んだ。


「大丈夫ですか? どうかしましたか姫倉さん」


 我に返った姫倉は床に座り込む先生に抱きかかえられていた。


「あれ、ここは?」


 姫倉の頭がジンジンと痛む。どうやら頭から床に倒れ込んだようだった。


「顔色がとても悪いけど大丈夫? どこか痛かったり気持ち悪かったりする?」


 先生の問いかけに姫倉は答えることが出来ない。というよりも考えが追いついていなかった。

 先程見た光景は何だったのか。音も臭いも光景も全てがあまりにもリアルだった。

 分からないことばかりであったが、一つだけ分かったのはどうやら今は帰りのホームルームの最中ということだ。

 抱きかかえられた姫倉を心配するように覗き込むクラスメイトの中に久美子の姿もあった。姫倉は久美子の顔を見て先程の光景を思い出す。


「く、久美子が、トラックに撥ねられて」


「え、アタシ?」


 突然自分の名前が出たことに驚きの声をあげる久美子。姫倉のその言葉に「ただ居眠りしてただけじゃねぇか」とからかう男子達。教室にいた皆がザワザワと騒ぎ出したが、先生が静かにしなさいと叱るとすぐに静かになった。


「姫倉さん、とりあえず保健室行こっか。歩いて帰れそうにないならお父さんかお母さんに迎えに来て貰いましょう」


 大丈夫です、と姫倉は伝えたが先生は聞く耳を持たなかった。それ程に姫倉の顔色は悪かったのだろうか。それは姫倉本人には知る由もなかった。



 姫倉が保健室のベッドでしばらく寝ていると、ガラガラと保健室の扉が開く音と共に、聞き馴染みのある声が聞こえた。


「先生、姫倉さとりちゃんはいますか?」


「姫倉さんのお友達? 今あそこのベッドで寝てるからそっとしておいてあげてね」


「でも」


「頭をぶつけたみたいだけど血は出てないし、ちょっと疲れてただけみたいだから、大丈夫よ」


「でも、アタシ、心配で」


 保健室に来たのは久美子だった。友人の声を聞いた姫倉は、ベッドからゆっくりと起き上がると、上履きを履いてベッドを囲っていたカーテンを開ける。

 姫倉の顔を見た久美子は満面の笑みを浮かべた。


「さとりちゃん! もう大丈夫なの?」


「うん。平気」


「ホントに大丈夫?」


 保健室の先生が姫倉の顔を覗き込む。本当はまだ少し頭痛がしていたのだが、姫倉はもう大丈夫ですと伝えると保健室の先生はそれなら帰っても良いですよと言った。


 姫倉は「ありがとうございます」と一礼してから久美子と共に保健室を出た。



「ねぇ、さとりちゃん」


 教室に戻る途中、久美子はおそるおそる姫倉に尋ねた。


「なに?」


「アタシがトラックに撥ねられたってなに?」


「それは」


 アレはなんだったのだろう。姫倉には分からなかった。


「変な夢、なのかな。夢を見たみたい」


「じゃあ、さとりちゃん寝てたの?」


「寝てない、と思うけど分かんない。なんか目の前がグルグルってなって、気が付いたら久美子が、その」


 姫倉はあの光景を思い出し吐きそうになる。口を抑える姫倉の姿を見た久美子は笑顔を見せた。


「夢なら問題なーし」


 久美子は姫倉の背中をバンバンと少し強く叩いた。


「だって夢の話でしょ? じゃあ問題ないじゃん。そんなことより早く帰ろうよ」


「うん、そうだね」


 アレはきっと悪い夢。そう思うだけで姫倉の心は少しばかり楽になった。



 少しだけ軽くなった足取りで姫倉が久美子と教室に戻ると、ちょうど和美が姫倉の分の荷物をランドセルに詰め終わったところだった。


「おかえり。さとりちゃん、もう大丈夫なの?頭ぶつけてたよね」


「血は出てないから大丈夫だろうって。実際そこまで痛くないし」


「そっか。じゃあ三人で帰ろうよ」


 きっと悪夢を見たのだろう。何度も自分に言い聞かせるように、頭の中で復唱しながら姫倉は教室を後にした。



 学校を出た三人はお喋りに花を咲かせながら通学路を歩く。


「今日さとりちゃんの家に行っても良い?」


 その言葉に姫倉の心臓がギュウと痛くなった。何だろう。この強烈な不快感は。


「私も行きたい! ねぇ、聞いてる? さとりちゃん」


 怖い。全てが怖かった。それは、ついさっき夢で見たのと同じ会話の流れだったから。


「え? あ、なに?」


「どうしたの? ボーッとしちゃって」


「それは」


 久美子と和美は姫倉の顔を覗き込む。しかし、姫倉は自分でも何が何だか分かっていないので説明することが出来ない。

 このままだとマズい気がする。このままでは夢のとおりになってしまうのではないか、という嫌な予感が頭を過る。何がどうなってトラックに轢かれたんだっけ。姫倉は必死に思い出そうとした。

 その時、三人が待っていた信号の色が青に変わった。久美子は信号が青になったことを確認すると一足先に道路を渡り始める。


「久美子ちゃん危ないよ。ちゃんと左右を見てから渡らないと」


「大丈夫だよ。だって信号青になってるもん」


 久美子は二人を置いて走りだそうとした。


「駄目ッッッ!」


 姫倉は咄嗟に久美子を追いかけて、彼女の腕を強く握ると強引に引っ張った。


「い、痛ッ」


 久美子は突然引っ張られたことにより姫倉の方に倒れ込む。


 一瞬だった。


 姫倉が何もしていなければ久美子が立っていたであろう場所を、ものすごいスピードでトラックが走り抜けた。姫倉と久美子はトラックの起こした突風で目や口に砂が入った。

「ゲホッゲホッ、ビックリしたぁ」


「だ、だだだ大丈夫? さとりちゃん、久美子ちゃん」


 一部始終を道路を渡る前の場所から見ていた和美が慌てて二人に駆け寄った。


「だ、大丈夫」


「あのトラック危なかったね。完全に信号無視だったよ」


「さとりちゃんが引っ張ってくれたから助かった」


 久美子はそう言いながら何かに気が付いたように目を輝かせた。


「さとりちゃん、もしかして帰りのホームルームの時に予知夢を見たんじゃない? ホラ、アタシがトラックに撥ねられたって言ってたじゃん」


「予知夢?」


「未来に起きることを夢で見るってやつだよ」


 予知夢だったのだろうか。姫倉は考える。確かに何もしなければ久美子はトラックに撥ねられていたかもしれない。一度見ていたからこそ動けたのかもしれない。

 まだ良く分からないが、その予知夢のおかげで友人を助けることが出来た。その事実をひとまず受け入れよう。姫倉はそう思うことにした。

 姫倉は転んだ際についたスカートの砂埃を手で払いながら立ち上がると久美子に手を差し出した。


「早く渡っちゃおうか」


「うん」


 その時だった。横断歩道にいる歩行者の確認を怠った右折中のバイクが三人目掛けて突っ込んできた。


 しばらくして、パトカーと救急車のサイレンが鳴り響いた。



 ふぅ、と溜め息をつき姫倉は一旦話を止めた。


「私と和美はバイクにはぶつからなかったから擦り傷で済んだけど、久美子はバイクとぶつかって腕と足を骨折したの」


「そうなんだ」


 姫倉は、今は久美子は普通の生活送ってるから、と補足した。


「それからも色々な未来を経験した。何度も経験していく内に共通してることが分かったの」


「共通してること?」


「私が行動を変えても似たような結末を迎えるってこと。それはつまり、未来を経験出来たところでそれがどんなに受け入れ難い未来だったとしても覚悟しなくちゃいけないの。それがたとえ、自分が殺される未来だったとしてもね」


 真は思わず息を呑んだ。だが、姫倉は当たり前のことを話しているだけとでも言うように、淡々と、まるで他人事のように話し続ける。


「今まで同じ未来を経験する事って無かったんだけど、私が殺される未来だけはどういうわけか既に何回か経験してるの。最初に経験したのは高校の入学式の日。最後に経験したのは昨日」


 色々聞きたいことが頭を過った真は、最初に確認しておくべきだと思ったことを質問する。


「同じ未来を経験するってどういうこと?」


「他に言い方なんて無いよ。そのままの意味。私は、私が殺される未来を何度も経験してるの」


 真はちょっと質問が前後しちゃうんだけど、と話を切り出す。


「漫画だと未来を見るって言い方が多いと思うんだけど、姫倉さんが未来を経験するって言い方をしてるのはニュアンスが違うってこと?」


「そう。未来を見るって言うと第三者の視点、もしくは自分の視点だけど身体は言う事きかないってイメージじゃない?」


「うーん、言われるとそうかも」


 真はその着眼点は無かったな、と思った。


「私は未来を経験している間に自分の意思を反映させられるの。そして、何度も同じ未来を経験するようになってから分かったのだけれど、毎回自分の行動を変えられるの。結果は変わらないけどね」


「じゃあ、姫倉さんは色々行動を変えても結局最後は、その」


「殺される」


 真がハッキリと言わなかった言葉を、姫倉が自ら付け足した。その言い方に真は何とも言えない嫌な感情が湧いた。


「それがいつの事なのかってのは分かるの?」


 姫倉はそんなの当たり前でしょと答えた。


「六月七日の十九時頃。天気は雨。この日は中間テスト二日目。場所はバス停から家まで歩いて帰ってる途中。死因はココとココを刃物で刺されたせいだと思う」


 姫倉は刺された場所を示すように右手で首の辺りと腰の辺りを触った。


「首や腰の辺りを生温かい液体が流れる感覚はハッキリと覚えてる。刺されて倒れた後に血が流れる感覚を味わいながら段々目が開けられなくなって私の人生は終わり」


「相手の顔は見たの?」


「見てない。刺される前に何度か後ろを見ても誰もいないのに、気が付いた時には刺されてる。刺された後は身体が動かなくて振り返る余裕なんて無い」


「何度か未来を経験してるって話だけど時間や場所は同じなの?」


「同じ。まぁ数分の誤差はあるかもしれないけどね。傘をさして歩いてるってことも変わらない。刺される前に携帯で時間を見ると六月七日の十九時ぐらいだからそこは確定なんだと思う」


「何度か未来を経験してる中で、姫倉さんはどんな風に行動を変えたの?」


「走ってみたり道を変えたり。でも場所が変わるだけで、ほぼ同じ時間に刺されることには変わりなかった」


「同じ時間に必ず刺される、か」


 真の質問が止まる。それにあわせて姫倉は携帯電話でとあるニュース記事を真に見せる。


「知ってるかもしれないけどコレ」


 真が姫倉の携帯電話を覗き込むとそこには「四ヶ月連続、女性を狙った通り魔事件」と書かれていた。

 鳴間市近辺で一月から四月の間に四件発生した通り魔事件の記事だった。被害者はいずれも若い女性で、一人で帰宅している所を狙われている。被害者同士の接点が無いことから、犯人は個人的な恨みではなく若い女性をターゲットに犯行に及んでいると推測されている。連日ニュースで騒がれているが、最初の事件から四ヶ月経った今も犯人は捕まっていない。


「このままだと五月も被害者は出るだろうし、六月のターゲットは私ってことになりそうだね」


 真は言葉を選びながら話す。


「質問というか確認なんだけど」


 言い淀む真に対して、姫倉は「ハッキリ言いなよ」と返した。


「じゃあ言うよ。姫倉さんは、諦めてないよね?」


「諦めるって、何を?」


「生きること」


 姫倉は口を開けたまま真を凝視する。


「頑張れば助かる、とでも言いたいの?」


 真を睨みながら発した姫倉の言葉は今まで聞いたどの言葉よりも冷たく、重く、ドス黒さを滲ませていた。


「さっき言ったよね。未来の行動を変えても結果は大して変わらないって。それに今回は何度も同じ未来を経験してる。その度に違う行動を取ってる。でも殺される。じゃあどうすれば良いって言うの?」


「どうすれば良いかはまだ思いつかないけどさ、警察に相談するとかその日は休むとか色々あるんじゃないかな」


 姫倉は舌打ちの後に大きな溜め息をついた。


「警察に相談? 相談してどうなるって言うの? 私は六月七日の十九時に通り魔の犯人に刺されて殺されますって相談しろって言うの? そんなの頭のおかしい人だと思われるだけでしょッ!」


 姫倉の声が段々大きくなる。乗客が殆どいないバスの中でその声は大きく響いた。思っていたより車内に自分の声が響いていたことに気が付いた姫倉は、恥ずかしそうに声を小さくした。


「引きこもってれば助かるかもしれない? どこにそんな保証があるの? それに死ぬと分かってるのなら私は最後まで普通の生活を送りたい。私に残された時間はもう二ヶ月も無いのだから」


 真は自分以外に彼女にこの言葉を送る人間がいないだろうと思い、嫌われるであろうことを承知で口を開いた。


「厳しいことを言うのだけれど、姫倉さんがその未来を受け入れたら、姫倉さんの普通の生活は六月七日の十九時で終わるんだよ。それで良いの?」



「そんなの」と、姫倉の口から溢れた。姫倉の口が小刻みに震える。


「良いわけ、ないよ」


 その言葉は、彼女が初めて見せた涙と共に零れ落ちたものだった。


「良いわけないよ。ねぇ見抜君、私どうしたら良いと思う? 私まだ死にたくないよ。私まだ高校生になったばかりだよ? 文化祭も、体育祭も、修学旅行も、受験も、恋愛も、何にも出来ずに死ぬなんて嫌だよ。本当は部活も続けたかったけど、皆に迷惑かけるかもしれないから入らなかっただけで、本当はテニスを続けたかったよ。何で私なんだろうね? 他の誰かなら良いだなんて思ってるわけじゃないけど、でも、何で私なんだろうね? ねぇ、助けて見抜君、私まだ死にたくないよ」


 姫倉の目からボロボロと涙が溢れ出した。姫倉は涙と声を何とか抑えようと真の肩に寄りかかった。真は姫倉を押し返したりすることなく、彼女の体重を自分の半身で受け入れた。

 真は彼女がどれほどの不安と恐怖を一人で抱え込んでいたのかを、震える彼女の身体から感じ取っていた。


『次は、鳴間北駅。鳴間北駅』


 その時、二人が降りるバス停の名前が読み上げられた。真は姫倉が寄りかかってない方の手で降車ボタンを押した。

 ピンポン、と音が鳴り降車ランプが点灯した。


「正直な話、今はどうすれば良いか思い付かないけど。必ず未来を変えてみせるから」


 真の言葉に、彼女は肩に寄りかかったまま頷いた。


 

 真の言葉は姫倉を元気づけるためのものというよりは、自分自身に言い聞かせるためのものであった。

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