閉口
「何か買う気なの?」
俺が尋ねれば、彼は僅かに口を緩ませ、微笑を浮かべた。賢しら顔に例えても良かったが、気の置けない仲にある友人同士が以心伝心の微笑み合いをする、好感だとしたい。
「買う必要はないかな」
しかし、彼と出会ってから今し方まで、これほど自然な笑顔は見たことがなく、仲睦まじさと捉えるには些か無理があった。だからこそ、こんこんと湧いて仕方ない疑問が顔に張り付き、口はより鈍重に陥る。彼の先導がなければ話し出すきっかけを見出せない。
「……」
病院の待合室のような辛気臭い沈黙が俺と彼の間を支配し、それを取り払おうとするには、澄んだ空の青さに向かって哄笑し、仄暗く醸成された雰囲気を吹き飛ばす必要があった。ただしそれも、向き不向きがあり、俺が突然笑い出せば発狂を連想され、心配させるだけだろう。「八方塞がり」という読んで字の如く、俺はこの場を上手くやり過ごす術を持っていなかった。俺は彼の防風林として、世間の風当たりから守ってきたつもりだったが、全くもって見当違いな自惚れだったのかもしれない。
「高橋ってさ、電車とか乗らないのに駅構内によく行くよね」
これまで蓄積していた疑問が突如として噴出しているかのような質問の数々は、表層的なやりとりに終始していた俺達の関係を端的に表現したと言ってもいい。普段なら、気兼ねなく答えられていたはずだが、妙によそよそしく、直裁に言葉をあやなして彼の疑問に答える勢いが全くもって得られない。「カナイ」で起きた担任教師との邂逅や、その過程で起きた出来事により、俺は彼とまともに目を合わせることも出来なくなっていた。
「ああ、コインロッカーを一つだけ占拠してるんだ。物置きとしてね」
俺は如何にも事情通ならではの仔細顔をし、ポケットに入れていた鍵を取り出すと、見せびらかすように彼の目の前で振って見せる。彼は、鼻先にぶら下げられた人参を追いかけるように鍵の行方を追い、甚大なる興味を露見させた。そんな彼の姿は、物を掠め取る盗人と瓜二つであまり好感を抱けなかった。あまつさえ、フムフムと首を縦に振るものだから、警戒心が増し増して仕方ない。
「わざわざコインロッカーを物置き代わりにしてるんだ」
と口走るものだから、並々ならぬ警戒心が頭の片隅で鎮座し始める。面と向かって彼と顔を合わせていることへのバツの悪さから、俺はそぞろに顔を背けた。もし彼に訝しむ顔付きをされれば、それに上手く阿る方法が見つからなかったのだ。とはいえ、口笛を吹きながら、突飛にあらぬ方向を見出すきわめて不自然な所作は、彼が学生時代から有している非凡なる観察眼を持ってすれば、たったの一目で看破できるはずだ。「コイツ、何か隠しているな」と。
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