魔王の娘 1

「ようやく見つけたぞ、俺の娘――」


 黒い靄の中から現れた男性はそう言うと、ニイッと不敵に微笑んだ。

 

 凶悪な魔物や魔王の手下を相手に討伐していた時とは比べものにならないくらいの威圧感に圧倒される。

 

 王妃殿下はこの人が現れた時に魔王が出てきたときと同じと言っていたのを聞いたからなのか、超越した存在のように思えてしまう。


「ヘザー様!」

 

 ハロルド様の焦った声が聞こえてハッとすると、まるで私を捕らえようとしているかのように黒い靄が近づいて取り囲んできた。

 目の前の景色があっという間に黒に染まり、飲み込まれてしまうのではないかと思うと恐怖に震える。


 成す術もなくぎゅっと目を閉じると、手を握っていたハロルド様が私を引き寄せて、黒い靄から庇うように抱きとめる。


「ここは……もしかして魔王城?」


 呆然としたハロルド様の声が耳に落ちてきて目を開けると、いつの間にか私たちは豪奢だけど陰鬱とした雰囲気の大広間にいた。

 

 王城と同じくらいかそれ以上に大きな建物の中にいるようだけど――カロス王国の王城ではないのは確かだ。

 とはいえわかるのはそこまでで、ここはどこなのかてんで予想がつかない。


「私たち……どうなったの?」

「黒い靄に包まれてすぐにここまで転移したよ……ヘザー様を誘拐するのが目的だったみたいだね」

「そうなんだ。ここって魔王城?」

「確信はないけど、そんな気がする。魔族が現れた時と気配が似ているんだ」

 

 ハロルド様は片手で私を抱きとめたまま、もう片方の手で剣の柄を持ち鞘から抜き出す。


「ちょうどあそこに私たちをここに連れてきた人物がいるから、聞いてみよう?」

 

 彼の視線の先をたどると、先ほど神殿に現れた男性が赤い瞳を不機嫌そうに眇めて私たちの様子を眺めていた。

 

「ようやく娘を連れ戻せたというのに……鼠が一匹ついて来てしまったな」

「娘……?」

「そうだ。お前が無礼にも手に触れているその子は魔王の俺とフローレア――人族の妻との間に生まれた娘で、次期魔王のヘザーだ。その子が赤子の頃に裏切り者の部下たちが攫って人間界に連れ去ってしまってな。見つけ出すために何度も人間界に部下を送り込んだり私も探しに出たが、なぜか巧妙に跡を消されていたから見つけ出せなかったのだよ。しかしそこにいる聖騎士がその部下を倒してくれたおかげで奴がヘザーを隠すためにかけられていた魔法が解けて場所がわかったんだ。ようやく会えてうれしいよ、私の娘――」

「か、勘違いしているだけだよ! 光属性の魔力を持つ私が魔王の娘なわけがないじゃない!」


 私が魔王の娘であるはずがない。

 光属性の魔法は魔族にとっては毒なのだから、仮に私が魔王と人間との間に生まれた子どもなら使えないはずだ。

 

 魔王は私の主張を最後まで聞くと、腕を組んで思案に耽る。

 

「ヘザーが光属性の魔力を持っているのはフローレアの力を継承したからだろう。フローレアも元聖女だからな。……私を討伐するために勇者と大聖女たちが引き連れてきた一行の中にいたが、大聖女の謀略で生死を彷徨うほどの大怪我を負ったままこの城に取り残されていたんだ」


 フローレアさんが聖女だと聞いて予想はしていたけれど、二人は戦場で出会ったようだ。

 

「あ、あのう……あなたはそのフローレアさんと敵対していたんだよね?」

「そうだ。フローレアは俺を討伐するためにここに来たんだからな」

「自分の命を狙って襲い掛かってきたのに、どうしてフローレアさんを妻にしたの?」

「……惚れたからだ」


 魔王はポッと頬を赤く染め、嬉しそうに自分の体に手を当てた。

 そこに攻撃を受けた時にできた傷があるらしい……それをどうして愛おしそうに触れているのかわからない。


「魔族は自分より強いものを自分の伴侶に求めるだ。俺は強くて勇敢なフローレアに心底惚れて――勇者と聖女に裏切られて瀕死の状態だった彼女を助けた。自分の伴侶にするために」


 まさか王妃殿下――元大聖女が謀略なんて……とは思えなかった。

 なんせ私はその王妃殿下に濡れ衣を着せられて追放されそうになったばかりなのだから。

 

 フローレアさんは一週間も眠ったままだったそうだけど、魔王をはじめとする魔族たちの懸命な治療の甲斐あって目を覚まし、数年かけて傷を癒したそうだ。

 

 目覚めたばかりのフローレアさんは魔王を警戒して拒絶していたけれど、魔王がめげずに構い倒し、ドロドロに溺愛し続けていると心を開いたらしい。

 魔王の鋼のメンタルと執念、恐るべし――。


 そんなわけで二人は両想いとなり結婚して私を授かったそうだ。


「ヘザーはフローレアにもよく似ている。美しくて力強い女性に成長してくれてパパは嬉しいぞ」

「パッ……?!」


 まさか魔王が……それも人間離れした美しさがある顔立ちの屈強な男性にパパと自称されるとは夢にも思わなかった。

 

 あまりにも唐突な状況に面食らうばかりの私に、魔王はまたもやニタリと不気味に笑いかけてくるものだから冷や汗がたらたらと背中を伝う。

 見るだけで命の危険を感じるほどの、非常に心臓に悪い笑顔だ。

 

「どうして、パパと……?」 

「人間は男親をそのように呼ぶのだろう?」

「それは、そうだけど……」


 魔王の中で私は娘だと確定して揺るがないようだ。


 たしかに私は赤子の頃に孤児院の前に捨てられていたらしくて本当の両親がどんな人だったのかは知らないし、魔王と同じ赤い瞳を持っているけれど――だからといって私が魔王の娘であるなんて納得できない。


「瞳の色や顔立ちが似ているだけで本当に血のつながった親子とは限らないよ」

「……ふむ、それでは俺の指輪をつけてみるといい。俺の魔力を込めているから、もしも本当に俺の娘ならこの真ん中についている魔石がヘザーの魔力に反応して光るはずだ」


 そう言い、魔王は手につけていた仰々しい金色の指輪を外して放り投げてくる。

 思わず手を伸ばして受け取ってしまったそれには凝った意匠がほどされており、土台には赤く大きな魔石がついている。


「……これをつけたら死んでしまったりしない?」

「気になるのであれば魔力を流すだけでいい」


 その言葉にひと安心して、指輪に魔力を流し込む。


(光属性の魔力を流し込んだら絶対に反応しないよね)


 実際に指輪は私の魔力を拒むようにブルブルと震え、宝石の表面に大きな亀裂が走った。

 

「ほら、光らないじゃん。だから私はあなたの娘じゃないでしょ?」

 

 そう言い終えるや否や、指輪にはめられている赤い魔石が眩い光を放った。


「えっ?!」

「……素晴らしい! 俺がこの指輪を継承した時よりも強い光だ。ヘザーは立派な魔王になるぞ!」

 

 魔王はずかずかと大股で歩いてくると、ハロルド様からベリッと私を引きはがして私の頭をよしよしと撫でる。

 屈強な見た目にはそぐわず、そっと壊れ物に触れるような力で触れてきた。


(ま、魔王に頭を撫でられている……?)


 その手は孤児院の院長がかつて撫でてくれた時のように優しい。

 魔王は娘の私をとても大切に思っているようだ。だけど私は――やはり魔王を父親だと思えない。

 

(それに、魔王の娘なんて嫌だよ! いつか絶対に殺されるに決まってる!)


 仮にここに残れば、いつかは魔王が生き残っていることを察知した魔王討伐部隊に殺されるかもしれない。


 そうとなれば、私がすべきことはただ一つ。


(今ここで魔王を討伐しよう……!)


 魔王を倒し、ハロルド様には私の正体を黙秘してもらう。

 そうすれば私の人生は安泰だ。魔王を倒せば褒賞が出て楽に暮らせるかもしれないし一石二鳥だろう。

 

(フフッ、魔物討伐遠征で鍛え上げた筋肉を活かす時がきたわね)

 

 私は魔王の手を払いのけ、後ろに飛んで距離をとる。


 そのまま呪文を詠唱して浄化魔法を魔王にかけた。


 瞬く間に魔王の周りに光の渦が現れ、魔王を捕らえる。

 魔王は光に当たると顔を顰めて呻き声をあげた。

 

「うっ……」

「へ、ヘザー様?! 何をしているの?!」

 

 聖騎士にとって魔族は忌むべき相手なのになぜかハロルド様が私の前に立ちはだかって魔王を庇う。


「ハロルド様、今ここで魔王を倒して証拠を隠滅しましょう。首を持って帰ったら伯爵位に陞爵も夢ではないわ!」

「待って! まずはお義父さんに挨拶しよう?」

「ど、どうして?!」


 ハロルド様の中で魔王は私の父親だと確定したらしい。

 とはいえ敵に対して挨拶するなんて、律儀なのにもほどがある。


 ハロルド様は胸元に手を当てて、騎士らしく魔王に礼をとった。

 

「初めまして、お義父さん。私は先ほどからヘザー様に専属聖女になっていただいたハロルド・ウェントワースと申します」


 そして自己紹介まで始めてしまった。

 敵地で宿敵を相手に自己紹介をするなんて、もしかするとかなり天然なのかもしれない。

 

「さきほど神殿で見かけた時に似ていると思ったんですが、やはりあなたはヘザー様のお父さんでしたか。瞳の色はもちろん、顔立ちも似ていますね」


 ハロルド様が何度も「お義父さん」と連呼しているのが引っかかるけれど、今は突っ込んでいる場合ではないから放置しておく。


「これからは私が命をかけてヘザー様をお守りするので、お義父さんは安心してください」

「おい、俺をお義父さんと呼ぶな! お前をヘザーの伴侶と認めていないぞ!」


 魔王が眉根を寄せると、ついと指を動かして魔法で黒い炎を呼び寄せ、ハロルド様を攻撃する。

 目にもとまらぬ速さだったのにもかかわらず、ハロルド様は剣で受け止めてそのまま炎を分断してしまった。

 

 すると今度は魔法で黒い刃の剣を生成してハロルド様に斬りかかるけれど、ハロルド様はそれも受け止めてしまった。

 もしかするとハロルド様の強さは魔王と互角なのかもしれないと思えてきた。


「小癪な鼠め、さっさとこの城から出ていけ!」

「いいえ、お義父さんに認めてもらうまでは何がなんでもここから動きません!」


 ハロルド様は魔王と剣を交えている最中とは思えないほどの爽やかな笑顔を浮かべる。


「お義父さん、ヘザー様を私にください! 私にはヘザー様が必要なんです」

「ダメだ、俺の可愛いヘザーは誰にもやらない! 一人で人間界に帰れ!」

「ちょっと、二人とも何の話をしているの?!」


 私の問いに二人とも答えることなく、そのまま小一時間はこのやりとりを繰り返したのだった。

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