37.真剣に向き合えば向き合うほど悩む

「あれいいな〜。あったまる」

「それは良かったけど、今日は寝てないよね?!」

「大丈夫だって。昨日寝てすっかり元気になったって」

「本当に?」

「ほんとほんと」


 心配しすぎだって、と笑う兄さんにクアラと一緒に疑り深い目を向ける。

 入浴剤入りのお風呂に入って上機嫌な兄さんだが、実は昨日、風呂で溺れかけている。


 兄さんの一ヶ月半ぶりの帰宅に喜んだのはつい昨日のこと。遠征組は交代で休暇を取るのだが、他国に攻め込まれないように帰ってくるタイミングや滞在日時は家族にすら知らされない。


 昨日、討伐から帰ってきて兄さんが王都にいることを知った。

 城での仕事がある程度片付いたら帰ってくると喜んだのもつかの間、私とクアラ、ライドが鍛錬を行なっている途中に帰宅した兄さんは風呂で沈んでいた。


 幸い、使用人がすぐに気づいたから大事にはならなかったが、湯船の中で眠りについた兄さんが起きたのは浴室の外に出されてからのことだった。沈んでいた自覚すらないのだから恐ろしい。


 本人曰く、屋敷に向かっている途中から睡魔との対決が始まっていたそうだが、だったら無理せずお風呂なんかに入らず寝ていてほしかった。本当に危ない。


「そうそう、明日は仕事ないからキャサリンとクアラの剣術を見てやれるぞ」

「本当に!?」

「ああ、丸一日空けるために昨日頑張ったんだしな」

「それで溺れたと思うと素直に喜べないよね……」

「帰ってきた日くらい休めばいいのに」


 二人でじとっとした視線を向ければ、兄さんは「頑張ったのに……」と落ち込んでしまった。


 他の部隊に比べ、第四部隊の帰ってくる頻度が高いのは諸々の事務仕事の関係である。家の仕事はもちろん、剣術大会の細かい調整なんかも行なっている。


 我が家は父さんが王都に残ってはいるものの、普段の何倍も仕事が増えているので、父さんが不得意な事務仕事なんかは滞りがちである。

 母さんが手伝っているとはいえ、母さんは母さんでお茶会の参加で忙しい。結局、兄さんが帰ってきたタイミングで三人で一気に片付ける形になっている。


 部隊によって過ごし方は異なるが、王都への一時帰還の一番の目的は休息である。


 本来なら兄さんに私達の面倒を見る時間などない。だからこうしてどこかでしわ寄せがきてしまうのだ。


「寝てていいよ?」

「僕も休んだ方がいいと思う」

「せっかく時間作ったのに!?」


 手合わせしようよ! と騒ぐ兄さんを二人がかりで部屋まで運び込む。

 翌日は鍛錬に入ってこないように庭でくつろぐ兄さんを見張る。


 さすがに昼過ぎには諦めたようで、クアラと私のところを行ったり来たりしながらのんびりとこちらを見るだけの状態になっていた。たまにお茶を差し入れてくれたりする。


 どうせなら部屋で寝ていて欲しいところだが「暇だから」と一蹴されてしまった。


「すごいな。もうほぼ完成じゃないか。さっきクアラの方も見てきたけど、また剣の腕が上がったし、二人揃って兄さんのいないうちに成長して……嬉しいやら寂しいやら。魔物退治の方はうまくやれてるか?」

「こんなこと言うと不謹慎かもしれないけど、毎日自分が更新されているみたいで楽しいよ」

「楽しい、か。昔から思ってたけど、キャサリンは父さん似だよな〜。……なぁ、本気でアイゼン様と結婚するつもりか?」


 兄さんの顔は真面目そのもの。

 まさか今その話題を振ってくるとは思わなかった。二本の剣をしまい、兄さんの隣に腰を下ろす。


「どうしたの、急に」

「父さんの考えを否定するわけではないけどさ、このまま結婚することが本当にキャサリンの幸せなのかなって。ずっと考えてた」


 兄さんにとって相手がアイゼン様だろうと、他の男性だろうと構わないのだろう。

 兄さんが今聞きたいのは、アイゼン様の人となりではなく、『結婚』について。


 兄さんは四年前に婚約を解消している。

 婚約者だったカレン様は尊敬する叔父を少しずつ蝕んでいく病に効く薬を開発するために薬師となった。薬学を学ぶ上で伯爵令嬢・男爵夫人という身分は邪魔だった。


 すぐに婚約解消を決め、有名な薬師がいるという異国へ渡ったおかげで今ではその病に効く薬が完成し、緊張状態から抜け出せたようだ。

 兄さんとカレン様との文通は今も続いているらしい。だがそれも幼馴染兼友人として。彼女が帰ってくる予定も兄さんと結婚する予定もない。


 兄さんはそのまま薬師の道を進むことに決めた彼女を応援したいのだと笑っていた。婚約解消の決定打となったのは兄さんが彼女の背中を押したからだという。納得もしているのだろう。


 兄さんは優しいから。

 だから普通とは少しだけ違う妹の幸せについて本気で心配してくれている。

 何も言ってこないなとは思っていたけれど、まさかここまで真面目に考えてくれているとは思わなかった。


「どうなんだろうね。すぐには結論を出せないかな? でもアイゼン様とは多分好みや価値観もそんなに違わないし、何も言わずに入れ替わりを解消しても彼なら受け入れてくれると思ってる」

「想像していたよりも高評価だな。騎士としてはトップを行くのは当然だが、その辺りもクアラが認めるだけのことはあるってことか」

「令嬢への対応に慣れていないところもあるみたいだけど、私と向き合ってくれるいい人だよ」

「それは結婚をしなきゃいけないからと諦めているだけじゃないのか?」

「ううん、違う。アイゼン様が向き合ってくれているって分かるからこその悩みが出てきたの」

「どこら辺で悩んでいるんだ?」

「結婚したらアイゼン様から『クアラ』を奪うことになること」


 最近、魔物を倒し終えた時にフッと思うのだ。

 彼が私に期待している姿は今この状態なのではないか、と。


 ドレスを着ている私のことも大事に思っていることはちゃんと分かっている。でも、彼の中で大きいのはどちらなのだろうって。

 クアラが言うようにどちらも私なのは分かってる。アイゼン様はこの事実を知っても拒絶するような人ではないことも。


 だが自分なりの結論が出せていないからだろう。

 またふとした拍子に同じようなことが頭に浮かんでしまうのだ。


「入れ替わりのことを伝えないつもりか?」

「私たちのためにもそれは伝えるよ。でも性別が違うことや会っていた人物が別人だったことは彼の考えを変えるには十分だと思う。全てが今まで通りに、なんて都合よくは進まないでしょう? 結婚とか夫婦ってそんな軽く考えられるものじゃないから」


 私がここまで真剣に考えるのは相手がアイゼン様だから。

 他の人だったら色々考えつつも、最終的にはクアラがいいんじゃない? と言った人と流されるように結婚を決めていたかもしれない。


 起きていない事なんて想像するしかないけれど、今の私にとってアイゼン様と結婚は切って離せない関係となっていることだけは確かだ。


「俺が考えていたよりもずっとちゃんと向き合ってるんだな」

「まぁ悩んだ末に結婚しないかもしれないけどね」

「そこまで悩んだ後に出た答えならいいんじゃないか? 少なくとも俺はそう思う」


 良い人に会えてよかったな、と兄さんは私の頭にポンと手を置く。

 父さんとよく似た大きくて安心する温もりに頬が緩むのを感じた。

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