第17話

 翌朝、マリー様と共に食事をとり、彼女の支度を手伝う。そしていよいよ城へと足を運んだ。


 マリー様に昨晩のような怯えはなかった。

 それどころか私の顔色を確認してはニコリと微笑んで、これからどんなことが起こるのかと心待ちにしているような気さえする。

 きっとディートリッヒ様の想いを知った私が新たな一歩を踏み出すことを期待しているのだろう。


 マリー様には申し訳ないが、私はその期待されし一歩を踏み出すつもりはない。


 私が向かうのはメイド道である。

 長きに渡る恋を終わらせ、新たな恋に踏み出すつもりがない。けれどメイドとしてスキルを身につけていく気は満々だ。

 ボブ爺に頼んで庭師の仕事も少し教えてもらえないかしら? なんて画策しているほどだ。

 常に上昇志向を持ち続け、お給金に見合ったサービスを提供する。

 夢は達成し、恋を散らせた私にはそれが一番性に合う。

 これを機にスイーツ食べ歩きを趣味にするのもいいかもしれない。美味しいものを見つけたらお姉さまたちに贈って……。

 数年後には甥か姪も出来るだろう。彼らが王都に遊びに来たら紹介出来るような観光スポットを探して、マップ化して送ってみるのもいいかも。

 お針子さんほどにはなれないだろうが、裁縫スキルを磨くのもいいかもしれない。王都に来てから少しずつ上達したのだ。だからきっとまだまだ伸びしろはあるはず。

 王都には生地屋さん、手芸屋さんも多い。今度の休みに行ってみようかしら。最近めっきりと裁縫する機会は減った。まずはどんなものから再開すべきだろうか。本を買ってみるのもいいだろう。お姉さまの結婚式までに気の利いた小物でも作れるようになれば飾ってもらえるかもしれない。


 考え始めてみれば意外と色々と思いつくものである。



 なにも恋をすることが、結婚をすることだけが生き甲斐になるわけではない。

 人生の折り返し地点にも立っていないのだ。



 私の可能性は無限大だ!



「昨日はごめんなさい」

「はい」

 形式的なディートリッヒ様への謝罪と共に頭を下げる。

 やはりディートリッヒ様は全く気にしていなかったらしく、眉一つとして動くことはない。まさか一言で完結するとは思わなかったが、これはマリー様とのつき合いが長いからだろう。

 帰ってこなくてもいいという意味だったら……転職先でも考えることにしよう。今からでも遅くはない。シンドラー王子に頭を下げながら、もとい脅して次の就職先を斡旋してもらう。王族御用達の店とか、そんなレベルの高い職場を頼まなければいけるはずだ。いや、なんとしてもねじ込んでもらう。


 過去の出来事と約束を振りかざしてでも。

 けれど恋と結婚を諦めた女の強さを披露することはなさそうだ。


「馬車は用意してあるから、アイヴィーは屋敷に戻っていてくれ。今日は休みでいい」

「かしこまりました」


 私が帰ってくることを想定していてくれたらしいディートリッヒ様の好意に甘えて、馬車に乗り込む。

 見送りに来てくれたマリー様は私とディートリッヒ様の間を視線でいったりきたりを繰り返しては、ふふふと笑っている。

 別に何もないのだけど。

 マリー様には分かる変化があるのかしら。

 メイドとして、失くしたら惜しい人材であったとでも思われていたら嬉しいなぁ。



「それでは失礼いたします」

 城に残る三人に深く頭を下げて、職場兼住居であるアッシュ家へ向かう馬車へと乗り込んだ。

 昨日とは同じ馬車だが、今日は一人。背筋をピンと伸ばし、まっすぐと前を見据えて到着を待った。


 アッシュ屋敷へと到着し、真っ先に向かったのはベルモットさんの元。

 ディートリッヒ様から話は聞いていただろうが、買い物に行ったっきりまる一日近く帰ってこなかったのだ。私からも説明しなければならないだろう。


「ベルモットさん、大変ご迷惑をおかけしました」

「やめてください。そんな、頭なんて下げないでくださいよ。昨日のことならディートリッヒ様からお聞きしておりましたし。それに何よりあなたがこうして帰ってきてくれるだけで……」

 ベルモットさんは頭を下げる私の肩に手を置いて、とにかく頭を上げてくれと懇願する。


「ですが……」

 帰ってきただけで、とは私への期待値が低すぎやしないか。

 今回はマリー様が強く出たということもあるだろうが、それにしたって、さすがに職場を勝手に放棄して逃げたりはしない。

 働いた経験と言えばアッシュ家と城の二カ所だけだが、それくらいの常識はあるつもりだ。だからそんなことで喜ばれると悲しいものがある。


「それではアイヴィーさんの帰還をお祝いしてお茶にしましょう」

「帰還っていくら何でも大げさじゃ……」

「『帰還』です! あ、そうだ。アイヴィーさん。今日のおやつはフィナンシェですよ」

「フィナンシェですか!」

「はい。昨日、邪魔してしまったお詫びに、とディートリッヒ様のご指示で。濃いめの紅茶を用意しますので、先に庭園の方に向かっていてください」

「用意なら私がしますよ」

「いえいえ。お祝いですから」


『帰還』に『お祝い』

 あまりに大げさすぎやしないだろうか。


 まだこの屋敷に来てからそう時間は経っていないが、それだけ大事にされていると思っていいのかしら。

 遠ざかっていくベルモットさんの背中を見守った私は、大人しく庭園へと向かうのだった。

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