第15話

 ドアの向こうに座っていたのは優しそうな顔をしたリアゴールド家の公爵様だった。彼を訪ねて書斎まで来たのだから当然といえば当然である。けれどその顔は想像以上に柔らかかったのである。そう、それは家族に向ける顔なのだ。

 社交界の、いつ何時足をすくわれるか分からずに、気を引き締めている時の顔とはまるで違う。落ち着いてその人の目を見ていると、メガネをはずしてにっこりと笑みを向けられる。


「どうしたんだい?」

 笑った時に目尻が下がるところとか、少し右側に首が傾くところとか、マリー様とそっくりだ。

 そう思うと途端に目の前の男性が『リアゴールド公爵家の当主様』から『マリー様のお父様』へと変わっていく。どちらも同じ人物でありながら、なぜか後者だと思うと安心感さえ覚えてしまうのだ。緊張でこわばっていた身体からゆっくりと余計な力が抜けていくのを感じた。


 どうやらそれは手を通してマリー様にも伝わっていたらしい。


「お父様。こちら、アイヴィーよ」

 マリー様は私と繋がった手をぎゅっと握って、そして頬を綻ばせた。

 まるでお友達をお父さんに紹介する子どものようだ。いや、実際そうなのだろう。マリー様にとって私はお友達なのだから。

 先ほどまでは緊張が勝っていたが、今は恥ずかしさの方が大きい。なにせ一使用人として紹介されるのと、友人として紹介されるのでは意味がてんで違うのである。


「アイヴィーってあのアイヴィーさんかい?」

「ええ。あのアイヴィーよ」

「そうか。よく来てくれたね。娘から話は聞いているよ。マリーが色々と迷惑かけたんだってね」

「い、いえそんなことはありません! マリー様にはいつも良くしていただいていて……」

 それにこの歓迎っぷりだ。

 わざわざ腰をあげて、握手まで求められるとは思ってもみなかった。マリー様とつながっていない方の手を公爵の両手で包み込まれる。人差し指と親指の辺りがやや堅くなっているのは、きっとそこにペンがよく当たるからなのだろう。

 ああ、やっぱりマリー様のお父様だわ。

 努力の痕が見えるその手は彼を信頼するのに十分だった。


「謙遜しなくてもいいのよ。シンドラー王子と思いを通じあえたのはアイヴィーのお陰だもの」

「マリー様……」

「けれど、マリー。アイヴィーさんは今、アッシュ家のメイドとして働いているんじゃあなかったのかい? これでなかなか会えなくなってしまうと、つい昨日までご機嫌斜めだったじゃないか」

「そう、それよ。お父様。実は私、今日ディートリッヒ様から無理矢理アイヴィーを取り上げたの」

「そ、それは……」

「もちろん明日にはちゃんと謝るけど、何かあったら困るから伝えておこうかと思って」

「その割には良い顔をしているんだね」

「ええ。だってやっとアイヴィーに恩返しが出来るんだもの!」


 そうはっきりと言い切ったマリー様の顔に後悔はない。むしろ清々しいほどの顔である。恩返しなんてしてもらうほど、私、たいしたことは出来ていない。だからこの借りはいつか返させてもらうことにしようと心に決める。


「そうか……。アイヴィーさん、うちの子が迷惑かけてすまないね。けれど悪気はないんだ。これからも仲良くしてくれるかい?」

「もちろんです!」

 力強く返事を返す。

 すると公爵は嬉しそうに顔を綻ばせるのだった。




「さてアイヴィー。あなたには話さないといけないことが沢山あるわ。今夜は眠れないと思ってね!」

「はい」

 公爵と別れた私達は用意してもらった軽食を取って、マリー様の部屋へと向かった。ピンクと白をベースに品良く彩られたその部屋を一言で表すならば『お姫様の部屋』である。なんともマリー様にぴったりの可愛らしい部屋だ。その部屋の真ん中に位置するキングサイズのベッドの上で、私達2人は秘密を共有するために顔を寄せる。


 まるで悪いことでもしているみたいだ。

 けれどマリー様の顔はなんとも楽しそうで、両方の口端は上を向いている。


 そして私はといえば、これから聞かされることに期待して……その反面で怯えてもいた。胸はバクバクと大きく振動して、『早く終わらせてくれ』と『終わらせないでくれ』と正反対のことを訴え続ける。

 矛盾しているけれど、きっとこれが恋愛というものなのだろう。


 厄介で、けれど大事なもの。

 進むことや退くことよりもその場に居続けることの方がずっと辛いのだ。けれど動くには勇気が必要だった。大きな気持ちが。私は退くための勇気は持っていて、けれどそれを進むための勇気にしたがっているのだと思う。そう思うと恋愛が厄介だというよりも、私が我が儘なのよね……。


 お姉さまのドレスさえ作れればそれでいいって思っていたのに、達成しそうになったら次に手を伸ばして……。

 けれどそんな我が儘な私に手を差し伸べてくれる人がいる。そしてその人は「何から話そうかしら?」なんて両頬に手をあて、まるで甘いオヤツを選ぶかのようにウキウキとしている。


 だからこそ、私はワガママになってしまうのだ。

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