第11話

「それでアイヴィー、最近どうなんだ?」

「最近、と言いますと?」

「最近は最近だ。ディートリッヒに聞いてもよく働いてくれてますとしか言わないんだ」

 シンドラー王子はカップをクルクルと回しながら、唇を尖らせる。


 このことに関しては心配してくれている、という訳ではなさそうだ。

 その証拠に王子の隣に座っているマリー様は、何かを期待したような眼差しでこちらを見つめてくる。


 二ヶ月ほど前の「アイヴィーは結婚しないのか」という問いはおそらく、仕事を斡旋することと、城のメイドを止めさせるための言葉だったのだろう。

 だがもし今シンドラー王子が同じ問いかけをしてきたとしたらその問いの意味は大きく変わることだろう。


 私には二人が何について聞きたいのか、聞かずとも何となく察しがついている。


 おそらく恋人の有無、そしてその後の結婚の意志である。

 思えばマリー様が勧めてくる小説はロマンス小説ばかりだったように思う。特に好きなジャンルは身分差もの。逆境に立ちながらも最後は報われる姿を見守るのがお好きらしい。

 おおかた、ディートリッヒ様の家のメイドになったことを聞かされて、ヒロインを私と重ねて見ているのだろう。


 多分、マリー様には私の気持ちがバレているだろうから。

 そしてそのことを直接的でないにしろ、シンドラー王子に伝えた……と。

 義理堅いというか、私の将来を気にしてくれる王子のことだ。その話を聞いて心配になってきたなんてことも、あり得なくはない話である。


 だが残念ながら私に特別な才能など眠っていないし、どこぞの王族の隠し子でしたなんて展開もない。ましてやこれは現実だ。ヒロインとヒーローの都合のいいように作られた世界ではない。

 それにいっそ平民と騎士様とかだったら燃えるような恋なんてこともあり得たのかもしれないが、公爵家のご子息と田舎の男爵家令嬢。


 微妙というか、夢から覚めてしまうような身分差である。なのでそういう関係になることは今後もない。

 だから無難に返す他ないのだ。


「よくしていただいています」

 もちろんこの言葉も嘘ではない。良すぎると言ってもいいほどの職場だ。


「そう……。それは良かったわ」

 マリー様はつまらなさそうに視線をカップへと落とす。

 彼女には申し訳ないのだが、私がさっさとディートリッヒ様のことを諦めでもしない限り、話題を提供できそうもない。


 おそらく、ディートリッヒ様にも同じような話題を振ったのだろう。

 その結果面白い話が聞けず、試しに私にも振ったのに、収穫はなく……といったところだろうか。

 当たり前だ。ディートリッヒ様は私をただのメイドとしか見ていないのだから。


 そう思うと、変なことに巻き込んでしまったことがなんだか申し訳なく思えてくる。

 巻き込みたかった訳ではないけれど、でもそうなったのは私の責任ではある。


 やっぱり諦めるべきなのかしら、ね。

 シンドラー王子を安心させて、マリー様を笑顔にさせて、お姉さまとジャックに心配かけないために、そして何よりも恋した相手にこれ以上迷惑をかけないためにも。


「あの、シンドラー王子、マリー様」

「なんだ?」

「……お茶のおかわりいかがです?」

「ああ、いただこう」



 いつか彼らに紹介できるような相手が出来るといい。

 いや少なくとも、今のように初恋をこじらせて贈れもしないプレゼントを買うようではいけないのだ。


 帰ったらタイピンは捨ててしまおう。

 買ったばかりの新品をと思うと少しもったいないが、これが私なりの初恋との決別だ。


 もうディートリッヒ様のことは諦める。

 ついでにフィナンシェも諦める。


 ディートリッヒ様に恋した過去はもう振り返らない。

 これからは主としての彼だけを見ることにしよう。


 大丈夫。彼は一主人としても尊敬出来る相手だ。

 誠心誠意、出来る範囲でディートリッヒ=アッシュ様にお仕えさせていただこう。


 こじらせて、苦しんだ初恋の終わりなんて案外簡単にやってくるものだ。

 絶対無理だって諦めていたのに、まさかその数時間後にはこんな気持ちになっているなんて……。一体、誰が予想できただろう。

 もし予想していた人がいるのなら、そのついでに私のこれからの相手も是非予想して欲しいものである。


 だが当分は、愛だの恋だのはもういらない。

 お茶会で行われる、既婚者達の惚気合戦でもうおなかいっぱいである。


 幸せの形は人それぞれ。

 彼らは愛する人と過ごすことを幸せと呼ぶ。

 そして私にとってはきっと、お姉さまを想うことが幸せなのだ。


 なんだ、今までと何も変わらないじゃない。

 タイピンと一緒にディートリッヒ様への恋を捨てたとしても私にはちゃんと幸せは残っている。そう思うと少しだけ気分が軽くなった。



「アイヴィー。これ、私の家のシェフが持たせてくれたお菓子なんだけど、もし良かったらどうかしら?」

「いただきます!」

 マリー様が差し出してくれたのは、ピンク色のマカロンだった。

 お菓子一つとっても可愛らしい。きっとこれが女子力というものの差だ。


 私には身分どうのこうの以前の問題として、女性らしさというものが足りていないのだろう。

 どこで手に入れられるかは分からないが、ここは王都。望めば大抵の物は手に入るとされる土地である。

 手に入るどころか、私の恋は今し方、音すら立てることなく散っていったわけだが……そんな小さいことは気にしないでおこう。


 失恋しても前を向いて進むことが重要なのだから。

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