第9話
ベルモットさんのお勧めに従って、私は朝から城下町へと向かった。
国中のありとあらゆるものを扱うこの町はウィンドウショッピングに最適である。なにせこの城下町で取り扱っていないものは、それこそ生産地にでも足を運ばねば手に入らない代物だけだろうといわれるほどだ。
食べ物も服も雑貨も、お金さえ払えば大抵の物が手に入る。
それこそ上級貴族の間で流行っているらしい、有名な作家が脚本を書いた劇場だって、後ろの方にはなるだろうがお金さえ払えば見ることが出来る。
そんななんでも揃うこの城下で、これを機に新しい趣味でも見つけようって思っていたのに……。
私の頭を占めるのは昨日の光景だった。
「あれ、一体何だったんだろう?」
二度目となるディートリッヒ様の笑み――それが頭から離れてくれないのだ。
笑った顔が見られて嬉しいはずなのに、理由がわからないからモヤモヤとしてしまうのだ。
もしあの時、違うと答えていたら、彼はどうしたのだろう? とそんなことばかりを考えてしまう。
屋台で売っていたクレープを食べても、おいしいはずのそれの味はあまり感じない。
きっと味を楽しむことよりも、私にとってはディートリッヒ様の笑みの理由が気になって仕方がないからだろう。
だから今度は雑貨屋さんへと足を運んでみた。
きっといつものようにお姉様のことばかり考えるはずだ、と。けれどやはり考えるのはディートリッヒ様のことばかり。いつもならお姉さまに似合う物があるのかと探すはずなのに……。
恋する乙女というのは厄介なのだ。……本当に。
訳を聞けるはずがないから、ただグルグルと同じ事を考え続けていることしかできないくせに。
でも姉さんのこと、っていうのが鍵だとしたら……。
相変わらずのシスコンだなぁと笑われただけかもしれない。昨日のあの様子から察するに、私のお姉さま好きはシンドラー王子から聞いているみたいだし。
だとすれば、以前の笑みとあまり変わらないのでは?
疲れて帰ってきたら、シスコンのメイドが相変わらずシスコンを炸裂させていた。怒るよりも呆れの方が大きくて、ついつい頬がゆるんでしまった、と。
……………………そんな気がしてきたわ。この理由だと特にお叱りとかがなかったこともしっくりとくる。
足取りが軽かったのは、きっと少しだけ気が緩んだから。
これは役に立てたのかしら? と思うのは傲慢というものなのだろう。だがどうせ私がアッシュ家で出来ることなど指の本数よりも少ないのだ。気が抜ける瞬間が少しでも作れただけでいい仕事したと思っていいはずだ。
よし、疑問も晴れたことだしウィンドウショッピングを本格的に始動させますか!
気合を入れるために手を握りしめると、なにやら手の中に堅い感触のものがある。
「タイピン?」
手を開いてみれば、そこにあったのはシンプルなシルバーのタイピンだった。それこそ、男性が普段使いしてそうなものである。
ディートリッヒ様に似合いそう……。
もちろん渡せないのはわかっている。分かってはいる、のだが、無意識に手にとってしまっていたらしい。気づかなければきっと考え事をしたまま会計に持って行っていただろう。値段も高くもなく、安くもないところが何ともいえない。
どうせ渡せるわけがないという考えは根強くあって、どうやら無意識下でも発動しているらしい。身の程を弁えているととるか、渡せないと分かっていても買うのは愚かであると取るか……。
「買うか……」
どちらにせよ、やはり私はそれを買うことには変わりないのだ。
きっと似合うんだろうな~とか思いながら、これからもきっとこの思いを吹っ切ることができぬまま過ごすのだろう。
何とも悲しい人生だが、これが私の恋なのだ。
『初恋は実らない』といつの頃からか乙女の間で引き継がれてきた名言があるが、是非ともその次に『だからさっさと吹っ切って先に行け』という言葉を付け足していただきたい。深くのめり込まなければきっと過去の私も抜け出せたはずだ。
今となってはそんなことも無理だけれど。
こじらせた初恋の象徴ともいえる、ラッピングしてもらったタイピンをカバンにしまって店を出る。
オシャレな雑貨が並ぶ店に背を向けて、これからどこに向かおうかと考える。するとふととある店が頭に浮かんだ。
以前ディートリッヒ様から差し入れでいただいた、が私は食べられなかったお菓子のお店である。
バラの形をしたフィナンシェは貴族のご令嬢方はもちろんのこと、可愛いものに目がない女性陣には非常にウケていた。
仲間の一人に妹さんの分も持って帰ってあげて、と渡してあげたら「本当にいいの!?」と何度も聞かれたほどである。見た目はもちろんのこと、このお菓子、味もなかなか美味しいらしい。
バターが効いていてふわっとした甘みが口の中に広がったと、興奮気味に話してくれた。そしてもらってしまって申し訳なかったとお詫びにと紅茶のセットをわざわざプレゼントしてくれた。
つまりそれほど美味しいものだと言うことだ。
これは是非お姉さまにも食べていただきたい!
着いたそのお店の外にはやはりズラっと人が並んでいる。そしてそのほとんどがどこかの家の使用人である。
差し入れとしてディートリッヒ様からいただいたのはもう大分前のことで、確かこのお店がオープンしてすぐのことだった。今でもこれだけの行列ができているというのは非常に期待できる。
どうやら手土産としても評判だという噂は本当だったらしい。
値段と相談してみてだけど、いつもお世話になっているお礼としてアッシュ家のお茶会のお茶菓子として並べるのもいいかもしれない。もちろんボブ爺にはお土産用のもプレゼントして。きっと喜んでくれるはずだ。そう思うと、この行列だって全く苦ではない。
一人、また一人と袋をお店から持って出てくるごとに自分の順番が近づいたのだとワクワクしてしまう。
お店のガラス越しに見える商品に、どれを選ぼうかしらなんて考えたりして、いよいよお店の中に入れる!――そう思った時だった。
「アイヴィー、ここにいたのか!」
今日の朝も変わらず城に向かったはずのディートリッヒ様が、なぜかそこにいた。
「ディートリッヒ様?」
「休みのところすまないが、手伝ってくれ!」
「あ、はい」
反射的に頷くと、ディートリッヒ様によってあともう少しで店に着くはずだった列から引き抜かれる。そして彼は人目を気にすることなく、そのまま私の手を引いて近くに止めていたらしい馬車へと乗せる。
「あの、どこへ向かっているのでしょう?」
「城だ」
「城、ですか……」
今日も今日とてお仕事に励むディートリッヒ様がお城に向かうことは、何一つとして不思議なことではない。
だがお城のメイドを辞めた私がなぜ?
その理由を尋ねたいのだが、生憎ディートリッヒ様は一緒に乗っていた部下の方とお話中のようだ。いくらお休みの日とは、主人の邪魔になるかもしれないことはできない。
私にできるのは、フィナンシェはまた今度にして、指示が出されるまで座って待つことである。
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