第十一話 鬼の首伝説





私はそのキシュウマイ様の石塔の前に立ち、そのじっとそれを睨む様に見た。

耐え切れない程の頭痛と耳鳴りも始まった。


私もじっと立っていられなくなり、傍にあった木に手を突いた。


「一旦、帰ろうか…」


道彦君が私とFの様子を見て、そう言い出し、私とFは関口と大村に肩を貸してもらって山を下りた。


不思議な事に、キシュウマイ様から遠ざかるにつれ、その頭痛は治まって行った。


キミコの家に戻って、私とFは縁側で横になり、冷たいお茶をもらって飲んだ。


「すまんな…」


Fは身体を起こして大村に言う。


「何か、情けない感じになってしもうたな」


Fは頭を振りながら言う。

私もゆっくりと身体を起こして、私たちを覗き込む様にしゃがみ込む大村を見た。


「いやいや、こっちこそすまんな…。なんか辛い思いさせてしもうて」


申し訳なさそうに大村は言う。


するとキミコが梨を剥いて私たちの前に置いた。


「梨、好き…」


とにかく水分が欲しかった私とFはその梨に手を伸ばした。


「お前らが本物って事はわかったわ」


大村はそう言うと自分も梨を一つ取り、傍に座った。


ふと庭を見ると、タバコを吸う道彦君が立っていた。


「道彦君…」


「何…」


道彦君は煙を吐きながら私たちの傍まで来た。


「その何とかってばあさん…。会える…」


Fは自分もポケットからタバコを出しながら訊いた。


「ああ、井上のばあさんか…。会えると思うけど…」


Fはタバコに火をつけると、縁側から庭に下りた。


「ちょっと話が訊きたいんやけど…。出来れば今すぐ」


道彦君は何度か頷くとタバコを消して、


「わかった。キミコ、電話借りるで…」


と言い、家の中に入って行った。


「もう、帰ろうや…。怖いの嫌やねん」


と一人、嫌そうに関口は言いながら玄関から出て来てタバコを咥えた。


私も庭に下りて、そこから見える範囲のその村を見渡す。

何の変哲もない村だった。

家の前の道もアスファルトではなくコンクリートで、車も走っていない。

単車や軽トラに乗った老人がたまに通るだけ。


「井上のばあさん、畑に居るらしいわ」


道彦君がそう言いながら、キミコの家から出て来た。


「直ぐそこやから行ってみるか」


そう言って私たちに微笑んだ。






キミコの家から少し歩くと、その辺りには家も無く、小さな川と畑や稲刈り前の田んぼが広がっていた。


私たちはその畑の畦道を歩きながら、ひたすら「井上のばあさん」のいる場所まで歩いた。

本当に田舎の人の直ぐそこは信じてはいけないと思った。


しばらく行くとその畑の傍に座り、豆を枝から千切っている老婆が居るのが見えた。


「あれやな…」


Fが私の耳元で言う。

私もそう感じた。


「ばあさん…」


道彦君が大声でそのばあさんを呼ぶ。


「何や、道彦か…」


ばあさんは私たちを見るとそう言い、また豆を枝から千切る。


「キミコと大村の孫やな」


そのばあさんが顔を上げると、片目が白く濁り、何処か不気味な感じだった。


「後は知らん人やな…。すまんな、片目が見えんもんやから…」


井上のばあさんはそう言うと歯を見せて笑った。


「この人達がキシュウマイ様について訊きたいって言うとるんよ」


道彦君は井上のばあさんの横に座って、枝についた豆を千切って手伝い始める。


「キシュウマイ様…。何でそんなモン知りたいんや…」


そう言い顔を上げて、また私たちを見る。

そして、Fと私の顔を見て、その視線を止めた。


「ああ、そうか…。頭痛かったやろう…」


と私とFに微笑む。


私とFはコクリと頷き、ばあさんの傍にしゃがみ込んだ。


「もう帰る時間やから、家で話そうか」


井上のばあさんは私の肩に手を突いて、ゆっくりと立ち上がった。


井上のばあさんの家に着くと、キミコの家より古い、大きな家だった。


私たちはその古い家の居間に通され、ばあさんが来るのを待った。


どれくらい待ったかわからなかったが、ばあさんは日に焼けて色が変わってしまったノートを持って、居間に入って来た。


「これに書いてあるんやけど、俺にはもう読めんから…」


そう言うとそのノートをテーブルの上に投げ出す様に置いた。

道彦君が頭を下げて、そのノートを手に取りパラパラと捲った。


独特な字でお世辞にも綺麗な字ではなく、癖の強い文字だった。


「んーと」


道彦君もその文字を読むのに苦労している様子だった。


「貸して…」


キミコがそのノートを取り、ページを捲る。


「あ、これかな…」


そう言うと読み始めた。


「キシュウマイ様とは、昔、この村に居た霧女という女を封塞した塚で、六人の僧侶が暴れる霧女を押さえ付け、首を薙いで封印した」


霧女…。

首を薙ぐ…。


「昔話やけどな…。この村でちいっと頭のおかしい女が居ってな。その女の名前が霧女って言うらしい。もちろん、ずっと昔の話で、そんな話はホンマか嘘かもわからん話でな。私も言い伝えを聞いただけやからな…」


井上のばあさんの話は続く。


昔、この村は周囲の村との交流もほとんどなく、気が付くと血縁での結婚などが増え、いわゆる障害のある子どもが増えてしまった事があったらしく、霧女と呼ばれた女もその一人だったらしい。


ばあさんの話ではその霧女という名前も彼女が死んだ後に付けられた名前で、その女には名前も無かったのだろうという事だった。


「霧女という女は、座敷牢のようなところに入れられて、外に出る事も無く過ごしとったみたいやな…」


私はその話を、唾を飲みながら聞いた。


「ある日、裏の山にある梨の収穫に家族が行っている間に鍵をかけ忘れたのか、鍵を壊したのか、霧女は外に出てしまったんやな。霧女って女はどうやら梨が好きやったみたいで、自分のその梨の収穫に行きたかったんやろうな。」


ばあさんはゆっくりと日の差す縁側に目をやった。


「庭にあった鉈を手に取って、幼い頃に連れて行かれた記憶があったんか、自分の家の梨畑にフラフラと歩いて向かったようやな…」


その話は道彦君もキミコも大村も、初めて聞く話の様で、じっと井上のばあさんの表情を見ながら黙っていた。


「結局、霧女は道に迷い、何処に行ったか分からん様になってしもうたって事で、両親は山から帰って大騒ぎになった。これが今なら考えられん話やけど、我が子を心配で探すって事じゃなく、頭のおかしい霧女が人の目に触れる事を恐れて必死に探す、なんやったら何処かで死んでくれてたらって感じやったんやろうな…」


井上のばあさんはお茶を口にして、口を湿らせる。


「昔の事やから、そんな子が居るってだけで村八分になる事もあったんかもしれんな」


結局、その日、霧女は見付からず、両親は何処かで死んでくれてたらと考えたという話だった。


「しかし、それからしばらくして…。梨畑で梨が千切って食われる事件が起こったらしく、その犯人捜しを村の連中はする事に決め、夜中に梨畑を交代で見張る事にしたんやな。村の男連中は梨畑に潜んで、その梨泥棒を捕まえようとしたらしい」


私も出されたお茶を飲みながらその話を聞いた。


「月の夜。なんか古い書物にはそう書いてあったな…。多分、中秋の名月と言われる時期やろうな…。梨畑に女が一人現れて、梨を千切って食うのを村の男たちが見つけたらしい。考えてみ、夜中の真っ暗な梨畑に女が一人おるんや…。そりゃ、不気味やろうな」


井上のばあさんはそう言うとニヤリと笑った。


「村の男連中はその女の姿に驚いて、鬼が出たと言いながら山から逃げて帰ったらしい」


ばあさんはまたお茶を飲む。


「まあ、それが霧女だったんやけどな。霧女は、頭はおかしかったが大層器量の良い女でな。それがまた鬼に見えたんかもしれんな。たちまち村で器量の良い女の鬼が山に出るって話になってな。男たちはその鬼の姿を一目見ようと進んで山に籠る様になったらしい」


ばあさんはじっと私たちを白く濁った眼で見渡す。


「その男たちは幾つかの集団に別れて、山に籠ってた。そのうちの何処かに霧女は現れたんやな。男たちは鬼なんて居るはずないって事で、霧女を捕まえた。そして人間の女だという事がわかると、全員で霧女を手籠めにした…」


婆さんは歯を見せて笑うと、


「あんたらも男ならわかるやろう…。そうなってしまう事も…」


と言い、奥に居る奥さんにお茶をお代わりを頼んでいた。


「霧女も男に乱暴されて、半狂乱になったらしい。自分を手籠めにした男の頭に手に持ってた鉈を振り下ろし殺した…。男たちは仲間が殺された事もあり、逃げる様にして山を下りて、やっぱり女の鬼だと言い、鬼を捕まえようと山狩りをしたそうだ」


ばあさんは湯飲みのお茶をまたすすると、目を閉じた。


「霧女も自分に乱暴したのが男だというのはわかったんやろうな。男と遭遇すると鉈を振り回し殺す。それを繰り返した…。結局九人の男が霧女に殺されたと記録には残っていた」


私たちは息を吐いて、その悲惨な話に視線をテーブルに落とした。


井上のばあさんは、何処を見るでもなく、遠い目のまま、また話を始める。


「村の連中は、これ以上犠牲者が出る事を嫌って、隣村の寺に居る僧侶に鬼退治と称して、霧女を探させた。そして霧女は直ぐに捕まった。何処の誰だという話になるのは当然の事なのだが、両親は名乗り出ない。しかも、凄い力で暴れる霧女を拘束するのも大変だったのだろう。僧侶の一人がその霧女の首を切り落としたそうだ」


自然と眉間に力が入ってしまう話だった。


「霧女の身体はその時、泡になって消えたらしい。そんなモン、ホンマかどうかわからんけどな…」


ばあさんは手に持った湯飲みを力強くテーブルに置く。


「しかし、切り落とされた霧女の頭部は、更に僧侶に噛み付き離さなかった。僧侶の一人がその霧女の首を桶に入れて、あのキシュウマイ様の場所に埋めたらしい。それでも暴れる霧女の首を抑えるために、大きな石をその上に置いた…」


私は大きく息を吐く。

何とも酷い話だった。


「これがこの村に伝わるキシュウマイ様の伝説やな…」


私は眉を寄せたまま、顔を上げる事も出来なかった。


「あの山は墓地だったんやけど、墓地は山の西側に異動させた。しかし、あのキシュウマイ様の塚だけは掘り起こす事も阻まれ、そのままあそこに祭ってある。もう何百年も昔の伝説なんやけどな…」


井上のばあさんはそこまで言うと、目を閉じて、寝息を発し始めた。


「ばあさん…」


道彦君が眠ったばあさんを起こそうと手を伸ばす。

私はそれを止めた。


「もう寝かせてあげましょう…。十分に話は聞けたので…」


そう言ってFを見ると、彼も大きく頷いていた。






私たちは井上のばあさんの家を出てキミコの家に戻る事にした。


「酷い話やな…。座敷牢から出れたと思ったら、男たちに犯され、最後は殺されて…。何処にも救いのない話やな…」


大村は私の横を歩きながら言う。

私もそう思った。

しかし、そんな時代があったのも事実なのだろう。


少し前を歩くFが立ち止まり、振り返る。


「梨って手に入るか」


キミコと道彦君が顔を見合わせている。


「ああ、梨は売る程あるで」


道彦君はそう言って親指を出す。


「あのキシュウマイ様の周りに梨を供えるわ。ありったけ準備して」


Fの言葉に道彦君と大村が走り、キミコの家の庭に停めた軽トラに乗って出て行った。


「梨ならうちにも何個かあるよ」


キミコの言葉にFは首を横に振った。


「もっとあった方が良いやろうな。キミコも好きなモンに囲まれたい時あるやろ」


Fはそう言うと笑った。


「そりゃそうやけど…」


「梨ってそんな昔からあるんか…」


関口が私に小声で訊いて来る。


「うん…。日本書紀には既に梨が出て来る筈やから…六世紀とか七世紀とかには既にあったんやろうな…」


関口は頷きながら、


「二十世紀梨って言うから、最近かと…」


確かに二十世紀梨は二十世紀に出来た新種なのだろうが。

それを考えると、昔の梨は今のモノより味は劣っていたのかもしれないと私は思った。






キミコの家の縁側にFが指示したモノが並べられる。

大量の線香、蝋燭、水、そしてコンテナ一杯に入れられた梨。


「じゃあ、行こうか…」


とFが言うと大村がコンテナに入った梨を抱える。


「それ、俺が持つわ…。お前はFたちを支えてやってくれ」


と関口がその青いコンテナを抱える。

その様子を見て私とFは微笑んだ。


「数珠…。しっかり持てよ」


Fは手首に数珠を通し、線香と蝋燭を手にした。

道彦君がバケツに入れた水を両手に抱える。


私たち六人はまた山を登る事になった。

もう少し暗くなり始めた頃だった。


昼に登った時よりも、近く感じる山道だった。

さっき頭が痛くなった場所に着くと、私とFには耳鳴りが始まった。


「大丈夫か」


Fは私に気を遣い声を掛ける。

頭痛も始まったが、堪えられない程では無かった。

私は強く頷き、キシュウマイ様の石塔の前まで来た。


頭痛は酷くなり、やはり汗が噴き出して来た。


「梨を周りに置いてくれ…」


Fの言葉に、大村と道彦君が梨をキシュウマイ様の周囲に並べ始める。

それを見てFは蝋燭に火をつけて、石塔の前に立てた。

私はFの横で線香を束ねてある紙を外して渡した。

そしてFの読経が始まる。


Fの読経を初めて訊く大村達は不思議そうな表情をしていた。

不良の高校生の読経ではない。

それを聞いて大村達も神妙な表情でキシュウマイ様に手を合わせた。


不思議だった。

キシュウマイ様の前に置いた線香。

既に煙だけが立ち上る状態になっているのに、時折その線香の先から炎が上がる。

しかし、Fはそれも気にせずに読経を続ける。


いつもに増して長い読経だった。

そして、ふと顔を上げると、私たちが登って来たのと逆の方向から井上のばあさんが奥さんに連れられてやって来た。

そして黙って私たちの傍に立つとばあさんも数珠を持つ手を合わせてキシュウマイ様をじっと見つめていた。

そして、Fの読経に合わせてばあさんも読経を始める。


Fは読経を井上のばあさんに任せ、バケツの水の柄杓を手に取った。


「大村、手出せ…」


大村はそう言われてFの前に手を出す。

そして、掌にある痣にFは水を掛け始めた。


「キミコ…」


今度はキミコを呼ぶ。

キミコはキシュウマイ様の前に膝を突いて、Tシャツの襟を捲った。


「ちょっと冷たいけど我慢せえよ」


Fはキミコの肩に水を掛け始めた。

そして二人に交互に水を掛けながらまた読経を続ける。

そして今度はキシュウマイ様の石塔にも水を掛けた。


井上のばあさんの読経の声が徐々に大きくなり、少しずつ前に出て、Fの横に立った。


「私がやるよ…」


ばあさんはFから柄杓を取ると、大村の手とキミコの肩、そしてキシュウマイ様の石塔に順番に水を掛けた。


私はふと気付いた。

キシュウマイ様の石塔に歪な形だが、大村の掌やキミコの肩にある痣と同じ、ビショップの印が彫られていた。


家紋か…。


私はそう思いながら、手を合わせた。

不思議と頭痛は引き、汗も流れなくなっていた。


「セキ、梨を割ってくれ」


Fは関口に言う。関口は地面に置いた梨を一つ取ると、素手でその梨を二つに割った。

そしてその梨をキシュウマイ様の石塔の前に備えた。


バケツの水が無くなる頃に、道彦君がもう一つのバケツを井上のばあさんの前に置いた。

既にキミコはびしょ濡れだったが、手を合わせて目を閉じたままだった。


私は線香に火をつけて、キシュウマイ様の石塔の周りに置いて行く。

周囲はその線香の煙が充満していた。

F曰く、その充満した煙が無くなると周囲の邪気は無くなった事になるらしい。


そろそろ読経が終わる。


私にもFの読経が少しずつ分かる様になってきた。


そしてFの読経は終わった。







「あんたなかなかなモンだねぇ…」


キミコの家の縁側で、井上のばあさんがFに言う。


「ただの若造かと思ったけど」


ばあさんは声を上げて笑った。


キミコが濡れたTシャツを着替えて戻って来た。


「もうパンツまでビショビショやし…」


「え…」


キミコのパンツ発言に反応した関口を私は肘で突いた。


「多分、これで痣は薄くなって行く筈やから、その内消えてなくなるわ…」


Fはそう言うとタバコに火をつけた。


大村はFに頭を下げた。


「しかし、何やろうな。この痣…」


大村は自分の掌の痣を見て言う。


Fは立ち上がって、薄暗い空を見た。


「あれ、見てみ」


そういうと指を差した。

その指の先にはキミコの家の瓦に書かれた家紋があった。


「何…。家紋…」


私も庭に出てその家紋を見る。


「一つ宝珠やな…。この家の家紋は…」


井上のばあさんがお茶を飲みながら言う。


「この辺には少ない家紋やからな…。キミコの家はもしかすると霧女に縁のある家なんかもしれんな…」


そう言うとゆっくりと立ち上がった。


「じゃあ、私は帰るわ…。腹も減ったし」


そう言うと歩き出す。


「あ、ばあさん…」


Fは井上のばあさんを呼び止めた。


「ばあさん。今日はありがとう」


Fは井上のばあさんに頭を下げた。


「何言うとるんや…。礼はこっちが言わなアカンのに」


Fは頭を上げると、


「ばあさんにしか頼めんのやけど、お願いして良いかな…」


そう言う。


「はいはい。わかっとる。キシュウマイ様の事は任せとき…。私が代わりにやっとくから」


ばあさんはそう言うとキミコの家の庭を出て行った。

井上のばあさんは何もかも理解している様だった。


Fは井上のばあさんの背中に微笑んでいた。






その後、私たちは道彦君の軽トラの荷台に乗せられて駅まで送ってもらった。

これも本当は違法なのだろうが、もう時効だろう。


「多分、キミコの家の話なんやろうな…。あの霧女って女の話は…」


その荷台の上でFが言う。

殆ど騒音で聞こえない話だったが、そんな話をFはしている事は何となくわかった。


「まあ、酷い時代の話やな…」


その言葉にFは頷いていた。

関口は疲れたのか、揺れる二台の上で横になって眠っていた。






それから何年も経っての事だが、私は大村に偶然会った事がある。

もうお互いに社会人として働いていた。

その頃Fも東京でサラリーマンをしていたのだが。


それはとあるコンピュータ系の展示会での事だった。


大きな展示会場で、集めたパンフレットを袋に詰め替えていると、私をじっと見る男が居た。

直ぐには思い出せなかったのだが、男は私の前に立ち、


「覚えてるか…。大村」


と名乗って来た。


その後、キッチンカーみたいな車で売られていたコーヒーを飲みながら、二人で少し話した。


大村も私同様に、コンピュータ関係の会社で働いていた。

そして、キミコと結婚し、大阪に住んでいると話していた。


「あ、あの痣、どうなった」


大村は掌を私に見せた。

そこにはその痣は残っていなかった。

どうやらFが言ったように綺麗に消えてしまった様だった。


「まだ、キミコの方は薄っすらと残ってるんやけどな…」


そう言って大村は笑っていた。


Fはどうしてるかと訊かれ、彼が東京でサラリーマンをしている事を教えた。

既にFとの連絡方法も私には無かった。


「へえ、何かあれだけの力あるのに普通のサラリーマンかよ…。もったいないな…」


大村はそう言っていた。

しかし、私はそうは思わなかった。

Fの力を必要としない日々。

それこそがFが望む世界だった。

それ故に、Fは満足しているのではないかと思っていた。


「じゃあ、また。同じ業界に居る事分かったから、また会う事もあるかもな…」


そんな事を言いながら大村と別れた記憶がある。


それ以来、大村とも会っていないのだが…。






今回、この話を書くに伴い、「キシュウマイ様」の事をネットで調べた。

このネットが一般的になった時代、簡単に話は出て来るだろうと思っていた。


しかし、キシュウマイ様の情報は何処にも無かった。


多分、まだネットにも載らない、こんな情報は溢れているのではないだろうか。

悲惨が故に、載せられない、また、秩序を守るために封印されている話。

そんなモノもあるのかもしれない。


もしかしたら「キシュウマイ様」という言葉を私が間違えている可能性もある。

しかし、それに近い言葉を探し出してくれる位の記述はあると思うのだが…。


不思議な事に、今回、この話を書く上で「霧女」という女を想像した。

私の中の霧女のイメージは、当時見た「キミコ」そのものだった。







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