俺はオリジナリティのあるテンプレが読みたいんだよォ!

 平和な日本のインターネッツでサイゼリヤが炎上したかと思えば間髪入れず創作界隈では中華料理が炎上。

 日本のグルメはニトログリセリンか何かで出来ているのかと疑いたくなるような昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 どうも、熊ノ翁です。


 本日は中華料理……いやさ創作界隈で話題になっていた「オリジナリティ」について語っていこうかと思います。

 お楽しみいただけましたら幸いです。


 さて、オリジナリティについての話に入る前に事の経緯を簡単に説明します。

 でないと「中華料理とオリジナリティに何の関係があるんだよ。天津飯の存在意義で揉めでもしたのか?」と勘違いされる方が出そうなので。


 某作家さんが物語のオリジナリティについて料理を例に出して「中華料理なら中華料理を美味く作る事が料理人に求められる事であり、その料理の腕や味付けの個性こそがオリジナリティ。プロの料理人はオリジナル料理を作る事を必ずしも求められているわけではない」といった感じの内容のツイートをされておりまして。

 それが話題になって各所で賛否含め様々な議論が巻き起こりプロアマ入り乱れての場外大乱闘が発生しているといった次第であります。

「中華料理は火力が命」とは言いますが、書き手の皆さまが繰り広げる白熱した議論やらレスバやらを見るに、命を落とす作家も出るんじゃないかと見てる方は心配になってくるほどです。(いいぞもっとやれ!)


 そんなこんなで「オリジナリティは必要なのか、それともいらないのか」的な事で皆さま自論をSNSに書きまくっておりまして「こりゃあエッセイのネタに丁度ええわいと便乗させてもーらお」とこうして筆を執っている次第であります。


 さてこの「オリジナリティ」とやら。

 小説でも漫画でも映画でも何でも、あらゆる物語において作品を評する上で頻発するワードですよな。

「この作品はオリジナリティに溢れている。こんな斬新な話は見たことが無い」という賞賛の言葉もあれば「この物語はオリジナリティが無い。どこかで見た話の展開ばかりだ」という酷評もまたあります。

 賞賛にしろ酷評にしろ、どちらの場合でも「オリジナリティ」という評価基準はよく出て来る物なわけですが……これってそもそも何なのでしょう。

 オリジナルの言葉の意味とは「原作、原本、何かに加工された物の元となる物」とあります。

 そしてオリジナリティとは「独創性に富む」という意味であり「オリジナル」の意味を強く含む様を差す言葉です。

 まあ実際、作品の書評なり何なりでもそんな感じの意味で使われてますよな。

 

 漫画や小説の読者さんもアニメや映画の視聴者さんも、とにかく斬新で刺激のある見た事の無い物語を求めているわけで。

 なのでレビューや感想にもよく「この作品は〇〇のパクリ。オリジナリティが無い」だとか「この話は実に斬新」だとかいう事が良く書かれているわけです。

 視聴者読者の皆さまのオリジナリティ溢れる作品に対するニーズたるやハンパじゃないですね。


 しかし、人類という種がアフリカで誕生してからもう随分と時が経ちました。

 ホモサピエンスから数えたとしても20万年は我々命を繋いでいるわけで。

 そしてシュメール人が楔形文字を開発したのが紀元前3500年、世界最古の物語と言われるギルガメシュ叙情詩が生まれたのが紀元前1500年頃。

 西暦と合わせると実に3000年以上もの間、我々は壁に、粘土板に、木板に、竹簡に、パピルスに、羊皮紙に、紙に、そしてモニターに、文字を使いあらゆる物語を紡ぎ続けてきたわけです。

 神話から始まり現代に至るまでに人類が作り上げ、語り上げてきた作品点数たるや砂漠で砂粒数えるが如しでしょう。


 そんな膨大な作品群が作り上げられている中で「誰も見た事の無い」「唯一無二で」「独創的な」作品なんて冷静に考えて存在し得るのでしょうか?

 結論から言うと、まず無いかと思われます。

「全ての物語は神話にあり、その全てをシェイクスピアが書いた」とか言われたりしてますが、実際の所はまあそんな感じなのでしょう。


 しかし、そうは言っても読者も視聴者も出版社も「オリジナリティ溢れる物語」を求めているのもまた事実で、ギルガメシュ叙情詩が生まれてから3500年以上経った現代で作られた物語に「これは斬新だ!」「オリジナリティが凄い!」と賞賛したりもしているわけです。


 オリジナリティ溢れる作品の例としては、映画でしたら例えば「マトリックス」とか。

 内容をざっくり説明すると、機械に支配された世界で人間たちは強制的に眠らされ、仮想現実の中で生きる事を強要されている。そんな中で機械の支配から脱却を目指す人間たちのドラマです。

 これはネット黎明期な当時としては実に斬新な世界観とスタイリッシュなアクションで一世を風靡した名作SFアクション映画でした。

 今でこそ仮想現実を題材とした物語は数多くあるものの、あの当時はそれほど数は多くなく、またワイヤーアクションと特殊なカメラワークを駆使した映像は当時見た人達に大きな衝撃を与えました。

 観客達も見た事の無い未来を感じさせる映像美に熱狂し、事実マトリックスは「驚異の映像革命」と賞賛されアカデミー賞で四部門を受賞する等、高い評価を受けています。


 そんな演出ストーリー共に斬新さの塊、オリシナリティの化身である映画「マトリックス」ですが、では何の影響も元ネタも無く作られているかというとそんな事はありません。

 まず監督であるウォシャウスキー兄弟達自身が「マトリックスは攻殻機動隊から着想を得た」と語っていますし、あのスタイリッシュなアクションシーンも日本や香港映画の殺陣やワイヤーアクションの技術が多く使われています。

 観客がオリジナリティを感じた要素を改めて精査していくと、斬新さで知られるマトリックスでさえも何かしらの着想を得た原型というものがあるわけです。

 

 そのマトリックスを作るにあたり影響を受けたとされる「攻殻機動隊」もまた実にオリジナリティ溢れる名作SFですが、それもまたゼロから生み出されたものでは無くウイリアム・ギブスンの名作SF小説ニューロマンサーを始めとして様々な作品から着想を得て作られたものでしょう。

 

 では何かしらの物語から影響を受けたから、過去の作品との類似点があるからといって攻殻機動隊やマトリックスという作品の価値が、そのオリジナリティへの評価が損なわれるかというとまったくもってそんな事は無いわけで。

 ならば読者は何を求め、どのようなオリジナリティを探しているのでしょうか。

 これは脚本術の本や小説の指南書でもよく言われている事ですが「読者(視聴者)は、似てるけど斬新な物語を求めている」のでしょう。

 なろうでテンプレに文句垂れながらも作品漁り続けてる人なんか、正にそんな感じなんじゃないでしょうか。

「俺は斬新なテンプレ作品が読みたいんだよ」って人、多いかと思います。

 そうでなければ本屋行って自分が読んだ事の無いジャンルの本に手を出せば済むわけで。

 そうせずに愚痴りながらもネット小説読み漁ってるという事は、つまりはそういう事なんでしょう。


 オリジナリティについて熊の意見をまとめると、こんな感じでしょうか。

「真の意味でオリジナルな物語は存在し得なくともオリジナリティのある物語は現に求められており、それは既に多数の物語が作り上げられた現代においても十分に生み出すことは可能である」


 最後に。

 歌舞伎でよく語られるこの格言を載せて本エッセイの締めとさせてもらいます。


「型があるから型破り。型が無ければ単なる形無し」


俺はオリジナリティのあるテンプレが読みたいんだよォ!……END

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