122 新しい歌
こんにちは。
そろそろ恒例になりつつある、カラオケ三人会があるので、新しい曲でも覚えようかなと思って練習、というほどでもないのだけれど……一応練習している。
久しぶりに、新しい曲を覚えるというアクションをしているので、なんだか新鮮で。
「歌」って、当たり前なんだけど、歌わないといけないんですよねぇ。ただ、声をメロディーに乗せて出しているだけは歌になっていない。
ちゃんと歌詞を理解して、歌詞とは別の曲の感情を理解して、それを自分なりの解釈をして、自然な流れでアウトプット出来て初めて「歌」になる。
メロディーのむずかしさや、歌詞の歌いにくさに翻弄されている間や、曲自体がもっている歌詞とは違う所に流れている感情を無視して空っぽで歌っている間は、ぜんぜん歌になっていない。どれだけ音程が正しく歌えていても、それは歌ではない。
でも不思議な事に、自分なりの解釈が出来て心の流れを掴んだあとは、音程に素直に歌った方が伝わる歌になる。
やればやるほど、歌って、深いなぁと思うのです。
この「歌えている」状態になるまでの道のりを久しぶりに体験して、今までは、そんな事を考えずに、ただ繰り返し歌って歌えるようになっていたので、何て言うか……自分が不器用すぎて、どうしようもないなぁと思う。
今までは膨大な時間をかけて、自然に何となくやっていたから、分析して理解して歌う、という作業が難しくて。音を譜面のようにとらえてデータ化する事が苦手なので、どこから転調するとか、二番だけメロディーが少し変わるとか、すぐに忘れてしまうんですよねぇ。結局、癖になるまで歌って馴染ませるしかない。
私の歌を覚える方法は、やっぱり地道方式しかないようです。時間がすごくかかる……
うる覚えで、人前で歌うのは恥ずかしすぎるような状態でも、どうにか我慢して大きな声で歌って。それを繰り返すと、苦手なところや、覚えていないところが浮き彫りになって、少しずつだけれど歌えないところが減って行って、かろうじて歌えていたところも、角が取れて馴染んでくる。
こうなって初めて曲は「歌」になって、聞いている人に意味が通じるというか、説得力がでる歌になるんだと思う。
歌えない状態の出来ない自分を受け止めながら歌うのって、すごく自分に対して恥ずかしくて、認めたくなくて、これがなかなかの修行なんですけどね……。自分には一番見栄を張りたいけれど、自分という存在は一番ウソが付けない相手だと、つくづく思います。誤魔化しようがない。
スポーツでも絵でもなんでも、やっている人はそんな葛藤があるもんじゃないのかなぁ?と思ったり。
見栄を張りたい自分も、見栄を張られる側の自分も、全部統合することが、この世でやらないといけない事の一つなのかもしれないですね。
日々修行。歌、上手くなりたいなぁ。
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