第16話 『剣客』が『拳士』に勝てない理由

 拝エイゾウは、犬威剣道場の門下生である。

 まだ十五歳と若いが、恵まれた筋肉質な巨体と攻撃的な性格は、犬威剣道場の若手の中で期待されている存在だ。

 ダンジョン探索者としての職業は『拳士』の上級職である『剣客』だ。

 それに相対するのは、棍宮クロウ。

 エイゾウとは、小学校からの腐れ縁である。

 猫背で陰気で、見ていてイライラとする存在だ。

 いや、だったというべきか。

 猫背は矯正されて真っ直ぐになり、エイゾウを見てまだ怯えてはいるが、目を逸らす様子はない。

 最近ダンジョンに入り始め、探索者としての今の職業は『拳士』である。

 そんな二人は今、犬威剣道場の広い道場の中心に立っていた。

 壁際には、犬威剣道場の師範代や門下生がズラリと並んでいる。

 これから、この二人の試合が始まる。

 どちらが強いのか、シンプルにそれを競う勝負である。


「よう、逃げずに来たか。そこは褒めてやるぜ」


 木刀を肩に当てながら、エイゾウはクロウをからかった。


「……逃げる訳にはいかないからね」


 相変わらず、ボソボソと聞き取りづらい口調だ。

 エイゾウは舌打ちした。


「ボロ負けして、恥を掻く覚悟は出来たってことか。お前が俺に、勝てる訳ないだろう?」

「それは、やってみなきゃ分からないよ」


 生意気にも口答えしてきたクロウに、エイゾウの低い沸点はすぐに限界を迎えてしまった。


「やるまでもねえだろうが、カスが! ったく、面倒くせぇ! カスはカスらしく黙って俺達にボコられてりゃいいんだよ!」


 今すぐ手に持った木刀で撲殺してやろうと、エイゾウはクロウに詰め寄ろうとした。

 そこに、ひょいと割って入った存在があった。

 猿堂シシオ。

 猿堂流拳術道場の師範であり、クロウの師匠に当たる。


「オタクんとこの門下生、集団暴行自白してるんですけど、どうします? 破門?」


 猿堂が、とんでもないことを言い出した。

 いや、確かに己の言動を振り返れば、試合前に言っていいことではなかったかもしれないが。


「ちょっ! ジョークだろうがジョーク! プロレスでも総合格闘技でもあるだろそういうのがよ!?」

「じゃあ、今のはショーの一環だと」

「そうだよ!」


 よし、何とかごまかせそうだ。

 エイゾウは、心の中で安堵した。

 しかし、猿堂の追求はまだ続いていた。


「俺達って言ったよね? 複数形」

「こ、こここ、細かいことを突っ込んでんじゃねえよ! これは試合だろうが、試合! 必要なのは、言葉じゃねえ!」

「一番多弁だったのは、君だが」

「いいから始めろやクソが!」


 口喧嘩では分が悪いと判断したエイゾウは、叫んだ。


「じゃあ、試合を始めよう。一本勝負……といっても、今回は拳と剣の勝負なので、どちらかが戦闘不能になるか、参ったというまで。当たり前だが殺傷は禁止なので、手加減具合は剣の方が難しい。あ、同時に戦闘不能になった場合は引き分けだ。ないとは思うが、一応な」

「本当に防具を着けなくていいのか?」


 猿堂の説明に口を挟んだのは、犬威剣道場の師範代、犬威カイであった。

 四十代半ば、顎髭を蓄えた壮年の男である。


「普通なら絶対アウトだが、二人ともダンジョンで訓練を積んでいる。鍛えた人間は車に撥ねられても平気なのは、知っているだろう? そこまでいかなくても、木刀程度なら問題ないというのが、こちらの見立てだ。というか、今回の試合に向けて、ウチの方では私が木刀で相手をしているしね」

「へえ……なら手加減、必要ねえんじゃねえの?」


 エイゾウが尋ねると、猿堂は肩を竦めた。


「そこは、対戦相手である君の良識に任せるよ」

「チッ……!」


 これは試合であって、殺し合いではない。

 それは分かるし、さすがにエイゾウだってクロウを殺す気はない。

 とはいえ、骨の一本や二本ぐらいは覚悟してもらうつもりであった。

 エイゾウは、ダンジョン探索には年齢制限が解除されたと同時に入り始めたし、前衛に立って、レベルの上がりも早い。

 クロウの方はついこの間、ダンジョンに入り始めたばかりらしく、初心者もいいところだ。

 犬威剣道場は師範代である犬威カイの指導の下、ダンジョン探索ができる人間は全員が参加する。職業は全員が剣士、剣客、剣聖のどれかで統一、集団での連携は上位ランカーにも届くのではと言われているほどだ。

 ダンジョンの外ではスキルは使えないが、基礎ステータスだけで、クロウを圧倒している。

 エイゾウに負ける要素はなかった。


「じゃあ、そろそろ始めようか。お互い向き合って、礼」


 エイゾウとクロウが向かい合い、一礼する。

 エイゾウは木刀を正眼に構え、クロウも身体を半身にして、拳を構えた。


「始め!」


 猿堂の声と同時に、エイゾウは踏み込んだ。


「おらあああ、死ねやボケぇぇぇっ!!」


 大きく振りかぶった木刀を、クロウの左肩に狙いを付ける。


「くっ!」


 だが、左肩に木刀を打ち付けるよりも早く、クロウの拳がそれを妨げた。

 想像以上の衝撃に、エイゾウは距離を取って構え直す。

 クロウの拳は――砕けていない。

 ダンジョンで鍛えた基礎ステータスが、肉体を強くしていたのだ。


「……っ!? カスが生意気に……!」


 退いたエイゾウとは逆に、いつの間にかクロウが距離を詰めていた。

 右拳が、エイゾウの顔を真正面に捉えた。

 ダメージなど殆どない、当たったというよりも触れた、と呼んだ方がいい打撃であった。

 けれど、拳を当てたクロウは、ホッとしたように笑った。


「あ、当たった……!」

「き」


 逆にエイゾウは激怒した。

 クロウに顔面を叩かれた屈辱に、一気に頭に血が上る。


「効くかよ、そんなクソザコパンチがぁっ!!」


 腕力と体力に任せ、木刀を振るう。

 最初に考えた、肩に当てた手加減など、意識から消えていた。

 クロウの頭、肩、腕、胴、手当たり次第に叩き付けようと、連撃が続いた。


「ぐっ……」


 クロウは拳で捌き、身体全体で避け、ダメージを最小限に抑えようとする。

 しかし、打撃自体を完全に殺すことは出来ず、少しずつダメージは蓄積していった。


「クソがクソがクソがクソが! 弱っちぃクソザコが生意気に拳法だと! テメエが! 俺に! 勝てるだと!? 身の程を知りやがれ!!」


 息を切らせながら、攻撃を繰り返すエイゾウ。

 それを、受け続けるクロウ。

 傍目には、クロウの圧倒的不利である。

 しかし、どれだけエイゾウのレベルが高く基礎ステータスが高かろうが、人間である以上は息が切れる。

 その合間を縫って、クロウの拳が時折、エイゾウの顎や腹を捉えていた。

 さすがに一番最初の攻撃ほど弱くはないが、そのダメージは微々たるモノである。

 あるはずだった。


「効かねえっつってんだろうが……あっ!?」


 エイゾウの膝が、一瞬ガクッと落ちた。

 すぐに体勢を立て直したが、エイゾウの身体は妙に重くなっていた。




「よしよし、効いてきたな」


 審判役を務める猿堂は、二人の戦いに口を挟まない。

 しかし、弟子の攻撃が効いている事実に、ほくそ笑んではいた。

 一方、困惑しているのは犬威剣道場の関係者達だった。


「……どういうことでしょう」


 門弟の一人の問いに、試合を見守っていた師範代、犬威カイが口を開いた。


「気だ。拳士スキルにある……確か『チャクラ』といったか。アレを使っている」

「え、でもダンジョンの外でスキルは使えないはずですよね」

「スキルは使えない。だが、気は実際にあるし、おそらく『チャクラ』から気の扱い方を盗んで、ダンジョンの外でも使えるようにしたのだろう。そうしたスキルの応用は、動画で見たことがある。ただし、相当な修練が必要なはずだ」




 ――犬威カイが戸惑っている通り、棍宮クロウの修練はかなりの密度であった。

 拝エイゾウと戦うことが決まったその日から、それは始まっていた。

 近くのダンジョンから猿堂拳術道場に戻った二人は、これからのことを話し合った。

 胡座を掻いてリラックスする猿堂に対し、正座するクロウは心も身体も強張っていた。


「二週間後の試合に向けてだが、君の対戦相手となる拝君は探索者としてのレベルが高い。ということは基礎ステータスも高く、こちらも相当なダメージを与える必要がある」

「は、はい。でも、僕には……」


 クロウが口ごもった。

 何しろようやく拳士職になったばかりだ。

 何を考えているかは、猿堂には手に取るように分かった。


「普通の攻撃は通用しない。だが、通用する方法は教えてあるだろう?」


 猿堂の問いに、ハッとクロウは気付いたようだ。


「……そうか、『チャクラ』!」

「そう。『チャクラ』をダンジョン外でも使えるようになり、気を乗せた拳で彼を叩く。勝てるとすれば、これが一つ」


 指を一本立てた猿堂に、クロウは首を傾げた。


「一つ?」

「もう一つもあるが、今は『チャクラ』を自分のモノにすることに集中しよう。……二つ目も、やっぱり大前提は『チャクラ』を使いこなしてからになるから、それが出来てからだね。ダンジョンに潜って『チャクラ』を使い、体内の気の流れの制御を覚え込む。そしてスキルの『チャクラ』なしで同じことができるよう、訓練を積む。ダンジョンの外に出ても、常に気の流れを意識するようにする。。正直ギリギリになる」

「……」


 不安そうな顔をするクロウに、猿堂はいつものように笑みを浮かべた。

 ギリギリとは言ったが、クロウには強くなろうという意思があるし、これまで武術の心得がなかった分、猿堂の教えを素直に受け止めて、その吸収率は高い。

 性格的にも、猿堂が命じるまでもなく、この道場以外、自宅や学校でも自主的に訓練を積むだろう。

 試合には間に合う目算であった。


「勝負に絶対はないけれど、そこまでやれるようになれば、かなり勝率は高くなってる。今から攻撃するから、手で受け止めてくれ。何、軽くだから、気楽にやろう」

「は、はい」


 猿堂とクロウが向かい合い、互いに構える。


「ふっ……!!」


 猿堂が気を乗せた拳を、クロウへとゆっくりと放った。

 クロウの防御は普通に間に合い、その両手で猿堂の拳を受け止めた――が。


「うぁっ……こ、これって……!?」


 クロウの両腕が下がり、その手は震えていた。


「そう。気を使った攻撃は――」




 ――体内に蓄積する。

 形勢は、いつの間にか逆転していた。

 手数は棍宮クロウの方が上回り、拝エイゾウは押されていた。


「ク、クソが!!」


 エイゾウの腹は、鉛でも詰め込まれたかのように、重くなっていた。

 頬がズキズキと痛んで苛つくし、手は痺れて気を抜けば木刀を落としてしまいそうになる。

 このままではヤバい。

 何より、クロウに距離を詰められ、木刀の間合いではない。

 ここは、退いて――。


「馬鹿、距離を取るな!」

「え……?」


 師範代である犬威カイの叫びと同時に、身体の前に構えていた木刀に、強い衝撃が来た。

 クロウの拳や蹴りが決して届かない間合いだったのに。

 謎の攻撃の威力に、身体が吹き飛ばされる。

 遠ざかるクロウは、何かを投げた後のモーションを取っていた。


「ぐあぁっ!!」


 エイゾウの背中が、板張りの床に叩き付けられた。

 一方、門弟であるエイゾウが倒れた姿に、犬威カイは握りしめていた拳を震わせた。


「拳士系は、気を外に放つことも出来るんだ……本来は気合い、発声法による威嚇だが、探索者のそれは、気の塊を放つ。格闘ゲームの技は、大体再現できると思っていいぞ」


 その呟きは周りの門弟達には聞こえていたが、エイゾウには届いていなかった。


「舐――めるんじゃ、ねえっ!!」


 起き上がり、木刀を構え直す。

 クロウの気を乗せた攻撃を幾つも受け、身体が重い。

 しかしエイゾウは気合いを入れ直し、渾身の一撃をクロウの頭目がけて、振るう。

 手加減など、とっくの昔に頭から吹き飛んでいた。

 しかし、その一振りは、クロウに見切られていた。


「ここっ!!」


 クロウの拳が、エイゾウの木刀を正面から受け止めていた。

 ミシリ……と木刀に亀裂が入る感触があったかと思うと、そのまま木刀は真ん中辺りから真っ二つに砕けた。

 それを見届けていた、審判役の猿堂はこっそりと、安堵の息を吐いた。


「……これが、棍宮君のもう一つの勝ちの目、武器破壊。ダンジョンでの探索でどれだけ基礎ステータスを上げようと、使う武器は道場の木刀。武器ばかりはダンジョンでは鍛えようがないからな」


 猿堂の考えていた以上に、クロウは練習熱心だった。

 思った以上に早くダンジョンの外での気の扱いを覚えた彼に、猿堂は二つ目の策を授けたのだった。


「剣士が剣を破壊されたならば、それはもう剣士ではない。棍宮君が剣を破壊した時点で、こちらは戦闘不能だ。これ以上の戦いは不要。勝負ありだ」


 そう告げる猿堂に、しかしエイゾウは納得していないようだった。


「っざっけんじゃねえ! 予備の木刀ならまだ、そこに大量にあるだろうが! アレを使えばまだ、俺はやれる!」


 エイゾウは壁の木刀掛けを指差した。

 往生際が悪いといえばそれまでだが、一応理屈ではあった。

 確かに、失った武器を調達してはならない、というルールは設けていなかったのだ。

 ならば、と猿堂は、判断をもう一人の当事者に委ねることにした。


「こちらはそれでも構わないぞ? 棍宮君」

「はい!」


 クロウは、木刀掛けに向かった。

 それを見て、エイゾウは焦った様子を見せた。

 エイゾウが立てかけられている木刀を手に入れるより前に、クロウがそれらを全て破壊してしまうのでは、と危惧したのだ。

 だから、エイゾウは自分の同門、犬威剣道場の皆を見た。


「っ! お、おい、誰か俺に木刀をくれ! 俺はまだ、やれる!」


 その足下に、木刀が転がった。

 後ろからだ。

 エイゾウが振り返ると、クロウが木刀掛けにある木刀を片っ端から手に取って、エイゾウに向けて投げつけていたのだ。

 木刀掛けの木刀が全てなくなると、こちらを振り返った。

 そしてエイゾウを真っ直ぐに見据え、口を開いた。


「武器は、用意した。続きを始めよう」

「いいのかい?」


 どこか楽しそうな猿堂に、クロウは頷いた。


「構いません。犬威剣道場の皆さんも、拝君に木刀を渡してください」

「て、テメエ……!」


 エイゾウは、足下に転がった木刀を手にすることが出来なかった。

 それよりも、目の前のコイツは誰だ、という戸惑いの方が大きかった。

 戦う前の、ビビり散らかしていた棍宮クロウは一体、どこに行った?


「皆さんの木刀も、折ります。全部。片っ端から、叩き折ります。ここの木刀がなくなったら次は台所から包丁を持ってきてくれて構いません。それも――折ります」


 エイゾウの目の前にいるのは、気の力で身体の傷を癒し、再び自分に立ち向かおうと拳を構える一人の拳士だった。

 戦意は充分だ。


「ぐ、う……」


 それに対して、自分はどうか。

 基礎ステータスには圧倒的な差があったにもかかわらず、その身に大きなダメージを食らい、武器である木刀をへし折られ、なお負けを認めぬと抗弁する、剣を使う者のなれの果て。

 あまつさえ、新たな武器を戦う相手から恵んでもらう始末は、実に無様。


「……ま、参った。俺の……負けだ」


 敗北を認める。

 エイゾウが、これ以上の恥を重ねないためには、そうするしかなかった。


「勝負あり! 勝者、棍宮クロウ!」


 猿堂が高らかに宣言し、二人の対決は終わりを告げた。




 夜の、犬威剣道場。

 その縁側で、二人の男が酒を酌み交わしていた。

 一人はこの犬威剣道場の師範代、犬威カイ。

 もう一人は、隣にある猿堂拳術道場の師範、猿堂シシオであった。


「そちらの棍宮君の戦い、見事でした」

「ははは、頑張りました」


 犬威の賞賛を、猿堂は素直に受け取った。

 杯の中身を、くいと飲み干す。

 犬威は、月の出ている夜空を見上げ、半ば独り言のように呟いた。


「それにしても、やはり分かりません。我々は、彼らよりもずっと前からダンジョン探索に臨んでいて、その基礎ステータスの差は明らかでした。直接この目で見たのにも関わらず、やはり信じがたい」


 その問いに、猿堂は少し難しい顔をした。


「説明はできますが、もしかすると失礼な物言いになるかもしれません――怒らないですかね?」

「内容によります」


 犬威の答えに、猿堂は酒の匂いのする息を短く吐いた。


「……分かりました。まず、棍宮君が強くなった。これは間違いありません。であると同時に、思ったよりも拝君が強くなかった、というのが理由になります」


 チラッと横を見ると、犬威は小さく頷いた。

 怒ってはいないようだ。

 猿堂が話を続ける。


「探索者となってダンジョンに入り、モンスターを倒して強くなる。それ自体は間違っていないんです。道場生達が一丸となり、後輩達もパワーレベリングで引き上げる。これにより、先に入っていた拝君とのステータスの差も歴然としていました。けれど、その強さは探索者としての強さです。犬威剣道場の強さじゃあ、なかった」

「あ――」


 猿堂の指摘に、犬威は今それに気付いたというように、声を漏らした。


「道場の生徒達を、剣士系で統一し、集団戦法でモンスターを駆逐する戦術は見事です。しかし試合相手はモンスターではなく人間です。しかも一対一。まったく勝手が違いますし……犬威剣道場の剣が、拝君に伝わりきっていないように思いました」


 そう、戦いは棍宮クロウと拝エイゾウのモノではあったが、猿堂拳術道場と犬威剣道場のそれではなかったのだ。

 猿堂は、棍宮クロウに短い期間ながらミッチリと、猿堂拳術道場のキモとなる部分を教え込んでいた。

 一方、拝エイゾウのそれは探索者であり、職業『剣客』のモノではあったが、犬威剣道場の門弟としては木刀の握り方を教わった程度ぐらいでしかなかったのだ。


「ステータスの差に関しては、その部分が埋めてくれたこともあるのですが、犬威師範代は『武』というモノをどう思いますか?」

「『武』……」


 犬威カイが、短く呟く。

 それは、猿堂拳術道場にも犬威剣道場にも通じるモノだ。


「『武』とは、弱い者が強い者に抗う術ではないかと思うのです。私は道場でもダンジョンでも、猿堂流の拳術を伝えていました。ダンジョンでの育成は、あくまで気の扱いを早めに覚えるための術に過ぎませんでした」

「なるほど……『武』への心構え。それもまた、こちらには欠けていましたか。これは道場での鍛え方を、考え直さなければなりませんな。父にも頭を下げて、今一度教えを請うとしましょう」


 納得したらしい犬威カイが、徳利を手にした。

 猿堂シシオが杯を持つと、そこに酒を注ぎ込む。

 酒が満たされた杯を、猿堂は一気に煽った。




 数日後の猿堂拳術道場。

 胡座を掻く猿堂シシオの前に、制服姿の棍宮クロウがいつものように向き合っていた。

 ここ数日は、拝エイゾウとの戦いで痛めた身体を休めるべく、道場は休みとなっていた。他の門下生がいるなら話は違うが、現在この道場の門下生はクロウのみである。


「それでこれは私の勝手な想像だけど、自信は持てたかい?」

「あ、はい、当面のそれは」

「当面?」


 少し引っ掛かる言い方をしたクロウに、猿堂は首を傾げた。

 なので、詳細を聞くことにした。


「拝君達はあれから、僕に絡んでくることはなくなりました。もちろん、学校生活なので完全にとはいきませんが、横柄な態度を取られることはなくなりました」

「それは何より」


 あの試合は、やってよかったということになる。


「ただ」

「ただ?」

「……拝君と戦ったことが、どこからか漏れたのか、腕試しと称して喧嘩を強要する人が、増えてきてまして……」

「あー……」


 猿堂は、己の額をペチンと叩いた。

 考えられるのは、犬威剣道場の門下生と思われるが、それもおそらく悪気があってではないだろう。

 自分の属する道場の負けをわざわざ吹聴するようなことはないから、クロウとエイゾウの個人的な戦いを語ったのではないかと、猿堂は推測する。

 とにかく、厄介なのはクロウが強いということが、学校の方で知られたということだろう。

 実際、クロウは困っている。


「これ、どうしましょう? こういうのって普通、道場は私闘を禁じますよね? 今は何とか、回避しているんですけど、どうすればいいんでしょうか?」

「うーん、私闘じゃなければいいじゃないの?」

「というと?」

「まず戦いたいという人には、試合を持ちかける。できれば第三者の立会人が欲しい。その交渉がダメで問答無用で襲いかかってくるようなら、相手をしよう」

「相手をしていいんですか!?」


 クロウは驚くが、ここは猿堂拳術道場である。


「降りかかる火の粉を払うのはしょうがないし、最初の提案を受けない時点でならず者だ。容赦なくやっちゃってよろしい。道場主である私が許そう」


 まだ不安そうなクロウに、猿堂は指を突きつけた。


「そもそも、君に勝てる自信があって、しかも実力が本物の人間なら、最初の提案を普通に受けるよ。それを蹴るような奴は、自分の力を分かっていない自信過剰の馬鹿ばかりだから、今の君なら大体勝てる。複数人で襲ってくる場合も、正当防衛が成立する。まずないと思うが、君が到底敵わない強い相手だったら……君ならどうすればいいか、分かるだろう?」


 ニヤリと笑う猿堂に、クロウは力強く頷いた。


「全力で、逃げます!」

「そういうこと。でもまあ、もっと強くなった方がよさそうだ。それでは今日も――」


 胡座を掻いていた猿堂が正座する。

 クロウも、改めて居住まいを正した。


「――よろしくお願いします!」


 二人は揃って、頭を下げた。

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