第13話 アキラトリッカ その三
真田大輔は
(武藤……
記憶がよみがえると同時に、言葉が口をついて出た。
「まつりん!あの、まつりん!?」
「懐かしいな、その呼び方……知ってたの?」
「知ってるもなにも、新日本女子プロレスのトップアイドルレスラーだったじゃないですか!」
大輔の記憶に残る武藤松凛は、ひらひらしたアイドルレスラーの服とショートヘアーの印象が強かった。
今はそれより髪も長く、体格も一回り大きく、筋肉質になっている。
そのため気づくのが遅れたが、紛れもなくあの武藤松凛だった。
「アイドル、は余計かな」
「あ、すみません」
松凛は、デビューから最初の三年ほどはアイドル路線で売り出していたが、その後、半年ほどのメキシコ修行を経て、ストロング・スタイルの実力派に路線を変更していた。その後めきめきと頭角を現し、選手層の厚い事で知られた
「新女が無くなってから、総合格闘技へ転向するっていう噂も聞こえてきましたが……」
「それからまあ、色々あってね、メキシコ時代のツテを頼って、今はここで食わせてもらってる」
「あの、トルベリーナさんとかいう人の」
「うん、まあ、食客というかボディガードというか、そんなとこ」
「それにしても、けっこう歩きますね」
「ん、客室は屋敷の中でも離れてる方にあるからね」
(いや、そうじゃなくて……)
それにしても、いったいここはどこなんだろう、と大輔は考えた。
都内ではちょっと考えられないほどの、西洋スタイルの広い屋敷だ、豪邸と言っていい。
しかも、廊下の要所要所には、ぱっと見にカタギとは思えない屈強そうな男が立っていた。太い二の腕や首筋から、派手な
松凛は慣れた様子で、そんな男たちと朝の挨拶を交わしながら歩いてゆく。
「……あの、トルベリーナさんって、いったい何をしてる人なんですか?」
「うん、そのへんは本人に
やがて廊下に良い香りが漂ってきた、ダイニングルームが近いのだろう。
コーヒーと焼き立てのパン、他にも様々な食べ物が混ざった匂いだ。
「ついた、ここだ」
ダイニングルームのドアを開けつつ、松凛は言った。
「おまたせ、トルベリーナ」
広々としたダイニングルームには、片側だけで十人くらいは座れそうな大きなテーブルが置かれていた。
立ち上がって出迎えたトルベリーナは、手を振ってテーブルの一角を指し示す。
「ようこそお客人、朝食の用意ができてるよ」
大きなテーブルだけに、その全部に料理が並べられているわけではなかった。
料理が乗っているのは、テーブル全体の三分の一程度のスペースだった。
が、それでも三人で囲むには少し多すぎるのではないか、と思えるぐらい、様々な料理が並べられていた。
それを見た松凛が言った。
「いつにもまして豪勢だね」
「客人をお迎えしての朝食だからね、粗末なものを出しちゃ、沽券に関わるから、料理人に腕をふるわせたよ、チラキレスにエンチラーダス、エンサラダ・デ・ノパレス、卵はディボルシアードスにしたよ」
おそらくは料理の名前だろう。聞き慣れない名前を並べ立てつつ、トルベリーナは笑顔を見せる。
「せっかくだから、メヒコ式の朝食を味わってもらおうと思ってね、もし口に合わないようだったら、コメも用意させるけど」
「いえ、大丈夫、十分です」
「¡
三人が朝食の席へ着くと、トルベリーナは胸の前で手を組み、目を閉じて祈りの言葉を唱えだした。
松凛も、それに
大輔も少し慌てながら手を組み、目を閉じた。
トルベリーナが唱えた祈りの言葉はスペイン語だったが、意訳するとこんな感じだ。
「父よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます――ここに用意された物を祝福し、私達の心と身体を支える糧としてください」
ここで十字を切り、トルベリーナは言った。
「父と、子と、聖霊の御名によって、アーメン」
一瞬の沈黙の後、トルベリーナが口を開く。
「さあ、遠慮しないで」
言いながら、脇で控えていた給仕に向けて指を鳴らす。
ポットを持った給仕が静かにテーブルへ歩み寄り、三人のカップに淹れたてのコーヒーを注いで回った。
香り高いコーヒーが立てる湯気に鼻孔をくすぐられ、改めて大輔は、自分が昨日の夕方から何も口にしていない事を思い出した。
スプーンとフォークを手に取ると、目前に置かれた皿を見据える。
パッと見はコーンチップスのようなものが煮込まれたような料理だった。皿の中央が茶色いペーストで仕切られ、右側は赤色、左側は緑色の何かで煮込まれている。
「それはチラキレス、トルティーヤを……トルティーヤはわかる?」
「確か、トウモロコシの粉を水で
「そう、そのトルティーヤを油で揚げて、サルサで煮込んだ料理だよ、右側と左側ではサルサの種類を変えてある、右がサルサ・ロホ(赤)、左がサルサ・ヴェルデ(緑)真ん中を仕切ってるのはフリホーレス・レフリトスで、インゲン豆を煮て潰して炒めたヤツ」
トルベリーナが解説した。
大輔は意を決し、赤い方にスプーンを伸ばす。
一片のトルティーヤと赤いサルサを乗せたスプーンを口に運んだ。
「うま……いや、美味しいです」
一見、辛そうな赤いサルサだったが、辛さはそれほどでもない、むしろトルティーヤを噛みしめるたびに、トマトを中心とした野菜の旨味が、じゅわりと口の中に溢れ出る。
大輔は一口目を飲み込むと、がっついている印象を与えないように心がけながらも、続けて二口、三口とスプーンを口に運んだ。
トルティーヤは煮込まれて柔らかくなっていたが、カリカリしたままの部分も少し残っていて、丁度良い食感のアクセントとなっていた。
「緑の方も試してごらん」
トルベリーナに
口にしてみると、トマトのコクが中心の赤いサルサの味わいとはまた異なる、爽やかな酸味と旨味、そして辛味が口の中に広がる。
「こちらも、美味しいです」
トルベリーナの顔に満足げな笑みが浮かぶ。
「そのサルサ・ヴェルデは、トマティーヨとかトマテ・ヴェルデって呼ばれる野菜で作るんだ、名前はトマトだけど、トマトよりは……なんて言ったっけ……そう、ホオズキに近い野菜だよ」
赤い方を食べて程よい辛味とコクを堪能し、また緑の方を食べて爽やかな酸味で口をリセットする、繰り返せば永遠に食べ続けて要られそうだ。
「それにしても……油で揚げたものに汁が染み込んだ食べ物って、なぜこうも美味いのだろう……」
「だよねえ、カツ丼のカツの衣とか、天ぷら蕎麦の衣とかさ」
松凛の答えで、大輔は自分がうっかり、思った事を口に出してしまっていたことに気付いた。
「チラキレスの上にはウエボ・フリート……目玉焼きって言うんだっけ……を、乗せることもあるんだけど、卵料理は別に用意したからね、そっちも試してみなよ」
トルベリーナに言われ、大輔は卵料理の皿に目を移す。
目玉焼きのように焼かれた二つの卵のそれぞれに、やはり赤いサルサと緑のサルサが掛けられている。
「そいつはウェボス・ディボルシアードス、二つに分かれてて、それぞれ色が違うんで『離婚した卵』って名前で呼ばれてる、トルティーヤの上に卵を割って、乗せて焼いて、サルサ・ロホとサルサ・ヴェルデを掛けて仕上げてある」
大輔はまず、赤いサルサが掛けられた方の卵を一口大に切り、口へと運んだ。
卵はいかなる焼き方をしたものか、黄身は半熟で白身はプリッと適度な水分を残しつつ火が通され、なおかつ縁の部分はカリッと香ばしく焼かれている。
サルサの見た目はチラキレスと一緒だが、微妙に味が違うような気もする。
大輔は聞いてみた。
「このサルサは、チラキレスと同じものですか」
「実は、少しだけレシピを変えてあるらしいよ、ウチの料理人曰く、卵には少し強めの味付けの方が良いんだとかなんとか」
「へええ」
「良かったら、サラダも試してみて」
サラダはサラダボウルから取り分けるのではなく、銘々の前に小皿で置かれていた。
大輔はその中身を見てみる。細かく刻まれたタマネギに角切りのトマト、それと何か細切りにされた緑の野菜が入っている。その上には刻まれた緑の葉が散らされていた。
大輔はフォークを使ってトマトと緑の野菜を少しだけ口に入れてみた。
上に散らされた葉はいわゆるコリアンダーとかパクチーと呼ばれるハーブだった。
細切りにされた緑の野菜は、豆が入っていないスナップエンドウといった感じの味がする。不思議なことに、少し粘り気があった。大輔は噛みながらオクラを思い浮かべた。
「どう?」
トルベリーナが笑みを浮かべながら聞いてくる。
「不思議な……味です、慣れたら美味しいかも、この緑の野菜は……」
松凛が代わって答えた。
「サボテンだよ」
「サボテン!?」
「そ、向こうではノパル、日本ではウチワサボテンって呼ばれるヤツ、メキシコじゃ、実も食べるんだよ」
「へえー」
「エンチラーダスも食べな、中は
松凛が笑いながら混ぜっ返す。
「まるで
同じ頃、十勇士と八犬士が共同で使っているマンションのリビングルーム。
浅黒く焼いた肌に、少し崩した学校の制服の着こなし。いわゆるギャルと呼ばれるスタイルだ。
そんな見かけとは裏腹な、落ち着きのある声で少女は切り出した。
「――まずは本部からの最重要連絡事項からお伝えします――十勇士、全員の投入が決定しました」
第十三話 終
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