第10話 サイカトセツ その七

 一連の襲撃があった翌日。瀬田谷区せたがやく清城せいじょう。この区にいくつか存在する、高級住宅街として知られる場所の一つである。

 ここには、附属の幼稚園から大学まで、一貫した教育を提供し、良家の子女が通うことで知られる学校があった。

 その高等部の授業がそろそろ終わるかという頃合いの時間帯、学園の周辺には、普段の清城に似つかわしくない、なんというかガラのよろしくない女子たちの姿がそちらこちらにあった。

 いずれも二、三人から数人のグループで、しきりに周囲に目を配り、誰かを探している。

(マズいっス……)

 大いに身に覚えのある少女が一人、校舎の中から学園の外の様子をうかがっていた。

 数日前に八犬士・犬川荘いぬかわ そうに勝負を挑み、打ちのめされた少女、木子中心きね まなかである。

 

 何ヶ月か前のことだった。中心まなかは下校の途中、クラスの友人の一人が数人の不良に絡まれている所を目撃した。

 それまでは喧嘩どころか、口喧嘩すらろくにしたことはなかった。格闘技の心得もなく、体育の成績はクラスでも下寄りの真ん中、そんな中心だったが、たまたま目についた所に放置されていたモップを手に取り、巧みに振り回して不良たちを追い払った。

 後になって、その時に自分が使った技が、中国式の棍術であることに中心は気づいた。習ったわけでもないのに何故そんなことができたかはわからなかったが、数日後に都内の専門店で本物の棍を手に入れると、図書館で専門書を読み漁り、ネットに上げられた数々の動画を見漁っては独学で技を磨いていった。

 腕前が上がって来ると、中心の中にそれを試してみたいという欲求が湧き上がってくる。

 週末の夜が来るたびに、普段であれば絶対に着ない派手な虎の刺繍の入ったスカジャンを身に着け、帽子とマスクで顔を隠して繁華街の片隅に身を潜め、自警団まがいのことをするようになった。

 叩きのめした不良の数が両手の指を超えるあたりから、誰が呼び出したのか「タイガーストライカー」の名で不良たちの噂に上るようになった。

 取り憑かれたように、腕に覚えのありそうな相手を探しては勝負を挑むようになった。そして遂には白昼堂々、名乗りまで上げて挑んだ相手が犬川荘いぬかわ そうだった。

 不思議なことに、荘にこてんぱんにされてからは、憑き物が落ちたように戦いたい衝動はなくなっていた。

 とはいえ、やってきたことのツケがとうとう今になってやってきたようだ。

 

「どしたの?まなちゃん?」

 同じクラスで友人の周千通あまね ちづるが声をかけてくる。

 中心が最初に助けた少女、能力に気づくきっかけとなった少女がこの千通だった。それ以来、何かと親しく声をかけてくるようになり、今ではすっかり親友となっていた。

「あーいやなんでもない、なんでもないっス」

 千通まで巻き込むわけにはいかない、中心は決意を固めた。

「あ、忘れ物!取ってくるっス!ちづちゃん、ちょっと先に行っててくれるっスか?あとからすぐ追いつくから!」

「いいよー」

 千通は昇降口へと歩いていった。


 正門から千通が無事出ていくのを見届けると、中心は裏門へと向かった。少しでも身軽に動けるよう、通学鞄は校舎に置いたままだ。

 中心は閉ざされた裏門へ向けてまっすぐに走り出した。裏門が大きく目前に迫ったところで、ふわりと宙に見を浮かせる。

 軽功、あるいは軽身功と呼ばれる中国武術の動きで裏門を飛び越えた中心は、学校裏の路上へと降り立った。

「おい!お前ェ!」

 裏門で見張っていた不良の一人が声をかけてくる。

 中心は構わずに走り出した。あそこまで行ければ……。


 中心が向かっていたのは、学校の近くにある河川敷だった。

 河川敷にかかる大きな橋の、橋脚の所に棍が隠してある。棍さえ手にできれば、例え相手が十人いても相手にできる自信があった。

「いたぞ!」

「こっちだ!」

「待てやコラァ!!」

 そこかしこに分かれて見張っていた連中が合流し、追いかけてくる人数はみるみる膨れ上がっていた。

「ひいいいい!」

 中心は涙目になりながらも、走る速度は決して緩めない。


 必死の形相で走る中心は、遂に河川敷沿いの道に出た。橋脚めがけて土手を駆け下りる。

 橋脚にたどり着き、隠しておいた棍を掴むと、背後に回られないよう、橋脚を背にして追ってきた連中に向き直る。

 近くにいるだけでもざっと十数人はいるだろうか、遠くにはさらに、遅れて土手を駆け下りてくる者たちの姿も見えた。

(こりゃだめかもしれないっス……)


「オラぁ!」

 一人が木刀を振りかざし向かってきた。

 中心は素早く棍を繰り出し、木刀を払うとそのまま突き込む。相手は胸を突かれて吹き飛んだ。

 続けてもう一人の頭を打ち、棍を返して別な一人の足を払う。

 立て続けに三人を倒したが、包囲している不良少女たちに怯む様子はない。

 積極的にかかってくる者こそいなくなったが、じわじわと包囲の輪を狭めて来る。

 このままではいずれ、棍に有利な間合いを潰され、数を頼んで袋叩きにされるだろう。

(ここまでっスかね……)

 中心が諦めかけたその時だった。

 橋の上から、何か大きな物体が降ってきた。

 中心と、それを取り囲む不良少女たちのちょうど中間に、大きな音を立ててそれは着地した。

 人だ。

 膝をついた姿勢からゆっくりと立ち上がると、その人物は腹に響く声で叫んだ。

「この喧嘩、この三好伊三美みよし いさみが預かった!!」


 話は前日へさかのぼる。

 公園でのエンギュイエン三姉妹の襲撃を退け、真田家に戻った犬川荘いぬかわ そうに、伊三美が声をかけた。

「委員長、ちょっといいか?」

「……やめてください、委員長って呼ぶのは」

 周囲に他者の耳がないことを確認し、伊三美が話し始める。 

「何日か前にあんたと闘ったやつ……木子中心きね まなか、とかいったっけ?」

「そうです、今は監視を付けて泳がせています」

「そいつをさ、ちょいと捕まえて、話を聞こうと思うんだけど、協力してくれね―かな」

「勝手に捕らえて尋問は……」

「あー、実はな、そいつ、あんたとり合う前に、近場の不良わるいの相手に、だいぶ派手に跳ね回ったらしくてな、あのへんのグループのいくつかが報復かえしに動き始めてんだよ」

 一息置いて伊三美は続ける。

「つまりはまあ、ちょっとした証人保護と司法取引ってとこだ、それならあんたの『義』にも反しねえだろ?」

「そういうことであれば……」

「よし、そうと決まれば早速決行だ、明日行こうぜ」


 かくして伊三美は荘を伴って清城へやってきた。そして通りかかった橋の上から乱闘が始まる気配を察し、飛び降りた、というわけだ。

 三好伊三美という名乗りを耳にし、その姿を見た多くの者は動きを止めたが、察しの悪い何人かが伊三美に襲いかかってくる。

 襲いかかってきた数名の、先頭の一人の少女の頭を伊三美は鷲掴みにした。

 万力のような握力で頭部を締め上げられた少女は手にした金属バットを取り落とす。

 両脇からも一人ずつ、木刀で殴りかかる者がいたが、そちらはあえて殴るにまかせた。

 巨岩を殴りつけたような衝撃が手に伝わり、二人とも木刀を放り出し、手を押さえてしゃがみ込む。

 伊三美は取り囲む集団の一角を指差すと言った。

「おいそこ、しっかり受けろよ」

 言うなり、頭を掴んでいた少女の胸ぐらも掴むと、無造作に放り投げる。

 放り投げられた少女は真っ直ぐに宙を飛び、その先にいた数名を将棋倒しにしてようやく止まった。

 その場の全員が戦意を失った。

「よおし、んじゃ全員、とりあえず武器エモノ置いて座ろっか」

 伊三美がにっこりと笑って言った。


 (正座しろって意味じゃなかったんだけどな……)

 中心を襲った少女たちは全員、伊三美に向かって正座していた。ざっと三十名前後はいるだろうか、中心までそこに混じって正座している。

 そこに遅れて犬川荘いぬかわ そうがやってきた。伊三美が乗り捨てたバイクを運転している。

 バイクに二人乗りで橋の上に来たところで、下の乱闘を見た伊三美が、

「バイク頼むわ」

 と言って飛び降りてしまったためだ。

「悪いね委員長、ってかバイク転がせたんだ」

「八犬士は一通りの車両の操縦訓練を受けています、私は年齢的に免許が取れるのは普通自動二輪車までなので、四輪車などはあくまでも緊急時の対応用ですが」

「なるほどね、さてと……」

 伊三美は居並ぶ不良少女たちに向き直り、言った。

「こん中で一番、偉いひと〜」

 中央に座っていた一人が手を上げる。

「チームはどこだい?」

駒江こまえニードルです」

「今回の仕切りも?」

「ウチです」

「スマホあるかい?」

「はい」

「頭はまだ春奈ちゃんだろ?ビデオ通話、できるかい?」

「はい」

「かけな」

通話がつながると、伊三美はスマホのカメラを自分に向けるよう身振りで指示する。

「よお、元気かい?」

「ああ?誰だテメー……え……は……み、三好さん!?」

「ああ、アタシだ、早速だけど、今回の件、ウチで預からせて貰って良いかい?やられたヤツの分は借りってことになるけど、埋め合わせはするよ」

「三好さんが仰るなら、否も応もありません……あの小娘、それほどのモンなんですか?」

「まあね……話が早くて助かるよ、追って正式な連絡は回すけど、そういうことでイイね?」

「はい!お任せします!」


 ニードルの頭との通話を終えた伊三美は、その場の全員に向かって言った。

ニードルの頭とは話がついた!他のチームにも追って伝えるが、この木子中心の身柄は、たった今から横波間よこはま刃琉穹麗ヴァルキューレ総長の三好伊三美が預かる!」

 伊三美は全員を見渡すと、手近な所にあった金属バットを拾い上げ、バットを持っていた少女に問いかける。

「このバット、亡くなった弟の形見とか、そういうのじゃないよね?」

「違います、近所のホームセンターで買った安物で……」

 伊三美は頷くと、天秤棒を担ぐように、バットを首の後ろから両肩へと持っていった。

 バットの両端に腕をかけ、力を込めていく。嫌な金属音を立ててバットがきしみ始めた。

 そのままさらに力を込めていく、伊三美の顔が紅潮し、こめかみに血管が浮く。

 遂に甲高い音を立てて、バットは二つにへし折れた。

 折れたバットを振りかざし、伊三美は言った。

「念を押しておくが、木子中心に手を出したヤツは、このバットと同じになってもらうよ!いいね!!」

 ことさらに力を誇示する行為は、伊三美の好みではなかったが、相手によってはあえて力を見せつけた方が良い場合もある。今がまさにその時だった。

 伊三美は折れたバットを元の持ち主に差し出した。

「悪いね、新しいのを買って返すよ」

「いえ、大丈夫です!……このバット、家宝にします!」

 バットを押し頂く少女の目は、憧れのメジャーリーガーを見つめる野球少年のそれになっている。

「よおし、じゃあ解散だ、みんな帰りな!」

 紛れて帰ろうとする中心に、伊三美が声をかける。

「あんたは残りな!」


 中心を狙った不良少女たちは全て去り、河原には伊三美と荘、そして中心の三人だけが残された。

「……さてと、こんな所で込み入った話もなんだな、どこかに場所ショバを変えて……」

 と、その時。

「まぁてぇぇぇぇえ!」

 一人の少女が叫びながら駆け寄ってくる。

 先ほどの不良少女たちとは明らかに雰囲気が異なり、中心と同じ制服を身に着けていた。手には長い棒を持っている。

「中心ちゃんをいじめるなぁぁぁあ!」

 三人が呆気にとられているうちに、見る間に近くまで駆け寄ってきた少女は、手にした棒で伊三美に突きかかって来た。

 中心が驚き、声を上げる。

「ち、千通ちゃん!?」


 以前の中心と同じように、喧嘩の経験も武道の心得も全くない筈の千通が、棒を手にして戦っていた。

 突きが主体のその技は、中心が使う棍術とはまた趣きが異なっている、どうやら槍術のようだった。

 巧みに穂先を返し、続けざまに突きを繰り出すその手さばきは、昨日今日槍を手にした者のそれではなかったが、いかんせん十勇士・三好伊三美を倒すには不十分だった。

 僅かに甘い突きが来た所を見計らい、伊三美はがっしりと棒を掴む。

 千通が棒を放して素手で掛かろうとしたその時、背後に忍び寄っていた荘が巧みに千通を押さえ込んだ。逮捕術の応用だ。

 押さえ込まれた千通の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

「はなせぇえ!まなちゃんをいじめるなぁあ!」

「あーもう、泣くなよ面倒くせえなー」

 伊三美は困りきった顔で中心に言う。

「ちょっと説明して、落ち着かせてやってくれ」

 中心が千通に細かい事情を説明し、千通が落ち着くのを見計らって伊三美は言った。

「さてと、茶ァでもしばきに行こうか、四人でさ」


 第十話 終

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