第2話 セイカトソウ その一
ここは
昨夜、交代で仮眠を取りつつ真田家での護衛を行った
(どこか見えない所から見守っているんだろうか……)
などと大輔が考えつつ、校庭の方をぼんやりと眺めていると予鈴がなり、担任の教師が入ってくる。
担任教師の後から、よく見慣れた姿の少女が入ってくる。
「ええ、突然ではありますが、本日よりわが校に編入して来られる事になりました
教師が
「大塚さん、自己紹介してください」
信はカツカツとチョークを鳴らし黒板に名前を書き込む。達筆だ。
生徒達の方へ向き直ると、その容姿に生徒達の間からため息ともざわめきともつかない声が漏れる。
「
信と大輔の目が合う。
にっこりと笑う信に、大輔は複雑な表情を浮かべる。
同日の昼下がり、主人公の家の最寄駅である
電車のドアから、軽く頭を屈めながら出てきた所からその身長の高さがうかがえる。おおよそ二メートルはあるだろうか。
丸眼鏡に長い髪、背筋を伸ばし颯爽とホームを歩く。その動きはあくまでも滑らかで、体の大きさを感じさせない。片手にはキャスター付きのスーツケースを引いている。
行き交う人々のほとんどはその巨体に気を取られるばかりだが、柔和な笑みを浮かべた顔立ちは美しく、胸元は豊かだった。
そして驚きの目でメイド服の女を見つめる周囲の人々は、その圧倒的な体格に気を取られ、気づかない、古風なブーツを履いているにもかかわらず、その女が足音をまったく立てていない事に。
その女の名は
同日、同時刻。
伊三美は走りながらスマートフォンを取り出し、どこかへ電話をかける。
「ああくそ、出やがらねえ」
伊三美は立ち止まり、スマートフォンの画面を見る。
「メッセージも読んでねえ、どうなってんだ」
スマートフォンをポケットに入れ、再び走り出した。
真田家のリビングルーム、ソファの来客が座る位置には
家人側の位置には真田の母、由美子が座っている。
清海は立ち上がると深々と頭を下げ、言った。
「改めましてご挨拶させていただきます、真田十勇士、
下校途中の大輔と信は、走ってきた伊三美と出くわした。
「どうしたんですか、そんなに慌て……」
大輔の言葉の途中にかぶせて伊三美が叫ぶ。
「お前のかーちゃん!電話が!通じねえ!」
「ああ、もしかしたら、部屋のどこかに置きっぱなしで掃除でも……」
またも大輔の言葉を途中でさえぎるように伊三美が言う。
「マズいんだよ!姉貴が来る!」
信が思い出したように言う。
「姉貴……ああ、護衛が増えるって言ってましたね、お姉様がいらっしゃるのですか?」
「大事なことを伝えとくのを忘れてたんだ!しばらく姉貴にも会ってなかったから……」
再び真田家のリビングルーム。
「三好……さん……伊三美ちゃんとは、もしかしてご姉妹なのかしら、それにしても大きくて綺麗な方ねえ」
紅茶のカップを口元に運んでいた清海の手が止まる。
顔をうつむかせ、手にしたカップをソーサーに戻しつつ、清海は言った。
「お母様、今なんとおっしゃいました……?」
カップとソーサーがふれ合い、小さな音を立てた。
走っている伊三美と信、少し遅れて大輔も離されまいと必死の形相で走っている。
「今日は特攻服ではないんですね」
信の問いに伊三美が答える。
「ああ、何事も最初が肝心だからな、それで昨日は気合い入れて着てきたんだ」
「ところで伝えるのを忘れたというのは……」
「姉貴には地雷っつーか、NGワードっつーか、言っちゃいけない言葉があってな」
「と、言いますと?」
信がさらに問いかける。
「体格にちょっとしたコンプレックスがあってな、要は“大きい”とか“デカい”とか、その手の言葉がダメなんだよ」
少しの間を置いて伊三美が続ける。
「言われたら必ずキレるってわけじゃねーし、なんせ護衛対象の肉親だ、滅多な事はしねーと思うけど、万が一って事もあるからな」
「急ぎましょう」
信と伊三美の走るペースが上がる。と同時に大輔の形相も必死さが増してゆく。
真田家のリビングルーム。真田の母はまったく悪気のない笑顔で清海に答える。
「大きくて綺麗な方ね、って」
清海がうつむかせた顔を上げる。頬を赤らめるつつ笑顔で言う。
「いやですわ、お母様、キレイだなんてそんな……」
そこへ大輔、伊三美、そして信たちがドヤドヤと入ってくる。
「無事だった……」
安心したそのあまり、伊三美はその場にへたり込む。
それを見た清海は言った。
「お行儀がよくありませんよ、伊三ちゃん」
同じ頃、真田家にほど近い路上。裏通りゆえか行き交う人も車もほとんどない。
ガードレールに一人の少女が座っている。背中に派手な虎の刺繍が入った、いわゆるスカジャンと呼ばれる上着。深く被ったベースボールキャップで顔はよく見えない。ひどく長い白木の棒を手にしている。
道の向こうからは、歩いてくるもう一人の少女、どこかの高校のものと思しき制服を着ている。アシンメトリーのショートボブ、毛先はまるで刃物のようにきれいに切りそろえられている。凛とした、整ってはいるが気の強そうな顔立ちだ。彼女の名は
スカジャンの少女の脇を通り抜けようとする荘の胸の高さに棒が突き出され、行く手を遮られる。
荘は表情を変えず、ガードレールの切れ目から車道に出て、大きく避けて通り抜けようとする。
と、今度は唸りを上げた棒が荘の顔スレスレに突き出され、行く手を遮られた。
表情は変えぬまま、荘は口を開く。
「……何のつもりだ?」
スカジャンの少女はガードレールから下り、被っていた帽子のつばを人差し指で押し上げた。
「ニブいすねー、この道、通れねーって事ッスよ」
荘は大きくため息をつく。
「ベタだな、古いカンフー映画みたいだぞ」
スカジャンの少女は手にした棒を大きく振り、構えをとった。
(棒術ではなく、中国の棍か……)
荘が素早く見抜く。
「見た感じ、アンタけっこうやりそうッスね?」
言いながら、被っていたキャップを前後逆に被り直す。
「アタシは人呼んで“タイガーストライカー”、
露骨に呆れた表情を浮かべながら荘は言う。
「ダサ……いや、小学生か?そのセンス……とはいえ、勝負を挑まれて逃げるわけにもいかないな」
荘は素早く周囲に視線を走らせると、言った。
「そこに、ちょうど良い広場もある、急いではいるが、ちょっとだけ相手してやろう」
真田家のリビングルーム。部屋には清海と大輔の二人だけになっていた。ソファの右の端には清海が座り、反対の端には大輔が座っている。
(気まずい……)
大輔と伊三美、そして信ら三人が真田家に駆け込んだ後、真田の母は「買い物に行ってくるわね」と出かけ、伊三美は「交代の時間まで、バイトがあるんだわ」言って出ていった。信までが「私も、もう一人来る犬士と打ち合わせがあります」と言って行ってしまった。
かくして家の中には、大輔と清海、二人だけが残されたという次第だ。
まったくの初対面のメイド服の巨大な美女と二人きり、いったいどういう状況だよとツッコみたかったが、果たして何にツッコめば良いのか。
大輔は、一人で勉強したいと言って自室に籠もる事も考えてみたが、護衛のため一緒にいますと言われたら断れる自身がなかった。
狭い自室で二人きりになるよりはまし、とリビングで教科書とノートを広げてはみたものの、当然何も頭に入ってこない。
「あの」
大輔の声に、清海が向き直る。
「はい?」
「えーと、伊三美さん、アルバイトに行くって……」
「ええ、大輔さんを探すのを手伝ってくれたお友達をねぎらうため、何かご馳走してあげたいって」
「ああ」
「私たち、十勇士としてのお手当もいただいてはおりますが、
「それでバイトですか」
「うふふ、ああ見えて伊三ちゃん、すごく義理堅いんですよ」
「なるほど」
両者の間に再び沈黙が訪れる。
聞きたい事はまだ色々あるが、いったい何から聞くべきか、しばし考えた大輔は、意を決した顔で口を開く。
「あの」
「はい?」
「初対面でいきなりこんな事を聞くのは失礼かなとも思うんですが、清海さんと伊三美さんは、実のご姉妹……なんでしょうか?」
穏やかな笑みを浮かべていた清海の顔に、少しだけ寂しげな陰りが浮かんだ。
「やはり、わかります?」
大輔はひどく早口で答える。
「あ、いや、伊三美さんの清海さんへの態度っていうか感情っていうか雰囲気っていうか、なんか硬さを感じるっていうか独特なものがあって、僕は兄弟がいないので実の兄弟の間の感情の機微みたいなのよくわからないんですが、でもなんとなく、あ、親しくもないのにこんなこと聞くの、良くない質問でした、すみません」
「いいんです、やはり分かるかたには分かってしまうものですね」
少しの間を置いて、清海は続ける。
「私と伊三ちゃんは遠い親戚にあたります、十勇士の末裔一族は、どの家も豊臣家と真田家が中心となって作られた財団からの支援を受けているのですが、それでも零落してしまう家もあって、彼女の所もそうだったんです」
「それは……」
「私が10歳のある日、父が突然5歳の伊三ちゃんを連れてきて『今日からお前の妹だ』って、私もずっと妹がほしかったから」
そこで清海は、小さく思い出し笑いをする。
「ふふっ、小さい頃の伊三ちゃん、すごぉく可愛かったんですよ、今はちょっとあんな感じになってしまいましたけど……」
「はぁ」
「父も母も、そして私も、実の家族同然に接して来たつもりではあったのですけれど、それでも小さな子供だから、辛くなる事があったんでしょうね、しょっちゅう大きな目に涙をいっぱいに溜めて、私のところに来るんです『おねーちゃん、むぎゅーして』って」
「むぎゅー?」
「ハグの事です、だからそんなときは必ずハグしてあげて、そうすると伊三ちゃん、すぐにすーって寝ちゃうんです」
「なるほど」
「伊三ちゃん、本当に大好きだったんですよ、私の『むぎゅー』が」
ふと、清海は大輔を見ていたずらっぽく笑いながら言った。
「ふふ、試してみます?」
大輔は、まるでピンと来ていない表情で尋ね返した。
「試す?」
「『むぎゅー』を」
そこでやっと気づいた大輔は赤くなりながら言った。
「え、いやいやいや、だってそんな、若い男女が、理由もなしに抱き合うなんて」
「大丈夫です、ただのハグですから、それとも何か、大輔さんは私にいやらしい気持ちでもお持ちなのですか?」
「いやいやいや、ないです、ないないない」
「ならばまったく問題ありません」
やおら立ち上がった清海は、両手を広げながら笑顔でゆっくりと大輔に近づく。
「さあ」
それでも動こうとしない大輔に、さらに清海は近づいてゆく。
「さ あ」
大輔は抗いきれずに立ち上がるが、その場から動こうとしない。
「えい!」
業を煮やした清海は、自ら大輔へ抱きついてゆく。
「はい、むぎゅー!」
何かえらく大きくて温かくて柔らかいものに包まれる感触。と同時に大輔の両の鼻腔は芳しい香りで満たされていく、桃、麝香、バニラ、そして何かの花のミックス。
(ああ、嘘じゃないや……本当に気持ちが良いな……気持ちが……き、も、ち……ち……ち)
かなりどうかといった感じに相好を崩しつつ、大輔の意識は次第に遠くなっていく。
「ちにゃー」
大輔の家からそう遠くない、表通りに面したカフェのテラス席、信が一人で座っている。そこに伊三美があらわれ、声をかけた。
「よう、一人か」
「ここで待ち合わせですが、少し遅れてるみたいです」
「もう一人来るって言ってた、八犬士か?」
「はい、普段は絶対に遅刻なんてしない人なんですが……それよりよろしいんですか?戻らなくて」
「ん、こと護衛に関しちゃ、姉貴一人が居れば軍隊でも攻めてこねー限り、大丈夫だよ、それに今戻ると姉貴と二人になるかもだろ、ちょっと気まずくてな」
「何が、です?」
「姉貴っつてもな、実の姉妹じゃね―んだよ、しばらく一緒に暮らしちゃいたけどな」
「折り合いが悪かった、とか?」
微かに苦笑を浮かべつつ、伊三美は言う。
「逆だよ、お父さんもお母さんも実の家族同様にしてくれたし、姉貴に至ってはそれ以上、すっげー面倒見が良くてな、母性本能ならぬ
通りを行き交う車の方へ目をやりつつ、伊三美は続ける。
「んで、このままじゃヤバい!このぬるま湯に浸かってたらダメになる!と思い立ってな、高校入学を期に自分で出たんだよ、家を……まあ正解だったとは思うけど、あの家族、特に姉貴にゃ、後足で砂かけるような真似しちまったような気がしてな」
そこまで言ったところで、伊三美は信の方へ身を乗り出し、続けた。
「でな、特にヤバいのが姉貴のハグだ」
「骨を折られるとか?」
「それも逆だ、気持ちが良いんだよ、異常に、気持ち良すぎて、あっという間に意識が飛んじまう」
「それって何かの能力なのですか、十勇士由来の?」
伊三美は首を横に振る。
「三好の
と、そこまで話した所で、伊三美は何かに気付いたように、はっとした顔をする。
「しまった」
そんな伊三美に、少し呆れた顔をしながら信は言った。
「……清海さんについて伝え忘れてること、多過ぎるんじゃありませんか?」
第二話 終
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