第19話 誰とも知れない男
ひとしきり図書館での時間を過ごした後、クリアとユリアは二人でバスに乗った。ユリアの家に一緒に向かうためだ。ちなみに今日クリアは、ユリアがレポートをまとめている横で、歴史の勉強をしていた。
「家に人を呼ぶのは久しぶりかも!」
「そうなの?」
「そうだよ! お父さんとお母さんがいなくなってから、わたしは家事をこなすの忙しかったし、お兄ちゃんもお兄ちゃんでいろいろ忙しかったから! 人を家に呼ぶ余裕なんてなかったの!」
「じゃあ、今は?」
「今は……、少しは楽になったかな! って言ってもお兄ちゃんまでどっか行っちゃったから忙しいより寂しいって方が近いんだけど!」
「……」
ユリアと出会って幾度目になるかわからないが、クリアの中に兄の居場所を彼女に伝えた方がいいのではないかという考えが浮かぶ。
しかし、いつものようにそれはすぐに否定された。
行方不明者扱いであるとはいえ、ヨークが話した研究所の爆破が事実ならとんでもない危険人物なのは確かだろうし、それらの話が嘘だったとしても、ユリアの話とヨークの話との
「クリアちゃんはあれだよね! とってもきれいな行きずりのお姉さんのマンションに暮らしてるんだよね!」
「そう言われるとなんかやな感じはあるけど、まあ、そうだよ」
カレンとの関係など説明しようがないので、親切な他人ということで押し通すしかない。
「今度、わたしも行っていい?」
「いいよ、もちろん」
「やった! 約束だよ」
「うん、約束」
しばらくしてバスを降りると、住宅街をしばらく歩き、少し古びた一軒家の前までやってくる。
庭先にはいくつかのプランターが置かれているが、そこに植えられた花はない。土だけが入っていて、その土さえも白く埃をかぶったような有様だった。
「ごめんね! 古い家で!」
「ううん。趣があっていい感じ」
「あは! 物は言いようだね!」
「でしょ」
軽口を叩きながら中に入る。
「ただいま!」
「お邪魔するね」
二人の声だけが静かな家内に響き渡る。
ユリアに連れられて彼女の部屋に案内され、お茶菓子としてパウンドケーキとコーヒーを出された。
「昨日、わたしが作ったケーキだよ! ありがたく食べるがよいぞ!」
「ははー!」
皿ごと大げさに掲げるようにして感謝を表明すると、ユリアが深い笑みをさらに深めた。とても楽しそうな様子だ。
ケーキを食べながら何となく室内を見回してみても、家族写真の類はまったくない。ヨークの実態につながるようなものはありそうにない。
「ねえ、クリア」
二人で一緒にケーキを食べてしばらくして、彼女の通う学校の話や好きな本の話なんかを聞いているうちに外は夕暮れに近くなって、他愛のない雑談も落ち着いていつ帰ろうかと考え始める頃合いになって、彼女はそう切り出した。
「実はさ。クリアに言っておかなきゃいけないことがあるの」
「……何?」
結局どう切り出そうかずっと考え続けていたクリアにとって、向こうから真面目顔で話を切り出されるのは予想外のことだった。
「初めて会ったときクリア言ったでしょ、お兄ちゃんと会ったことがあるって」
「うん」
「それはいつ頃の話なの?」
「……一か月ぐらい前かな」
ヨークが行方不明になったのは一年前だということは知っている。
だから、クリアも彼と会った時期を明言することは避けていた。
今の彼の居場所を聞かれたときにそれを教えることが正しいのか、クリアにはわからなかったからだ。
それにアイアンガーデンのあるあの島は一般の立ち入りが禁止されていて、いるとわかったからといって簡単に行けるわけではない。
ユリアから詳しい話を聞かれることがないのをいいことに、今までそれについて深く触れることをクリアは避けてきた。
けれど、いつも突き抜けた元気のよさを見せるユリアが見せた影のある落ち着いた口調に、クリアは嘘をついたり、適当な言い訳でごまかしたりすることができなかった。
「そっか。でもね、それはすごくおかしいことなの」
「え……」
「だってね、お兄ちゃん、半年前に死んじゃってるから」
「――」
空白がクリアの頭の中を占めた。
「会社の出張先で黒腐の大発生が起きて、それにやられて姿形もなくなってしまったの。遺体さえ戻ってこない」
「でも、行方不明だっていうニュースが……」
「表向きはね。でも、実際は違う。あの日、確かにお兄ちゃんは出張で北のスリスに行くって言ってた。そして、次の日にはスリスで黒腐の大発生が起きて。でも、報道では黒腐の被害は発生と同時に殲滅されたから皆無に等しくて、軽傷者はいても死者はいないってことになってた」
「報道規制が敷かれたってこと?」
「きっとそう。次の日、お兄ちゃんの勤めてた会社の偉い人たちが来てこう言った。『君のお兄さんは半年前から行方がわからなくなっているんだ。他に家族のいない君の当面の生活費の補償はする。だから、あまりことを荒立てないようにね。入ったばかりの大学をすぐに退学したいとは思わないだろう?』って」
「半年前って、でも――」
「そうだよ。わたしはその二日前には普通にお兄ちゃんと会話を交わしてた。スリスのお土産は何がいいとか、そういう他愛のない話。だけど、その人が言うには半年前から行方がわからないんだって……」
ユリアの声にはわずかばかりの嗚咽が入り混じっていた。
「わたしは悲しくて、怖くて、寂しくて、その人に何も言えなかった。その人が言うように、この先どうやって補償もなしに生きていくかなんてわからなくて、そんなこと考えたくもなくて、何も言えなかった。頭の中がぐちゃぐちゃになって、何を考えていいのかもわからなくて、気づいたらその人たちはいなくなってた」
ユリアは滲んだ涙を軽く拭うと、クリアの瞳を見つめた。
「クリアちゃんがどんな風に覚えているのかはわからないけど、少なくとも一カ月前にお兄ちゃんと会ったっていうのはクリアちゃんの記憶違いだと思う」
ユリアの言っていることは十分に理解できたし、こんなことを実の妹に尋ねるのは残酷かもしれなかったが、実際に彼と顔を合わせて会話まで交わしているクリアとしてはどうしても言わずにはいられなかった。
「……本当に、本当にお兄さんは亡くなってるの? どうにかして生き残ったっていうことは」
最後まで耳を傾けることもなく、すぐに彼女は声を荒げた。
「ないよ! その後、わたしスリスに行ったもん! 現地の人に話を聞いて、お兄ちゃんの写真も見せて、泊まったホテルまで見つけ出して! お兄ちゃんの荷物までそっくり全部、残ってたんだもん!」
「……」
その剣幕にクリアは何も言えなくなる。
「ごめん、大きな声、出して」
「ううん、叫びたいなら思いっきり叫んでもいいよ」
「いいの。叫ぶのはもう叫んだから。泣くのももう泣いたから、もういいの」
諦めたように言う彼女にクリアはそれ以上、言い募ることを放棄した。
「……ボクの方こそごめん。記憶喪失だったとはいえ、適当な話ばっかりしてユリアを混乱させたみたいで」
「それもいいの。クリアちゃんは悪くない。記憶を全部、失っちゃったんだったら、そんなふうにおかしなことになっちゃうこともあるよ、きっと」
「ありがとう」
余計なことを言うべきではないと思った。少なくとも真実が何かを把握するまでは。でなければ、ユリアの悲しみをより深いものにするだけであり、ユリアの混乱をより制御できないものにするだけだと思ったからだ。
「クリアちゃん」
「ん?」
「今日、泊まっていかない? お兄ちゃんの話したらなんだかもっと寂しくなってきちゃった……」
「いいよ、わかった」
「ほんとう?」
「うん」
「ありがと、クリアちゃん!」
それぐらいでユリアの気持ちが落ち着くならとクリアは一も二もなく頷いた。
少しだけいつもの調子を取り戻した彼女の抱擁を受けて、クリアはぐえと情けない声を上げた。
※
※
※
その夜、クリアは人知れず海を渡っていた。
海を渡り、山を越え、アイアンガーデン内へと再び足を踏み入れていた。
ユリアの家に彼女一人を残し、すぐには目覚めないよう彼女の眠りを深くする魔法をかけて、手っ取り早く真相を知るべくヨークのもとへと向かっていた。
ヨークが半年前に死んでいるのならば、一か月前にここでクリアが会った彼はヨークの名を騙った偽物ということになる。
その場合、面識のなかったはずのクリアになぜ偽りの名前を名乗ったかという疑問が生じてくる。
そして、もし彼が本物のヨークだった場合も一つどころではない疑問が生まれる。
黒腐から逃げられたのなら、なぜホテルに荷物を置き去りにしたのか。
なぜ妹に連絡を取らなかったのか。
なぜアイアンガーデンにいたのか。
研究所を襲ったという話は本当なのか。
クリアが調べた限りでは、七大企業のどこそこの研究所がテロに遭ったという情報はない。
だが、その点については、もしそんな事件があったとしても国を支配するような巨大企業が自分たちの警備の不手際を声高に流布するわけがないだろうという推測から、隠蔽されていたとしてもおかしくはない。
ただそんなことをした人間を行方不明扱いで処理するという不自然さも残るし、その妹の生活補助まで行うのはいくらなんでも人がよすぎる。
クリアの考えとしてはまず間違いなくヨークの話は嘘だ。
だが、どこまでが嘘でどこまでが本当だったのかについては図りようがない。だから、直接、問い質しに行くのだ。
そして、もし本物だったとしたら、ぶん殴ってユリアのもとに連れて行き、謝らせてやろうと思っている。
「ここにはもういないか……」
アイアンガーデンで囚人たちと別れた地点を起点として、その周囲の魔力を感知してみた。
さすがに近くには誰もいなかったのだが、七大企業の研究所が存在するという地域は上空から把握していたし、収容区のある方向にも彼らが向かうとは思えなかったので、ある程度探すべき方角は限られてくる。
移動しながら周囲の人間の存在を感知し続ければ、遠からず見つけられるという確信がクリアにはあった。
「ふむ」
深い山奥に一人の人間の反応を感知した。
そちらに接近していくと、ぽつぽつと何人かがクリアの感知領域の範囲に入ってくるのを感じた。
研究所からは十分離れているし、最後に人工物を見た辺りからは遠く離れている。見つけたとクリアは思った。
だが、念のため、それなりの高空から山の様子を窺う。動いている人の存在は感じられないが、見張りの一人くらいは立てていないかと思って。
「お」
遥か高空から見知ったエネルギーの波長を感じ取って、その近くの森の中にクリアは降下する。
草をかき分け、目当ての人間の前に姿を現した。
「調子はどう?」
「うおわっ。嬢ちゃんかよ! びっくりするじゃねえか!」
元パン屋の主人、バルクセスはクリアを見てのけぞるほど驚いた。
「ごめんごめん。あんまり目立つのもよくないと思って」
「そりゃあ、そうだが……」
「何してたの? 見張り?」
バルクセスの足下にはちろちろと燃え盛る焚火と、木で作った簡素な椅子のようなものが置かれている。
周りに人の気配はなく、彼一人で何かをしていたのは確かだろうが。
「ああ、いや、最初の頃はそんなものも立ててたが、あまりにも暇すぎてな。とっくの昔にやめちまったよ。俺は単に眠れなくてな。こうして日曜大工にでも精を出すかと思ったのよ」
そう言うと、バルクセスは手に持っていた細長い木の板を見せてくる。
「命の危険も当分なくなって、さすがにやることがなくて、木の皮を削って鋭意トランプ製作中よ」
「はははっ。すごい、器用だね」
「パン屋だからな。手先の器用さだけは負けねえよ」
それからバルクセスは持っていたその板を放り投げると、少し離れたところに立てかけてあった椅子をもう一脚持ってきて、クリアの前に置いた。
「ありがと」
「座り心地は悪いがな。それで、嬢ちゃんはどうしてここに?」
クリアが座るのを見て、自分も椅子に座ると真剣な顔をして彼が聞いた。
「あれからだいぶ経つが、まさかずっとこの島にいたってわけでもないんだろ?」
小奇麗なクリアの格好を指し示し、疑問を連ねた。
「うん。ちょっと聞きたいことがあって来たんだ」
「……本土からか?」
「うん。その方が早いと思って」
「……いや、そんな散歩行くみたいな軽い気持ちで来られる場所じゃないはずなんだが……、まあ、いい。嬢ちゃんの力を見た身としては、そんなこともあるかと思うばかりだよ。それで聞きたいことって?」
「うん。ヨークさんいる?」
辺りを見回して、クリアは聞いた。
「ヨーク?」
「うん。あの人のことでちょっと気になることが……」
「ヨークって誰だ?」
「――」
不可解な顔をして聞き返すバルクセスに、クリアはピタリと言葉を止めた。
「そんな名前の囚人は仲間にはいないが」
「……そっか。そうなんだね」
詳しい経緯や理由などはわからずとも、何となく頭の片隅にあった予想が現実のものとなって、クリアは納得したような気分になった。
見知っていたはずの存在のことが頭から抜け落ち、それを覚えている人間の方がまるでイレギュラーであるかのように感じられるこの感覚は、子犬のカレンが消えたときにも感じたものだ。
あのときは一体、何が起こったのか、その原因さえわからなかったが、少なくとも二度、同じことが起こってみると、その要因が誰にあるのかは明らかに思える。
ヨークトーク・カルギュリアと名乗ったあの男がバルクセス達囚人の記憶を二度も操ったのだ。理由も手段もわからないが、その結果だけは理解できる。
「ごめん。バルクセスさん。どうやらボクの勘違いみたい。忘れて」
「そうか? まあ、嬢ちゃんがそう言うならそれでもいいが」
いきなりこんなことを言われて、納得しがたいものがあるのは事実だろうが、バルクセスはそれ以上、追及はしなかった。
こうなると、アイアンガーデンを訪れたこと自体、あまり意味のないものになってしまう。
記憶まで消した以上、ここにヨークの痕跡は欠片も残ってはいないのだろうから。
肩透かしの感はあったが、いよいよもってヨークは何かおかしいということがわかったこと自体は収穫だろうか。
主目的を失い、やや鼻白んだクリアだったが、これ以上はどうしようもないのだろうと割り切って、副目的へと頭を切り替える。
「変なこと言っちゃったお詫びにこれ」
「お!」
ここへ来る前に近所のスーパーで買い込んだ食料の類が入った箱をどさっと彼の前に置いた。
「どうしたんだ、これ。というか、どうやって出した?」
「うーん、まあ、企業秘密。どうしたかっていうと、ずっと山の中だと食べ物にも飽きるかなと思って、いろいろ買ってきた」
「そりゃあ助かる! 恩に着るぜ! 嬢ちゃん」
「いえいえ、どういたしまして」
栄養として欠けがちだと思われる野菜を中心として、お菓子の類や娯楽品なども一応入れておいた。
出費はすべてクリアのお小遣いから出ている。
カレンから与えられた多すぎるお小遣いは、クリアとしては今のところ使い道がなかったので、彼らへの差し入れにしようと思ったのだ。
「あいつらも喜ぶぜ!」
「それならよかった」
「ああ、本当にありがとう!」
「うん」
それからひとしきりバルクセスと旧交を温めた後、クリアはその場を後にした。
一応、他の囚人たちがいるであろう場所は探ってみたが、以前感じたヨークと同じ波長を持つエネルギーは発見できなかった。
彼の消息は完全に途絶えた。
一体、あの男は何者なのか、クリアには推し量ることさえできない。
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