魔法の姫は、因果の向こうで、サイボーグに巡り合う。

@huyukyu

第1章 アイアンガーデン

第1話 終わりの先に


「やってくれるじゃないかっ……!!」


 眼下に広がる惨状に、少女は獰猛どうもうな笑みを浮かべた。

 年の頃は十五歳前後。長く伸ばした灰白の髪に、透き通る深海のようなコバルトブルーの瞳。まだ幼さの残る造作、未成熟な体躯に反して、表情だけは猛々しく、凛々しい。


「ボクの大事なものすべて踏みにじって、ボクの大事な人すべて殺して、ただで済むと思うなよ」


 何者も存在しない暗い部屋の中で、少女はただ震えた声でたける心を解き放つ。

 その瞳に映るのは、燃えた世界。

 人も、建物も、土地も、森も山も川も海も、血に塗れ、憎しみに塗れ、戦火に燃えている、死んだ世界。

 争乱の中でただ一人、少女だけがその瞳に生気を宿している。

 狂おしいまでに燃え盛るその生気は、瞳に映る戦火そのものよりもよほど狂気に満ちていた。


「負けてたまるもんか! 負けてたまるもんか! 負けてたまるもんかっ!」


 口にした言葉のどこか子どもじみた響きとは裏腹に、少女の中の怒りの炎は、一層の勢いを増して猛り狂っていく。


「『光性循環』」


 呟きと共に、彼女の足下から光が這うように放射される。

 直径五メートルほどの円形の床を満たした光の束は、続けて壁面を上り、天井を覆う。

 この部屋自体が、特殊な儀式を行うための細工が施された聖域であり、その儀式を行うための下準備として、少女が部屋全体に自身の魔法エネルギーを満たしたのだ。


「『神に求める。至上の天秤をここへ』」


 起句となる文節を口にした途端、少女の眼前に白い秤が現れた。


『天秤魔法:万物代替』


 天秤魔法と題してはいても、存在するのは一種類だけ。それも、この魔法王国王家に伝わる禁忌の魔法であり、存在を知っていたのは代々の為政者のみ。つまりは、先王が息絶えた今、その魔法の存在を知っているのは彼女だけだった。


「お母さま。どうか浅慮なボクをお許しください」


 何があっても使ってはならないと厳命されていた禁忌の魔法を、少女はただ怒りのままに振るおうとしている。

 だめだということはわかっていた。けれど、可能性がある以上、それに縋らずにはいられなかったのだ。


 その魔法こそは禁忌に触れるものではあったが、その効果は単純に極まる。

 この世界に存在する法則を魔法の形に打ち直しただけのもの。

 代価を払った者に、成果が与えられる。ただそれだけをもたらすための天秤。

 一方の皿に支払う代価を置き、それに応じた成果がもう一方の皿に現れる。

 銀を重ねて金を求めれば、もう一方の皿に等価の金が、金を重ねて宝石を求めれば、それに見合うだけの宝石が与えられる。

 言ってしまえばそれだけの魔法。

 けれど、それは『至上の天秤』である。秤にかけられるものは、物質的なものに限らず。代価は使用者の所有する『価値あるすべて』が含まれる。

 そして、物質的ではない成果を求めた場合、求めた成果にふさわしいだけの価値がその代価にあるかを判断することは誰にもできない。

 ゆえに、使ってしまえば代償に何を失うかわからない禁忌の魔法だった。


「『クリアクレイド・ウィートゲーターの名のもとに、この王国に存在する価値あるすべてを代価に捧げる』」


 もはや滅びに瀕した魔法王国の、最後に残されたただ一人の女王。

 クリアクレイド・ウィートゲーターは、焼け野原となった国土を見つめ、王城最上階の隠し部屋で、迫る侵入者の足音を聞きながら、それでも、己を見失わず、怒りに焼き尽くされることもなく、壮絶に笑った。

 彼女が持っていたはずのすべてのものは、この戦火に焼き尽くされ、灰燼かいじんに帰した。

 ならばもう、失う物など何もないとうそぶいて。


「人も、財貨も、国土も、そして、この国が存在してきた歴史さえも、すべてを捧げるっ……!! だから……ッ」


 力の限り、彼女は叫んだ。

 このままただ座して、滅びの運命を受け入れることなんてできないっ!!


「『もう一度、運命に抗うチャンスを与えたまえ!』」


 その瞬間、広大な王国全土を白い光が包み込んだ。

 不埒な侵入者も、勇猛なる兵士も、無垢なる国民も、王国に存在する価値あるすべてを飲み込んで、天秤は傾けられる。

 代価に見合う成果が授けられる。

 そうして、王国を包んだ莫大な光は静かに弱まっていく。

 戦乱の残り香も、国民たちの営みも、王国の歴史も、すべてが秤にかけられて、成果に見合う代価として消えていく。

 最後に残った白い光の中で、少女がゆっくりと目を閉じた。


 ※


 ※


 ※


「お母さま。これが?」

「ええ、そうよ。これがディヴォ―ション王国の秘宝、『至上の天秤』よ」


 王になる半年と少し前、先代女王に連れられて、クリアはその部屋を訪れていた。

 歴代の王しか入ることを許されぬ、王国でも最奥最秘の間。


「クリア。あなたは王国の歴史についてどこまで知っていますか」

「え? それは小さい頃に勉強した程度は」

「話してみなさい」


 次代の王として必ず知っておくべきことがあると言われて母に連れ出され、護衛や傍付きの類も全て遠ざけて、クリア達はこの部屋に入った。

 母の跡を継ぐことが確定しているクリアにとっても、この『儀式の間』に入るのはこれが初めてだ。王しか入れないことは知っていたが、それ以外のことはほとんど知らなかった。この部屋には秘宝がある。そんな漠然とした噂だけがクリアの耳には入っていた。

 

「我がディヴォ―ション王国は、魔法によって栄えた王国です。八百年前、初代国王が開発したという魔法は、四方を海に囲まれ、ろくな武器を持たなかった我が国を強国に変えました。小さな島国に過ぎなかった我が国が海を越え、大きな領土を支配するに至った原因はすべて、魔法とそれによって生み出される圧倒的な武力にありました」

「よろしい。では、アギスの海戦については?」

「はい。初代国王が魔法を開発するきっかけになったと言われている戦いです。海の向こうからの侵略船に対して、我が国は成す術もありませんでした。突然の大嵐がなければ敗北していたであろう戦いです。その結果、早急な軍事増強が求められ、王は魔法を開発するに至ったと言われています」

「そうね。教育係が教えた通りだわ。かなり昔に勉強したはずなのに、よく覚えていたわね」

「恐れ入ります」


 普段はクリアも、王ではあっても母に対して、そうかしこばったしゃべり方はしないが、今の母の表情は険しく、次代の王として生半な態度では許容しないとその目が告げている。そういうときにフランクに話しかけると、母は激怒することをクリアは知っているので、努めて背筋を正し、言葉を適切に選ぶ必要がある。


「さて、クリア。あなたが教わったその歴史ですが、間違いが一つだけあります」

「間違いですか……」

「ええ。いえ、間違いというより意図的に歴史を歪めて記録した点があると言うべきかしら」

「歴史を歪めた……? 何のためにですか」

「真実というのは時として諸刃の剣になる。鋭すぎて他者も自身も傷つけてしまうほどに。歴史の真実を知らせることは、国全体を危険に晒す可能性すら秘めているのよ」


 母の言っていることはクリアにも何となく理解できる。世の中には知らない方がいいことというのはたくさんあって、すべてを詳らかに明かすことが必ずしも平和につながるとは限らないということだろう。少なくとも、為政者の側にあっては。


「その真実とこの部屋に関係があるということですか」

「ええ。正確にはこの天秤にね」

「『至上の天秤』……、そうおっしゃいましたよね。ただの貴重な財宝ではないということなんでしょう?」

「もちろん。この天秤は文字通りの『至上の天秤』。ありとあらゆるこの世の万物を秤に乗せることができる。そして、乗せた代価にふさわしい対価を得ることができる」

「対価を得る、ですか……? それは秤というより別の何かなのでは? 物々交換のようなものですか」

「……まあ、私も先代から伝えられてきたものをあなたに伝えているだけだから、正確なところはわからないわ。けれど、これは『至上の天秤』と呼ばれる我が国の秘宝。初代国王が国難の際に神の遣いから賜ったとされているわ」

「国難……。というと、それはつまり」

「ええ、察している通りよ。アギスの海戦。その戦いを乗り切った国王は、けれど、焦燥に駆られた。そう何度も天運が味方してくれることを期待するわけにはいかない。自力で国を守る手段を模索しなくてはならなかった」


 そこまで言われたところで合点がいった。

 なぜこの場に連れ出されてまで歴史の話をさせられたのか。


「……天秤にその手段を求めた、ですか」

「その通りよ」


 クリアにも話の流れが見えてきた。

 魔法とは初代国王が開発したものではなく、この天秤によって得た対価。

 国の危急に際して、藁をもつかむ思いで得体の知れないものに縋ったその結果だったというわけだ。


「天秤に国を守る手段を求めた結果、頭の中に魔法という概念そのものが浮かんだ、と伝えられているわ。真偽はわからないけど、この天秤にはそれだけの力があるというのは確実なことよ」

「……お母さまも使われたのですか」


 目の前で見てきたような実感がその語り口には含まれていた。


「いえ、この天秤は初代国王以来、一度も使われていないし、二度と使われることがあってはならないものよ。あなたも決して使ってはならない」

「どうしてですか」

「……クリア、もう一つ、歴史の話よ。ファルスの擾乱じょうらんとは?」


 今度はクリアも疑問を覚えない。その歴史の話も、天秤を使ってはならないその理由に何か関係があるのだろうと、すらすらと覚えた内容をそらんじる。 


「アギスの海戦から十年後、当時もっとも魔法を使うことに長けた魔法騎士の一人、ファルスが海向こうの部族の制圧から帰った直後、戦勝の宴の最中、当時の王族を突然虐殺し始めた事件です。一説では、三百名以上もの命が奪われたとか」

「正解よ。けれど、その話はすべて作り話なの」

「……どういうことですか」


 説明した直後に作り話と断ぜられると、さしものクリアも面食らう。


「ファルスなんて騎士は本当は存在していない。だから、彼が王族を虐殺したという話もすべてが虚実。全くの虚構なのよ」

「つまり、擾乱そのものが実際には起こっていないと?」

「ええ、そうよ」

「何のためにそうした作り話を?」

「王族が死んだからよ」

「……どういうことですか。擾乱が起こっていないというのなら、王族も殺されてはいないのでは?」

「だから、話の順序が逆なのね。擾乱が起こったから王族が殺されたのではなく、王族が死んだから擾乱が起きたことにされたのよ。ファルスという、いもしない狂人がでっちあげられてね」

 

 ファルスの擾乱と言えば、王国内では歴史上もっとも残酷な事件として、市民たちの一部にさえ口伝されている有名な事件だ。

 それがまったくの虚構であるというのは、クリアからしても青天の霹靂へきれきといった感覚を覚える。


「そうまでして王族が死んだことを誰かのせいにしたかった。逆に言えば、真実、誰のせいで、何のせいで王族が死んだのかを隠したかった。だから、そんな作り話を歴史に残す必要があった。そういうことですか」

「さすがね。そこまで自力でたどりつけるのなら、クリア、何のためにファルスの擾乱をでっちあげる必要があったのかもわかるのではないかしら」


 母の質問にクリアは考えを巡らせる必要がなかった。すでに答えは頭の中に生まれていた。


「代価、ですか」

「……驚いたわ。一発で正解するとはね」

「お母さまは先ほど天秤に求めるには代価がいるとおっしゃった。そして、二度と使ってはならないとも。その流れの上でのファルスの擾乱が虚構だという話。つまり、天秤に魔法を求めた代価として、王族の命が奪われたということですか」

「正確には王族だけではなく、当時天秤の力の存在を知っていたすべての家臣とその家族まで含めて、正確な数字は伝わっていないけれど、五百人以上が亡くなったらしいわ」

 

 魔法を得た代価として、それだけの人間の命が奪われた。

 この少しゆすっただけで崩れてしまいそうに儚い、小さな白い天秤を使ったがために。

 クリアは無感動にそれを見下ろす。感傷に浸るでもなく、ただその価値を見定めようとするかのように、ただただ見下ろす。


「生き残ったのは王ただ一人。そしてそれ以降、王の直系子孫にはある呪いが付いて回るようになった」

「呪い、ですか」

「あなたも知っているはずよ。この国の王族には他にはない特異性が存在する」

「世継ぎが一人しか生まれないこと……」

「その通りよ」


 王国では常識となっていることだ。王の世継ぎは一人しか生まれない。

 クリアにも母にも兄弟は一人もいない。その前の王にも、その前の前の王にも。

 ディヴォ―ション王国の王の世継ぎは代々一人のみであった。

 巷では、ディヴォ―ション王国は神に愛される国であるがゆえに、不毛な世継ぎ争いを起こさないために王の世継ぎは一人と神から定められているとまこしやかにささやかれていた。

 クリアはそんなうわさ話を話半分で聞いていたが、事実はむしろ逆と言っていいものだった。

 呪い。

 神からの祝福ではなく、対価を得た代償としての血脈への呪い。

 

「そして、あなたも知っているように、退位した王は数日で死ぬ」

「……」

「それもまた、天秤の代価、いえ、呪いなのでしょうね。天秤の存在と力を知っていていいのは一人であるとでも言わんばかりの残酷な因果」


 母はもう長くはない自分自身の運命を悟っているかのように薄く笑い、クリアの頬を撫でた。


「だから、クリア。あなたは絶対にこれを使ってはダメよ。その身に余る呪いを受けるだけではなく、後世にまでそれを引き継いでしまうことになるかもしれないのだから」


 クリアはその忠告を黙って聞いていて、何かをこらえるように唇を噛みしめ、うつむくことしかできなかった。

 まさかその半年後に自分自身がその天秤の力を使うことになるとは露ほども思わず。


 ※


 ※


 ※


 クリアクレイド――クリアが目を開けたのは、開けた丘の上だった。

 周囲には何もない。背丈の短い雑草が少しと、ごろっとした岩の転がる殺風景な場所。

 頬の辺りに生暖かい感触を覚えて、その違和感に意識が覚醒した。


「あれ」


 すぐに体を起こすと、頭がひどくぼんやりとした。思考が上手くまとまらない。記憶も、混濁していてよくわからない。

 もう一度、今度は腰の辺りに生暖かい感触を覚えて、ようやくそちらに目をやると、小さな子犬が彼女に寄り添うように身を寄せて、肌を舌で舐めているのがわかった。


「……って、肌……?」


 なんで地肌が見えて……?

 慌てて自分の体を確認してみると、まっさらな白い肌がそこにある。高い位置にある太陽の光を浴びて、傷一つない柔肌がそこに。――一糸まとわぬ裸体でもって。


「かはっ」


 吐血するような思いがして、肺から空気を吐き出した。


 ――なんで何も着てないんだよボクはっ……!?


 祈るような思いで辺りを見回してみるが、幸い、周囲に人影は見当たらなかった。

 こんなところで裸で寝ているクリアの痴態を発見した者はどうやらいないようだ。


「バウッ……!」


 この小さな子犬を除いて。


「……」


 クリアはできる限り、自分がこうなる前の記憶を探ってみようと試みた。

 しかし、どこをどう思い出そうとしても、何一つとして情報は浮かび上がってこない。

 ここがどこであるのか、も。

 どうしてこんな何もない場所に来たのか、も。

 なんで肌着一つ身に着けず意識を失っていたのか、も。

 いつからここにこうしていたのかも、全く思い出すことができない。


 わかるのは自分の名前がクリアクレイドということと、十五という年齢のみ。

 ファミリーネームもわからなければ、自分の両親が誰かもわからない。

 どこでどうやって育ってきたのかはもちろん、昨日食べたご飯でさえも覚えていない。

 

「……完全なる記憶の喪失」


 頭でも打ったのだろうか。

 それとも、よほど心に深い傷を負ったのだろうか。

 理由は不明だが、状況はそれで間違いないようだった。


「野盗にでも襲われたとか……」


 自分で口にしていて、それは薄い可能性だと悟る。

 確かに服は着ていないが、乱暴された形跡はない。肌はきれいなものであり、周囲にも争った跡はどこにもない。きれいすぎるほどだ。


「バウッ……!」

「……お前はボクに何が起きたか知ってるかな?」

「バウッ……?」

「ま、知るわけないよねー」


 とにかく、こうして地べたに座って呆然としていても、仕方がないのは確かなようだった。

 クリアは重い腰を上げると、大きく伸びをする。

 丘の上にいるので、周囲の状況は見渡せるが、見える限りには人里の気配はない。

 人目に触れたくないという今の状況(全裸)からすればそれはありがたかったかもしれないが、自分の記憶すらもないという頼りのない状態では、他人の助けが必要なところではあった。


「とりあえず、服ほしい。あと、食べ物。できれば水浴び」


 地べたで寝ていたために肌が若干砂っぽい感じがするし、犬に舐められたためにべたつく感じもあるからだ。


「バウッ……」

「って、お前もついてくるんかい。別にいいけど……。生き物そんな好きじゃないんだよねー」


 そんなこんなでクリアは一匹の子犬とともに歩き始めた。

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