第3話 やっぱり恐いです!

 次は御用用水と平行して走る柳町用水を見ようと、本町通りを引き返し曲がったところで、一軒の履物屋を見つけた。せっかくおどりの日に郡上八幡を訪れたのだから、おどれないとしても、下駄くらいは履いてみたい。

 好きな鼻緒を選んですげてもらう。

「今日はおどられますか?」

「いえ、見物だけですが、せめて下駄くらい履いてみようと」

「それなら、浴衣のレンタルのお店もありますから、よかったら行ってみてください」

「そうなんですか。考えてみます」

 お勘定を頼むと非常にリーズナブルな値段で驚いた。これで採算が取れるのだろうか。

「この下駄はどんな木から作られているのですか」

「郡上のヒノキです。地元の人が切っているんですよ」

 郡上八幡市の面積の九割は森林だそうだ。豊かな森林は豊かな水の母だ。流れる水も何もないところからは生まれてこない。


 会社勤めも長くなると、ときに入社試験の面接官などというものもやらされる。遠い昔のこと、私が就職活動に臨んでいたときは、入社試験の面接はある意味やり放題だった。 

 今でも忘れられない質問の一つに、「あなたは女性にどんな人と言われますか」というものがあった。「いい人だね、と言われます」と答えたのは、私が女性に特に興味を持たれない学生だったことの証である。

 その会社には落とされたが、「悪い人ね、と言われます」と答えていたらどうなっていたであろうか。なに格好つけているのだと、やはり落とされたのかもしれない。どう答えるのが正解だったのだろう。

 今はそんな質問は当然できず、学生のよいところを引き出そうと面接する側も努める。学生たちも就職がかかっているので、もちろん精一杯の自己アピールを行う。採用数には限りがある以上、そこに何らかの優劣を見いだしていかねばならないのは面接官の責務ではあるが、自分の価値というものをアピールできることは素直にうらやましい。


 今、この歳の私が面接を受ける立場に立ったらどうであろうか。自分の将来の可能性については先が見えているとなると、これまでの人生で得たものを、必死に探し出すことになるのだろうな。

 人生において多くの木を育て、根元に多くの水を蓄え、蓄えた水があちこちから湧き出している。そんな人生であったならば、この歳でもいくらでも自分をアピールできたであろうに。いや、そんな人生を送ってきたならば、何も道に迷うことはなく、誰かに何かをアピールする必要もないか。


 柳町用水は穏やかにたたずむ家並みの間を流れていた。ここは観光地とは無縁ですよというように、あまりにも穏やかに、あるがままに静かに流れている。

 安養寺というお寺の前を過ぎ、やがて道は吉田川に至る、今度は新橋を渡らず川沿いに東へ歩を進める。しばらく歩くと、右側に橋が見えてきた。「はちまんはし」という銘があるが、すぐそばに学校らしき建物が見えるので、これがあの少年が言っていた「学校橋」なのだろう。


 学校橋の上には二人の少女がいて、欄干から身を乗り出して川面を見ている。二人には見覚えがある。新橋から飛び込んでいた二人だ。さっきここより低い新橋から飛び込んだというのに、何を見ているのだろう。

 ネットでの情報だと、学校橋は水面まで約十メートル、新橋は十二ないし十三メートルあるらしい。建物でいうと学校橋で四階、新橋で五階くらいか。

 

 私のような中年、いや、年配の男性が中学生くらいの女の子に声をかけるのには、非常に気を遣う。

 ただ、先ほど見事に飛び込んだので、話を聞いてみたい。

「あ、あの」

「はい?」

「あ、いえ、さっき新橋から飛び込んでいたお二人ですよね」

 二人は顔を見合わせて、それから一人がけげんな表情で答える。

「はい」

「あ、いえ、鮎料理屋さんから見てたのですが、見事に飛び降りたなと思って」

「え、ええ」

「私なんか、下を見下ろすだけで身がすくんでしまうのですが。どこからその勇気が出るのかな」

 二人はまた顔を見合わせて、またさっき答えた方の子が答える。

「勢い、かな?」

「ほかの子に聞いたのだけれど、この学校橋から飛んで、次は新橋から飛ぶって。この橋だって結構高いですよね」

「この橋だって怖かったですよ。この橋を飛ぶまでかなり時間がかかったし」

 答えが少しずつ文章になってきている。怪しい者ではないとわかってくれたかな。

「でも、新橋からは勢いで飛べたと」

「飛ぼうかどうしようかは、この橋の時に十分考えたから」

 今度は二人顔を合わせて、すこしほほえんでくれた。

「今下を見ていたのはどうして?新橋から飛べたら、ここはもう恐くなくなったんじゃない?」

 今度はもう一人の方が答えた。

「それを確かめに来たんです。もう恐くないかなって」

「それで、どうでした?」

『やっぱり恐いです!』

 二人は声を揃えて、少し笑って答えた。


 実は上司とはあの面談のあとも、もう一度今後の話をしている。上司は私を気遣ってくれてたのか、こんなことも言ってくれた。

「継続雇用といっても、年金支給開始年齢までずっと働くと、今決めなくてもいいんですよ。まずは一年続けてみて、また考え直すこともできますよ」

 「考え直す」か。私は一度転職をしている。新卒で入った会社が、どうにも自分に合わない気がしてならず、二年で転職をした。その際にいろんな方に迷惑をかけてしまった。

 その時に、知り合いの新聞記者から声をかけられた。その新聞社から出す就職関係の特集誌に、新卒間もなく転職した人の話も載せたいそうだ。元来おっちょこちょいの私は、雑誌に自分の声が載るのもひとつの体験かと了解した。

 ライターの取材に、私は私なりに最初の就職について考えたつもりで入社したが、入社してから、自分はなにをやりたいのか再度よく考えて転職を決めた旨を答えた。

 ライターは言った。

「入社してから初めて、就職について真剣に考えたみたいに聞こえますね」

 考えるべきときに考えないのが私だった。


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