四人のヒロイン達
注文した品が全て届くと、重苦しかった雰囲気が少しばかり明るくなったように感じた。ようやく気持ちが落ち着いて緊張が解けてきたのか、俺も空腹感に襲われていた。
「う~ん、やっぱりここのオムライスは絶品だね」
「ケチャップ、口についてるぞ」
「あ、大星とって~」
「子どもじゃねぇんだから……」
口の周りについたケチャップを、まるで犬のように嬉しそうな顔で大星に拭ってもらっているヒロイン、犬飼美空。大星の幼馴染であり、ネブスペ2第一部の主人公である帚木大星編のメインヒロイン的存在である。
その快活で可愛らしい笑顔は俺のどストライク。ネブスペ2を買った時にパッケージを見て、一番最初に攻略しようと思っていたヒロインだ。
いや、やっぱり画面越しよりも生で見た方が圧倒的に可愛いな。それだけでこの物語の主人公であり、美空と幼馴染という役得ポジションにある大星に対して羨望を越えて殺意を抱いてしまう。
「ねぇ朧っち。そのハンバーグ、とっても美味しそうだね……」
「え? なんで僕が注文したハンバーグをそんな怖い笑顔で見てくるんだい?」
「とっても美味しそうだね」
「いや、見ての通り一つしかないんだけど?」
「全部食べるとは言ってないでしょっ。半分だけちょーだい」
「結構持ってくじゃん……まぁ日頃から美空ちゃんのご尊顔を拝めるお礼ってことで!」
そして美空はこの作品屈指の大食いキャラである。その分動き回っているからか全然太らない体質でもあり、他ヒロインからダイエットの相談を受けていきなりフルマラソンに連れ回す悪魔でもある。
いやー……なんか一応は美空の友人として会話できることに感動する。美空って朧のことをあまり好いていないって設定のはずだったけど。
「ねぇムギ、見てこのネブラきのこ。大星さんに似てない?」
「……どこが?」
「この、立派にそそり立ってる感じが」
「……どういう感じが?」
きのこスパゲティを食べながら怪しい発言をしている、赤髪のサイドテールを黒いリボンで留めたヒロイン、スピカ・アストレア。この世界の地球に飛来してきた宇宙人、ネブラ人の子孫……なのだが、やっぱり見た目は普通の人間と全然変わらないな。カラコン入れていないのに瞳が赤いってことぐらいか。むしろお人形さんなのではないかとたまげるぐらいこちらも可愛い。
一見そのシックな服装や丁寧な口調、おしとやかな雰囲気からまるでお嬢様みたいな印象を受けるが、先程の会話から察せられる通り下ネタ大好きお嬢さんである。その設定さえなければただただお花を愛する可愛らしいお姫様って感じなのに、なんで下ネタ大好きになっちゃったんだろ。まぁそのギャップがたまらないんだけどね。
「それよりスピカ、一度でもいいからこのコーヒー飲んでみたら?」
「やだ、眠れなくなっちゃうでしょ」
「それはスピカがまだ大人じゃないからだよ」
「良いもん、まだ子どもで」
「お子様にはわからないだろうね、この苦味の良さが……」
そしてスピカの横でパンケーキを食べながらコーヒーを嗜んでいる、緑色のサイドテールをスピカとお揃いの黒いリボンで留めているヒロインがムギ・アストレア。彼女もネブラ人であり、最初はスピカの双子の妹と紹介される。
何かと姉のスピカと張り合っているが、コーヒーカップを両手で大事そうに掴んだり、一口喉に通す度にウンウンと頷いて味を確かめてニコッと小さく笑っていたりと、なんかムギの一つ一つの仕草が小動物みたいでめっちゃ庇護欲そそられる。スピカとは対照的にちょっとぶっきらぼうな感じが良いんだよな、うん。
「げっ。このサラダ、オレの苦手なニンジンが入ってる……おい朧、黙って口開けろ」
「いや、それを僕の口に突っ込む気ですよね? 好き嫌いはダメだって教わらなかったんですか?」
「黙って食え。おらっ」
「ごふっ」
そして俺の口に容赦なくニンジンをまるごと突っ込んできたヒロインは、レギュラス・デネボラ。他ヒロインのルートでも何かと主人公である大星を助けてくれる、大星編の頼れる先輩キャラだ。スマートな体型で胸も控えめだが、彼女のイベントシーンは……いや、うん。今思いだすのはやめよう。色々と雰囲気がぶち壊される。
ていうかニンジンがまるごと入ってるサラダってなんだよ、と大星視点でテキストを読んでいた俺もツッコんだ記憶があるが、食感に難はあるものの意外と美味かった。
「ウサギみてぇだな」
いやレギー先輩、貴方が仕向けてきたんでしょうが。
……さて、こうして喫茶店のテーブルをネブスペ2というエロゲに登場する四人のヒロインが囲っているわけだが、今一度確認しよう。
俺が転生したキャラ、烏夜朧はネブスペ2というエロゲの主人公ではない。主人公は、美空の向こう隣で黙ってカレーライスを食っている箒木大星という、一見すると本当に主人公なのかと思うぐらいパッとしない男だ。
烏夜朧は彼の親友というだけで、折角エロゲの世界に転生したのにエロとは無縁の男なのである。誠に残念ながら、だ。
「朧、俺の嫌いなトマトもやるから食え」
「お……僕もそんなに好きじゃないんですが?」
「うだうだ言うな。おらっ」
「ごふっ」
そしてレギー先輩は有無を言わさず俺の口にみずみずしいトマトを突っ込んできた。元々前世の自分の一人称は『俺』なのだが、烏夜朧の一人称は『僕』だ。いきなり変わるのも違和感を持たれるだろうから、俺は気をつけながら喋っている。
俺は前世でネブスペ2を何周もプレイしたから、作中で重要な立ち位置にある烏夜朧のキャラはよく理解しているつもりだ。趣味はナンパと告白、夢はハーレムを作り出すこと。
うん、とんでもない奴だな。
「……ねぇ大星大星っ。私、カレーも食べたい気分かも」
「太るぞ」
「大星みたいにすぐには太らないもーん」
横で大星と美空がイチャイチャしているのを横目に、俺はムシャムシャとトマトを咀嚼していた。うん、紛れもなくトマトの味だ。
ネブスペ2の第一部、箒木大星編で攻略できるヒロインは、この場にいる美空、スピカ、ムギ、レギー先輩の四人だ。朧の幼馴染であり、このグループの中心でもあった乙女は攻略可能ヒロインではなく、俺、いや烏夜朧と同じくモブの一人である。
ネブスペ2はエロゲであるため、それぞれのヒロインの個別ルートに突入すると、勿論ウフフなイベントシーンを見ることが出来るのだが……残念ながら俺はそのおこぼれにあずかることはできない。こうして側で可愛い女の子を見ることが出来るだけで十分恩恵は受けているが、やはり夢がほしい。
しかし現実は残酷だ。
同じエロゲ、いや恋愛ゲームというジャンルにおいても友人キャラがライバルとして他ヒロインと付き合う展開もあったりするが、残念ながら烏夜朧にそんな展開は用意されていないのだ。
「朧、オレの嫌いなキュウリもやるから食え」
「先輩は一体何を食べるためにサラダを頼んだんですか?」
「ごちゃごちゃ言うな。おらっ」
「ごふっ」
今度はキュウリをまるごと突っ込まれた。そして嫌いな食べ物を全て僕に押し付けてきたレギー先輩は涼しい顔でキャベツをムシャムシャと頬張っている。
ニンジンとトマトとキュウリがまるごと入ってるサラダって、料理っていうかゴリラとかに与える餌の献立だろ。確か大星視点でも二人を見ていた彼がそんなツッコミを入れていたような気がする。
まぁこんな変なギャグ要素もエロゲならではか……当事者は大変だな、うん。
「ちょっとトイレ」
奥側の席に座っていた大星が席を立ったため、俺も美空も立って通路を開ける。ついでに俺も大星を追ってトイレへと向かった。
だが俺は大星と連れションに行きたかったわけではない。大星もそうだ。俺も大星も用を足さずに、手洗い場で冷水で顔を洗っていた。
「気分が悪い」
鏡を見ずに手をついて俯きながら、ボソリと大星が呟いた。
「あんなかっこつけたこと言っておいて、強がってるんじゃないよ」
俺が大星にそう言うと、彼はハンカチで顔を拭いながら言う。
「お前もそう見えるんだが、朧」
「……僕が? 君には僕がいつも飄々としているように見えているのかい?」
「暇があれば駅前でナンパしている人間が何を言ってるんだ」
強がっている、か。俺はただ、どんな些細なことでも笑い飛ばして気を紛らわしたいだけだ。
今回の乙女の転校の件は、ただ各々が親友を失っただけの問題ではない。彼女が転校する原因の一つとなった、八年前のビッグバン事件が全員の生い立ちに関係しているからだ。
俺、いや烏夜朧と大星はビッグバン事件で両親を失っている。他のネブスペ2の登場人物もそうだ。
ネブラ人が使用していた宇宙船の爆発が原因であるため、あの事件をきっかけにネブラ人を嫌うようになった人間も多い。俺が転生した烏夜朧はそうでもないが、大星はその一人だ。
箒木大星編では元々ネブラ人のことを苦手としていた大星が、転校生であるスピカとムギとの出会いをきっかけに段々と心境が代わっていく中で乙女の転校イベントが発生し、そこを分岐点にして共通ルートから条件を満たしたヒロインの個別ルートへと突入する。
「俺は……極力思い出したくないんだ。この気持ちを」
大星は八年前の事件が大きなトラウマとなっており、それを呼び起こさないためにビッグバン事件を思い出さないようにしていた。しかし、それをいずれ克服しなければならない時が来る。
そんな大星はヒロイン達が抱える問題を解決しながら成長していくのだが……大星は今、誰のルートに進んでいるんだ?
「大星。君がそうしたいならそれを信じて突き進めば良い。ただ、美空ちゃんやスピカちゃん達を傷つけるような真似はやめるんだよ?」
「肝に銘じる」
大星は良く出来た人間だ。彼の物語を画面越しに見ていた俺もよく知っている。各ヒロインが抱える問題に直面しても、彼は逃げずに命をかけて立ち向かおうとする。それがどれだけ彼のトラウマ、ビッグバン事件に深く関わっていても……その心意気へのご褒美という意味でウフフなイベントシーンが用意されているのだろう。
俺からすれば羨ましいことに変わりはないけどな!
「朧、お前はどうなんだ? 幼馴染がいなくなって辛くないのか?」
前世でネブスペ2をプレイしていた俺は、烏夜朧が朽野乙女と腐れ縁、いわゆる幼馴染という深い関係にあることを知っている。
そして今、烏夜朧に転生した俺は、これまで彼が朽野乙女という少女と歩んできた思い出が記憶に深く刻み込まれている。傍目から見ればお似合いカップルだの夫婦漫才だのよく茶々を入れられるが、俺も乙女も同じ反応をするのだ。
「別に、僕は乙女のことが好きなわけじゃないさ」
朧と乙女はお互いに、別々の方向を向いている。朧はハーレムという夢のために特定の誰かを特別にすることはないし、乙女は朧の方を向いていない。
「大切な人ではあったけどね……」
ただ……設定としてどれだけ頭に入っていても、前世で経験することのなかった幼馴染の喪失という出来事が、こんなに辛いことだなんて俺は思っていなかった。
それに、確かに朽野乙女はネブスペ2の攻略可能ヒロインではなかったが、前世の俺の最推しでもあったのだ。
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