早すぎる別れと、遅すぎた始まり



 駅のホームにアナウンスが響き渡り、都心方面へと向かう特急列車が入線してきた。白地に青と黄色のラインが入った車体が夕日に照らされ輝いている。

 乙女は名残惜しそうに僕の腕から手を離し、泣き腫らした目を手で拭って、そして笑顔を作ってみせた。


 「わざわざ呼んだのに、なんか暗い空気にしちゃってごめんね」


 ……そんなこと言うなよ。

 ダメだ。

 こんな別れで良いものか。これでは誰も幸せにならないまま乙女は月ノ宮から去ることになってしまう。皆が幸せになる未来だってあるはずなんだ。

 堪らなくなった僕は乙女の両肩を掴んで言った。


 「乙女。お前、このまま月ノ宮を出ていくつもりか? そりゃ僕と大星、スピカちゃんやムギちゃん達は大切な人を八年前に失ったけど、これをきっかけに乙女のことを嫌うと思っているのか?」


 大星は頑固で気難しいところもあるが、なんだかんだ転校生のスピカちゃんやムギちゃん達と友達付き合いを続けているし、そんな簡単に乙女との関係が崩れるはずがない。

 無理やり笑顔を浮かべていた乙女だったが、僕から目を背けてしまう。


 「……思わないだろ?」


 むしろ大星は自ら先頭に立って、父親の噂に振り回される乙女を守ろうとするはずだ。いや、これは希望的観測に過ぎないか……だが例え大星達がそうでなかったとしても、僕が乙女を傷つけさせはしない。


 ホームに停車する特急列車に大きな荷物を持った観光客やビジネスマンが乗り込んでいく。出発まであと数分。僕は乙女を引き止めようとしたが、乙女は僕から顔を背けたまま言う。


 「やめてよ」


 僕の心に残っていた微かな希望が、彼女の言葉に粉々に粉砕されてしまう。

 それは、明白な拒絶だった。

 そう受け取った僕は、力なく乙女の肩を離していた。


 「私だって、未練はたくさんあるよ。これから夏休みがあってさ、すーちゃん達と思いっきり遊んで、修学旅行とか文化祭とかさ、色んな行事を楽しみにしてたよ。それに……すーちゃん達のお星様だって、私達の力で見つけ出しかった……そんな必死にされたら、余計に未練が残っちゃうじゃん」


 決して、乙女も月ノ宮を出ていきたいわけではないだろう。確かに距離は遠くなるが、都心の方に引っ越すだけなら会えないことはない。お互いにこの世界に存在している限り、二度と会えないということもないはずだ。

 だが今回は事情が事情なだけに、乙女は僕達に引け目を感じて会いたがらないだろう。


 「でも、もう決めたことなんだ。荷物も全部持っていっちゃったから、今更戻れないよ」


 僕は、苦しむ乙女の背中を押してやり、最後ぐらい笑顔で彼女を見送るべきか。

 それとも、どんな困難が待ち受けていたとしても、乙女を守るために覚悟を決めるか。

 残念ながら、今の僕にはどちらも出来なかった。


 「そんな悲しそうな顔しないでよ、朧」


 すると乙女は、僕の方へ一歩踏み出すと顔を僕の首筋へ近づけ──その柔らかい唇が、僕の首に触れた。

 幼馴染から不意打ちを受けた僕は驚きのあまり心臓が止まりそうになったが、乙女はすぐに僕から離れると、いたずらな笑みを浮かべてケラケラと笑っていた。


 「ファーストキスはあげてやらないもーんだ。でも、これならノーカンでしょ?」

 「……バカ言え。僕の唇だって高いんだからな」


 やめてくれ。

 まるでこれが最後みたいなことをしないでくれ。

 永遠の、別れじゃないはずだろ……?



 「もう、乗らなくちゃ」


 そう言って乙女は特急列車に乗り込んだ。僕はドアの前に立ったが、もう乙女を引き戻そうとはしなかった。


 「……ありがとね、朧。わざわざ来てくれて」

 「まさかこんなことになるだなんて思わなかったけどね」

 「本当はね、黙って出ていこうかなって思ってたんだけど……朧にだけは、伝えておきたかったから」


 今、僕の目に映る乙女の笑顔は本当の笑顔なのか、ただの強がりなのか……僕は幼馴染の、最後の努力を無駄にしないために笑顔で送り出そうとしたが──。


 『さよなら、朧』


 「さよなら、朧」


 突然、僕は既視感に襲われた。

 何故だ。

 どうして僕は、この光景を見た記憶があるんだ?

 どうして僕の頭に、一度乙女と別れた記憶があるんだ?


 『皆に、ごめんって言っといて』


 「皆に、ごめんって言っといて」


 なんだ……!?

 僕の頭に、どうしてこの記憶があるんだ!?




 ──ねぇ、どうしてお星様は輝いてると思う?

 お星様はね、私達をを守るために輝いてるんだよ。

 だからきっと……大星のお父さんとお母さんも、ずっとお空から見守っていて、大星は一人じゃないって言ってるから──。


 

 ──どうしてお星様は輝いていると思われますか?

 私は、美しくありたいからだと思います。

 お星様は喋ってはくれません……でもこうして堂々と輝いて、私達の心を動かしてくれます。

 いつか、大星さんもこの空を見て感動することが出来たら──。



 ──どうして星は輝くと思う?

 きっとね、夜を明るくするためなんだと思う。

 どんなに辛くて、心まで闇に染まりそうな夜でも……何も見えない明日に、この星空は希望の光を与えてくれるの──。



 ──なぁ、どうしてお星様は輝いていると思う?

 お星様ってのは、自己主張がとても激しいんだ。

 何十、何百光年も離れた宇宙の彼方から、この小さな星に向かって自分がここにいることを伝えているんだ。

 誰にも……忘れられないために──。



 ──本当に大切なものはね、目に映らないんだって。

 今、大星の目には何が映ってる?

 やっぱり私が、大星の目に映っててほしいな────。



 なんだろう、この記憶は。映像のように頭に映し出されたこの想い出……いや未来?

 いや、オープニング?

 これは──『Nebula'sネブラズ Spaceスペース2nd』のオープニングムービーか!?


 

 ホームに発車ベルが鳴り響く。ドアが閉まった特急列車の中から、乙女が今出せる全力の、くしゃっとした笑顔を俺に向けていた。

 同時に、この場面をプレイヤーとして見ていた自分の記憶が蘇ってくる。


 電車が動き出す前に乙女が口を開く。普段は声がでかい乙女だが聞こえない。その声が──駅の雑踏の中に消えているだけなのか、そもそも声を発していないのかわからない。

 だが確かに、俺は乙女のセリフを覚えていた。


 『あ・り・が・と・う』


 モータ音と共に電車が動き出した。俺は混雑するホームを駆け、追いつくはずもない競争を始める。


 「乙女!」


 俺は彼女の名前を叫びながら、段々と加速していく電車を追いかける。彼女、乙女は今も俺に笑顔を向けていたが、その姿が遠のいていった。


 「待ってくれ、乙女ぇ!」


 俺は電車が止まらないことも、それに自分の足が到底追いつかないことも知っていたはずだった。ホームの端まで辿り着いた頃には、次の電車の接近アナウンスがホームに響いていた。



 ホームにいる人達から痛い程視線を感じる。今どきこんな風に、一人の少女を追いかけて電車を追いかける人間もさぞ珍しいことだろう。

 あいつもこんな気持ちで、こんな風に彼女を追いかけていたのだろうか。


 「やってしまったのか、俺は……!」


 俺はポケットから携帯を取り出した。一刻も早く、彼女がいなくなったことを伝えなければならない人物がいる。これが自分の意志なのか、果たして大いなる意志によって操り人形のように動かされているだけなのかわからないまま、俺は数多も存在する連絡先の中から奴の名前を探し出した。


 『どうしたんだ、朧?』


 奴はすぐに電話に出た。電話の向こうからは誰か少女の声が聞こえる。予想通りだ。


 「大星、そこに美空……美空ちゃんはいるか?」

 『あぁ、いるけどどうしたんだ? そんなに慌てて』


 やはり大星は自宅で美空とイチャイチャしていたのだろう。それを野郎の電話で邪魔するのも悪いが、それでも不機嫌そうな素振りは見せずに、慌てた様子の俺を本気で心配してくれるのが大星の良いところだと俺は知っている。


 「大星、落ち着いて聞いてくれ……」


 俺は、自分が知っている台詞をそのまま吐き出した。


 「乙女が、乙女がいなくなるんだ……!」


 俺は『Nebula'sネブラズ Spaceスペース2nd』というエロゲに転生した。

 もし俺が主人公に転生していたのなら我を忘れるぐらいにテンション瀑上がりだったかもしれない。きっとこのエロゲ世界を思う存分満喫していたことだろう。


 しかし俺が転生したモブキャラは幼馴染を唐突なイベントで失い、しかも遅くても半年後に死ぬ運命にあったのだ!

 ……え? なんでこんな絶望的な始まりなのぉー!?


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