仮定〈約束は永遠に〉
少女は目覚めると、知らない花畑の中にいた。
周りには透明な花が咲き乱れ、心地良い春風が吹いている。
「……水晶花?」
「正解」
背後から聞こえたのは、少年にも少女にも思える声。
驚いて振り向くと、そこには同年代くらいの子どもが一人立っていた。
「やあ、こんにちは」
「貴方は、誰……?」
短く切り揃えられた月光色の髪。
蒼空を映した
触れれば溶けて消えてしまいそうなほど、儚いその姿はどこか見覚えがあった。
けれど、何故だか思い出せない。
確かに知っているはずなのに。
知っていたはずなのに。
そんな少女の問いに答えず、それは跪いた。
まるで、結婚を申し込むときのように。
「────僕と
一文字一文字想いを込めて。
それは、■を伝えた。
しかし、少女は何も答えられない。考えられない。
見知らぬ者からの『契約』とやらの申し込み。
打ち切りになる娯楽小説もびっくりの急展開。
本来ならば、絶対に断るべきなのだろう。
『知らない人の話を鵜呑みにしてはいけません』と両親にも口酸っぱく言われているし。
だが、無意識に断ってはいけない気がして。
少女は差し出された手を取ってしまったのだ。
「────はい」
前髪で隠れた瞳が、少し揺れたような気がした。
「……契約成立だ。やっと君の質問に答えられるよ」
立ち上がり、
改めて見た、それの姿。
何度見ても自分と同じほどの年齢、同じほどの体格。
どこかで見た覚えもある。
それでも、何も思い出せない。
「僕の名前は、
今先程、君と契約した《精霊》だよ。
……今後とも、よろしくね」
花の蕾が綻んだような笑顔でそれは────レイは、そう言ったのだった。
ばっ、と少女は起き上がる。
再び目覚めたそこは見知った自分の部屋で、花畑なんてどこにもない。
勿論、レイと名乗った精霊の姿も、何も。
「……夢、だったの?」
「半分くらいはそうかもね」
悲鳴を上げて、椅子から飛び退いた。
少女が座っていた場所の右斜め後方。
その空中に浮かぶ、レイ。
「そんなに驚かなくても良くない……?」
「驚くに決まっているでしょ!
なんで、なんで貴方ここにいるの?!」
「それは……君の契約精霊だからね」
きらりん、と星が散るように片目を閉じる。
「どういうこと? もっと詳しく説明してよ!」
「良いけど……契約解除は絶対に無理だからね」
「何で!」
「そういう決まりなんだよ。君も知っているでしょ?」
ああ、そうだった。
少女は頭を抱える。
精霊との契約は、人生一度切り。
魂と結び付けるものである故、精霊の消滅以外での契約解除は出来ない。
「……いや、なら貴方を消せば……?」
「無理だよ。君じゃ僕に勝てない」
「やってみなくちゃ分からないでしょ!」
「それは勇気じゃなくて、無謀って言うんだよ……」
呆れたように肩を竦めるレイ。
精霊相手なんて、今の少女の実力では決して勝てないだろう。
しかし、それでもやらなければいけないときはある。
「さあ、勝負!
“
「はい終わり」
不意打ち気味に、少女は精霊術を発動させようとする。
が、レイが指をひと振りするだけで声を発せなくなり、無力化されてしまう。
発動速度で負けてしまえば、少女の敗北は確定していた。
「分かった?」
「……いや」
「もう……相変わらず頑固だなあ……」
『相変わらず』。
そう放った彼の言葉を、少女は聞き逃さなかった。
「相変わらずって、私貴方と初対面なんだけど?」
「ああ……えっと、そう!
僕精霊だから、ばれないようにずっと見てたんだよ!」
「うわ、気持ち悪い」
「変な意味じゃないから、勘違いしないでよ!」
言い争う二人。
その騒がしさを聞き取ったのか、使用人が様子を伺いに来た。
「ユフィリア様、どうかいたしましたか?」
「ううん、何でもない! 気にしないで!」
「はあ……承知いたしました。
何か御用があればお申し付けください」
扉越しに聞こえる足音は、徐々に階段の方へ向かって行く。
取り敢えず危機を脱したことで、少女は肩を下ろした。
「ほら、大人しく受け入れて」
本当に心の底から嫌だが、半分ほどは自業自得であるので認めざるを得ない。
本当に残念なことだが。
「……よろしく」
「うん、よろしくね」
ユフィリア・レンティフルーレ、十二歳。
高等学校へ向かう前日、不本意ながら精霊と契約してしまった。
「っていうか、貴方。性別どっちなの?」
「……うん、まあね。
もう別にどっちで扱ってもらってもいいけど、一応男だよ」
「煮え切らない答え、変なの」
酷く曖昧な答え方をした彼に、ユフィリアは懐疑の視線を向けた。
精霊は性別という概念が殆ど無く、取れる選択肢の中から自分の好きな姿になっているだけだ。
選択肢は、大きく四つの区分に分けられる。
《人の精霊》は人の姿を、《空の精霊》は空を飛ぶ生物の姿を、《海の精霊》は海に棲む生物の姿を、《地の精霊》は地上で暮らす生物の姿という風だ。
また、精霊は四つの区分から、更に『格』で細分化される。
それぞれ《下位》、《中位》、《上位》。
そして、例外である《特位》だ。
格が上がれば上がるほど精霊の知能は高くなり、姿も鮮明になっていく。
下位の精霊は光の玉のような見た目、上位はレイのようにはっきり形が視認出来るらしい。
特位の精霊は、少し特殊である。
彼らは法則に囚われない。
下位のように光の玉にも、上位のようにはっきりとした形にも。
人の姿をすることもあれば、魚の姿をすることも、獣になることも、はたまた虫になることもある。
特位となる条件は複雑で、かつ難しいらしい。
数千年生きていることが条件とも聞いたことがある。
だからこそ絶対数が少なく、数えるほどしかいない。
それに則れば、彼は《人の精霊》なのだろう。
しかも、かなり鮮明であるから《上位》の。
「……そんなに見つめてどうしたの?
やっぱり僕のこと、気になる?」
「それはもう。
自分の部屋に知らない人が居るんだもの。
気になるに決まっている」
「それはすみませんでした。
じゃあ、消えとくね。
用があるときは呼んで、すぐ出てくるから」
「……最初からやってよ」
ふっ、と彼の姿が掻き消える。
話すだけ話して消えてしまった。
なんだか疲れてしまって、ユフィリアは
天井を見上げて、呟いた。
「……これから、どうなるんだろう」
将来への不安は、まだまだ山積みである。
少年は、花畑に戻って来た。
ここは少年が作った、少年のための空間。
来るべき日に、とある少女を良い雰囲気で迎えるための空間でもあった。
「……嫌われちゃった、かなあ」
身を投げ出すように、身体を花に沈める。
第一印象は、最悪の一歩手前というところだろうか。
ユフィリアは、いつになっても警戒心が高い。
『僕』として初めて会ったときは、全然そんなことなかったというのに。
精霊になってからは、どうしてこんなにも拒絶されるのだろう。
いや、どちらかと言えば特別扱いではなくなった、というだけなのだが。
「でも良かった、断られなくて」
最悪の想定は、契約の申し込みを断られること。
多分、傷付いて数百年ほど引き篭もってしまう気がする。
「頑張らないとなあ……」
雲一つない天青色に手を伸ばす。
当面の目標は、『受肉すること』。
そこためには、契約者の血肉を貰わなければいけない。
それも、源素のたっぷり詰まった新鮮なものを。
血液とか唾液とか、沢山集めれば髪の毛もいけるかもしれない。
「こんなことになるなら消さなきゃ良かったかも……いや、駄目だ。
余計に話がややこしくなりそう」
五年前の自分に殴り込みを掛けたくなるが、どうやっても現状が良くなる気がしなかったので拳を抑える。
そもそも、こんなことになるなんで当時の自分は知らなかったわけだし。
しょうがないといえばしょうがないのだ。
知っていて隠していた
「まさか、過剰症で崩壊した人は精霊になるとか……本当に……」
「あら、また怒ってるの?」
突然現れたのは、自分よりいくつか年上のなりをした少女エヴァリシアだ。
「そりゃあ怒るよ。
僕があれだけ頑張っていたのは、いったいなんだったんだって」
「その計画、自分で壊していたような気がするのだけど?」
「……ああ、何もきこえないなあ」
そんなレイ────レイフォードの姿を見て、エヴァリシアは笑う。
「ずっと見ていたけれど、あなたの格好付けてしまう癖は死んでも治らないものなのかしら?」
「……改めて言われると凄い恥ずかしいな。
馬鹿は死んでも治らないって言うからね、そういうことだよ」
「治す努力は?」
「しても無駄」
でしょうね、と溜息と共にエヴァリシアは言う。
「まあ、良いのではなくて?
無事に契約は結べたのでしょう」
「そうだけどさあ……もう僕怖いよユフィがあ……。
前はあんな感じじゃなかったのにい……」
「自業自得ですわ、観念なさい」
「そんなあ……」
レイフォードは態とらしく両手で顔を覆い、泣き真似をする。
気にはしているが、別に心が折れるほどでもない。
契約は結べたのだ、前向きにいこう。
それくらいの心持ちでいないと、今後持たない気がする。
きっと。
「そうだ、エヴァ。お父さんの方はどうなった?」
「それがですね……やっと、聞いてくれましたの!
本当手を焼かせてくれますわ、あの頑固親父!」
ぷりぷり怒るエヴァリシア。
彼女の父親は長い間復讐心に取り憑かれ、亡霊としてこの世を彷徨っていた。
「きちんとお話をして、逝っていただけました。
『元気で健康に、幸せに生きてくれ。君の行く末が、希望と幸福に満ちた世界であることを願っている』だそうです」
「愛されてるねえ……」
「……ええ、全く」
四百年以上に渡るの彼女の苦労も、今日やっと終止符が打たれたらしい。
空を見上げて微笑む彼女の顔は、もう何も憂いなどなかった。
「これからどうするの?」
「そうですわね……あなたと同じように契約者を見つけたいところなのですが、丁度良い方が中々居らず困り果てておりますわ」
「……一人、おすすめしたい子がいるんだけど」
レイフォードを太陽だ、と言って慕ってくれた翼人族の少年。
彼はまだ、契約している精霊はいないはずだ。
「ああ、テオドール様ですね。
ですが、彼。
精霊なんて要らないのでは?」
「そうなんだよね……《先祖返り》だから、ほぼ精霊だし」
テオドールは、精霊と契約する利益が殆ど無い。
彼自身が受肉した精霊のようなものであるからだ。
精霊術というより別の神秘を扱っている現状、エヴァリシアと契約してくれる可能性は低いだろう。
「良い方を見つけるまで待ちましょうか。
生憎、待つのは得意なので」
「説得力が違う」
一際強い風が吹く。
花弁が舞い、匂いが香り、春が運ばれてくる。
「幸せ、ですわね」
「……思っていたのとは、少し違う形だけどね」
もう、レイフォードがユフィリアと結ばれる運命はないだろう。
レイフォードは人ではなくなり、ユフィリアもレイフォードを忘れてしまった。
それでも、レイフォードはユフィリアと共に最期まで居るつもりだ。
新年会の一週間後、庭園で交わした約束通りに。
だから、
最期のときまで、ずっと。
「────ユフィリアが好きだ」
この世界の誰よりも、この世界の何よりも。
ユフィリアのことが、好きだったんだ。
「……愛されているようですね、彼女は」
「悪い?」
「いいえ、純愛とは美しいものです」
蒼穹に浮かぶ月の下、談笑はまだ続いていく。
これは、噛み合うはずのない歯車が噛み合った物語。
穏やかに少年は命を引き取り、穏やかに皆は日常を送り、希望と幸福に生きるだけ。
終わりの日は、もう来ない。
だって、どこにも終わらせられるものが居ないのだから。
機械仕掛けの神はその役目を果たし、自身を焼却炉に投げ入れた。
終末装置はまだ生まれず、憎悪と悪意と狂気の塊は夢半ばで途絶える。
つまり────この世界は悠久に平和である。
それだけだ。
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