第26話 尻をかじる
元服後、初めて水影は
『おや、実泰殿は、年々弓中てが御下手になられまするなぁ? やはり御貴族様には、武芸など難しゅうございましょう。御貴族様はただ、蹴鞠や舞を嗜まれておれば宜しゅうございますれば、日の下一の武人と名高い春日家には、遠く及びませぬなぁ?』
武家が貴族を貶めるなど論外であったが、現帝を庇護し、その血が武家、春日家の流れを汲む世に於いて、各武家一門、禁中行事に於いても調子づいていた。
『
そう実泰が呟いたのを、水影は隣から聞いていた。悔しさに矜持を砕かれた兄を鼓舞しようとして、それが何になるのかと、水影はぐっと口を噤んだ。
『御気になされますな、実泰の兄上。勝負はまだ着いておりませぬぞ?』
そう鼓舞したのは、心強く笑う安孫だった。はっと顔を上げた水影が、その武勇の誉れを一身に受ける姿に、一層の悔しさを滲みだした。
結局、兄、実泰はその敬福祭以降、人前に出ることはなく、帝の前で打ち砕かれた矜持を取り戻せずにいた。自室に籠ってばかりいる兄に、双六遊びをしようと誘っても、『せぬ』の一言で、いつしか名門三条家の跡継ぎは、屋敷籠りとして揶揄されるようになった――。
水影が文献に目を通す。『屋敷籠り』という言葉が、月の世では『引きこもり』と言い表すと知り、「正しく、引きこもりの困った兄上ぞ……」と呟いた。そこに、煩わしい声が聞こえてきた。
醜態を晒す安孫に、「はあ」と水影が溜息を吐く。図書館を出た水影が、懸命に何かを追う安孫を、呆れながらに見つめた。
「何をされておいでか、そんそん殿?」
「水影殿! いえ、実は白兎を探しておりましてな……!」
「白兎? 何故に?」
「
ようやく見つけた白兎を捕まえようとして、安孫が顔から地面へと突っ込んだ。
「はあ? 吃逆如きで人が死ぬはずがございませぬでしょう? 大凡、
そう言って水影は、優雅に紅茶を飲むルクナンに目を向けた。
「されど、あちらが世とこちらが世では、迷信もまた違いますれば、万一のことがあらば、
逃げる白兎を安孫が本気で追い回す。聞く耳を持たない安孫に嫌気が差し、水影は図書館へと戻っていく。
「ぎゃあ!」
兎に翻弄される安孫から、男らしからぬ声が上がり、「はあ」と水影が呆れながら吐息を漏らした。振り返り、「尻ですぞ」と助言する。
「尻? ああ、成程っ……!」
助言を受け、閃いた安孫が、ようやく白兎を背後から捕まえた。
「流石水影殿にございまするなぁ!」
「無暗やたらと、正面から捕らえんとしても無駄にございまする。『追い回し』は、尻をかじるが勝ちにございまするからな……」
素っ気なく言って、水影は再び図書館へと歩き出した。
「御待ち下され、水影殿!」
白兎を持った状態で、安孫が近寄ってきた。構わず水影は歩き続ける。
「某、しかと水影殿と向き合いとうございまする! 幼き頃より、某と水影殿には、何やら目に見えぬ確執なるものが在るように存じまする。もし某が過去に水影殿を怒らせたのであらば、しかと謝りとうございますれば――」
「御黙りあれ」
立ち止まった水影が、無表情で安孫を見上げた。
「怒ってはおりませぬ。ただ貴殿が気に喰わぬだけのことにございますれば、深く私に関わらぬよう、御願い申し上げまする」
「水影殿……」
再び歩き出した水影を、安孫の手から抜け出した白兎が追い掛ける。ピョンピョン飛び跳ね、その勢いで水影の尻にかじりついた。
「ぐっ……!」
「水影殿!」
慌てて安孫は水影から白兎を引き離すと、「大事ございませぬか?」と訊ねた。
「
白兎がその鋭利な前歯を見せ、水影を威嚇する。
「ただの戯れにございますれば、落ち着き下され、水影殿」
白兎は安孫の前ではしおらしく、小動物的可愛さを前面に押し出す。その急変する態度に冷静さが引き、水影の顔に黒い影が差した。
「ほーう、上等じゃねえかっ……」
「水影殿っ?」
「はあ。無意識にございますれば、もう私には関わらぬよう、御願い申し上げる!」
そう言い放ち去ろうとした矢先、王宮の外で爆発音が聞こえた。鎧を身に纏う警護隊が招集され、爆発現場へと急ぎ向かっていく。その状況に、安孫は庭園内にいた主の下へと走った。
「何やら不穏な状況にございますれば、るくなん王女殿下は、
「けれどもっ……王宮の外で何が起きているの?」
「今はまだ分かりませぬが、今日は某、王女殿下の護衛にございますれば、この身を呈し、必ずや貴方様をお護り致しまするゆえ、さあ、お早く」
そう小さな王女に忠誠を誓う安孫の姿に、ぐっと水影が顔を顰めた。
「何やら外が騒がしいのう、水影」
主の登場に、「左様にございますなぁ」と冷静に答える。
「鎧の兵らが事の次第を調査するゆえ、我らは静観といくかのう?」
そう言いつつも、王宮の外の出来事に興味を示す主に、「ほんのちぃとばかり、遠くより御見聞されるのであらば」と、水影は付き合う姿勢を示した。
「流石は我が
「は」
本来の主の命に従って、安孫もまた、
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